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YMOチルドレンのゆくえ

『BGM』と『テクノデリック』の先にあるもの

時は1979年、昭和の時代、全国の小学生を虜にした曲があった。その名は「ライディーン」。漢字表記だと「雷電」。想像できるだろうか、お向かいの家から何度も何度も繰り返し同じ曲が流れてくる異様な状況を。考えられるだろうか、40人クラスのほぼ全員が同じ曲を好きになっている猫しゃくし状態を。まさしく社会現象。平成から令和にかけて、これに匹敵する音楽現象は果たしてあったであろうか。少なくとも僕にはそういった記憶は一つもない。

そんな神曲「ライディーン」を世に送り出したのが、イエロー・マジック・オーケストラ(以下YMO)と名乗る3人組ユニット。メンバーは細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏。日本の音楽史上、これほどのスーパー・グループは後にも先にも存在しない。その音楽遺伝子の優性は尋常ではなく、昭和はもちろん、平成を経由して令和に至るポピュラー・ミュージックに脈々と浸透し、その方法論や音の断片がそこかしこに伺えるのは疑う余地のない事実である。

このYMO現象が規格外だったのは、持ち駒が「ライディーン」1曲ではなかったところにある。その他にも「テクノポリス」、「ファイアークラッカー」、「コズミック・サーフィン」、「東風」、「ジ・エンド・オブ・エイジア」「ビハインド・ザ・マスク」、「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」、「中国女」、「マッド・ピエロ」、「ナイス・エイジ」など、など、など、一発屋ならぬ十発屋規模のビッグ・ウェイブを形成していたのだからたまらない。そのあおりを受け、小学生にとっては破格の定価3200円のカセット・テープ『ベスト・ワン』が必需品となり、必死におねだりして親に買ってもらった記憶が今もはっきりと思い出される。

YMOが出現する以前の僕は、外で三角ベース野球や缶蹴りに明け暮れる、ごく普通の小学5年生だった。そんな、歌謡曲すら眼中になかったガキッちょが、歌の入っていない、まるでテレビゲームのようなピコピコ音の虜になってしまうのだから、人生とはつくづく予測不能なものだと思う。それ以降、僕の興味は野球や缶蹴りから音楽へと急激にシフトし、ターゲットはYMOだけにとどまらず歌謡曲全般に広まり、貪るように片っ端から音楽を聴きあさるようになっていった。

そんな人生を大きく左右したYMO現象は、ある日突如として終焉を迎える。クラスメイトにいつもの調子でYMOの話をした時、サラリとした口調でこう言われたのである。

「えっ、まだYMO聴いてんの?」

一瞬、何が起こったのか分からず、返す言葉が見当たらなかった。なんと、世間ではとっくにYMOは過去のものとなっていたのである。そうとも知らず、ますますのめり込むようにYMOを聴いていたのはおそらくクラスで自分ただ独り。そんな、まるで漫画みたいな急展開に僕は狐につままれたような状態に陥った。

推測するに、ほとんどのクラスメイトたちはYMOを音楽としてではなく、単に流行りもののアイテムとして接していたものと思われる。こういったことは昔も今も日常的に繰り返されているごく当たり前の出来事なのだろうけれど、当時10歳の僕にとってはなんともホロ苦く、一生忘れることのできない思い出となっている。

それから2年の時が流れた1981年の3月、YMOは『BGM』という新作をリリースする。晴れて小学校を卒業したばかりの僕は、興奮状態で買ってきた『BGM』のカセット・テープをラジカセにセットし、震える指先でスタートボタンを押した。そして、いざ飛び出してきた音に、突然水鉄砲を食らったように呆然としてしまう。なんとそこには「ライディーン」や「テクノポリス」といったノリのいいポップな曲は一切見当たらなかったのである。代わりに収められていたのは無愛想で薄暗い、奇妙奇天烈な楽曲だったのだ。

「バレエ」や「カムフラージュ」の不安を誘発する得体の知れないゆがみ感、「千のナイフ」や「ユーティー」の煽り立てるような激しい攻撃性、ほとんど音楽のていを成していない「ハッピーエンド」や「来たるべきもの」・・・ポップで明るいYMOにずっと親しんできた僕は、味わったことのない強烈な違和感を覚え、隠しきれない戸惑いにさいなまれてしまう。にもかかわらず、なんということか、僕は苦痛に耐えるようにしてひたすら『BGM』を繰り返し聴き続けたのである。この、例えようのないマゾヒズム的な恍惚感、これこそが本当の意味で音楽に魅せられてゆくその後の人生の始まりだったのだと思う。

そして同年11月、YMOは問題作『BGM』に輪をかけて実験的な超問題作『テクノデリック』をリリースする。『BGM』でミーハー層をふるいにかけたYMOは『テクノデリック』によって更にリスナーを絞り込むという強行手段に打って出る。今思い返すと、『テクノデリック』というアルバムは細野、坂本、高橋という3人のミュージシャンが結託して放った、世間や業界に対する確固たる決意表明であり、真正の中毒者を判定するリトマス試験紙のようなものだったのではないかという気がしてくる。

『BGM』の試練に耐え抜いた僕の耳に、『テクノデリック』は甘味で刺激に満ちた音楽として響き、リトマス試験紙は鮮やかな青色に染まる。それにしても、この体内の奥底から止めどなく湧き出てくるアドレナリンは一体なんなのだろう。「ジャム」、「新舞踊」、「階段」、「京城音楽」と、淡々と押し寄せる乾いた音の連続照射。今ではごく当たり前となっているサンプリング、ループなどの手法を駆使したインダストリアルで禁欲的な音像に、僕は経験したことのないめくるめく快感を覚えたのである。今にして確信する。この時こそ、音楽が生涯のパートナーとなることを固く約束された瞬間だったのだと。

ふと考える。おそらく世のほとんどの人が音楽に慣れ親しんでいることだろう。しかし、その中にあって、音楽を音楽として能動的に捉え、ひと時の感情に溺れることなく、未知なる音への探究心を抱き続ける人間は一体どれほどいるのだろうかと。小学5年のあの時の体験から推測すれば、全体の2%くらいは存在するだろうか。日々社会の一員として普通に生活を送りながら冷静に辺りを見渡せば、現実はそれ以下なんじゃないかと思う時が往往にしてある。世の中は無数の音楽で溢れかえっているにもかかわらず、そう思えてしまうことに一抹の寂しさを感じずにはおれない。

だが、とりあえず、今はそういった物悲しい現実には蓋をしてしまおう。そんなことよりも気になるのは、僕と似たような体験をしたYMOチルドレン達は今どうしているのだろうかということ。「どうしてるかだって?聞くだけ野暮だろ」なんて調子で突っ込まれたら、どれほどスッキリするだろう。そんな、日本のどこかにいる、出会うことも語ることもないであろう同志に、この音楽文が届くことを密かに願う。


(曲名はアナログ・レコード表記によります)
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