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忘れがたい2つの夏

ももいろクローバーとMr.Childrenが思い出させてくれたこと

いよいよ夏が近づいている。

誰にでも「忘れられない夏」はあるのではないか、そんなことを僕は思う。忘れられないというのは、単に「楽しかった」とか「充実していた」とか、そういう意味ではない。夏という季節には、哀しさも溶けているように思えるのだ。国家というレベルで見れば、日本にとっての夏は原子爆弾を投下された時である。

それでも僕が、今から書いてみるのは、ごく個人的な、哀しいような、哀しいだけではないような、夏の思い出である。

本記事を書いてみようと、僕に思い立たせてくれたのは、Mr.Childrenの楽曲「こんな風にひどく蒸し暑い日」と、ももいろクローバーの「ココ☆ナツ」である(楽曲「ココ☆ナツ」が発表された時点では、彼女らのアーティスト名には「Z」が付いていなかったはずである)。

この2曲の歌詞、それが不意に思い出され、それに誘われるかのように、自分にとっての「特別な夏」が(2つの夏が)この胸に蘇ってきた。Mr.Childrenの楽曲と、ももいろクローバーの楽曲が、あまり似てはいないように、その「2つの夏」は、性質の異なるものである。

それでも、それらは他ならぬ僕の胸に刻まれたという意味で、ある種の繋がりをもってはいる。Mr.Childrenとももいろクローバー、そして、その「2つの夏」は、僕のなかでは繋がっているのである。

***

<<その日 記録的猛暑が僕らを襲ってきて>>

楽曲「こんな風にひどく蒸し暑い日」には、こんなセンテンスが含まれる。本曲の主人公は、すでに妻子ある身でありながら、かつて関わりをもった女性のことを、時として思い出すというようなことを歌う。

ただ、僕が本曲から連想してしまうのは、先にも述べた通り「ごく個人的な」夏の経験だ。だから本記事は「音楽評論」の類にはならないだろう。

その年、まさに<<記録的猛暑が僕らを襲っ>>た。「僕ら」というのは、この僕と、その祖母のことである。幼かった僕は、病室にいる、もう死期が近い祖母を訪ねようとしていた。幼い僕にとって、自身が炎天の下を歩くというのは、さほど大きな問題ではなかった(タフであり、また不注意だったということである。今を生きる少年少女には、くれぐれも熱中症には気を付けていただきたい)。

祖母は涼しい病室にいたわけで、<<映画館に逃げ込>>む必要はなかったし、外に出かけるような体力も残ってはいなかった。ただ、お寿司を食べたいと(たしか電話で)言ったのだ。だから僕が恐れたのは、持っていく寿司が傷んでしまうことだった。生のネタは、鮮度が落ちるのが早いと考え、たしか蒸した海老の寿司と、醤油漬けにしてあるイクラの寿司を選んだと記憶している。

<<きっと素敵な事も沢山あるでしょう>>

僕は祖母が喜んでくれるのを期待して、<<記録的猛暑>>のなかを、寿司を持って歩いた。

その少し前に、祖母と同室にいる患者さんが、病院の近くにある店を目指して歩いていた(のを、僕はあとになって知ることになる)。その人は、不意に寿司を食べたくて仕方なくなり、外出許可を得て、重い体を引きずるように店へ向かったのだそうだ。しかし気の毒なことに、その店は閉まっていて、寿司を食べられずに病室に戻ったということだ。

そういうわけで、祖母は僕の持っていった寿司を、その人に半分、分けてあげていた。幼い僕が複雑な気持ちになったのは、ご理解いただけるのではないかと思う。この歳になった今なら「分かち合うこと」の尊さは分かる。それでも当時、僕は祖母に食べてもらいたくて寿司を持っていったわけで、それが半分になってしまったことが、少し哀しかった。

いま祖母も、その人(ともに病と闘ったという意味で「ご友人」と呼んでもいいかもしれない)も、現世にはいない。祖母が亡くなった時の悲しみは、もちろん筆舌に尽くしがたいものであるのだけど、不思議と胸に残りつづけているのは、あの<<記録的猛暑>>の日、寿司の全部を食べてはもらえなかった無念である。

<<思い出したくないが 思い出してしまうんだ>>

***

もうひとつ、夏については、複雑な思い出話がある。時期は(相手のプライバシーを尊重するために)詳述できないのだけど、その暑い日に、僕は初めて、年上の女性とデートに出かけた。どこに行ったかを書くことはしない。ともかく僕たちは<<カチカチに燃えてる おひさま>>の下、ある場所へと出かけた。

ももいろクローバーの「ココ☆ナツ」はハイテンションというか、勢いのある楽曲である。

<<思い切って 買っちゃった ビキニ>>
<<日焼け止め ココナツフレイバー>>

ここまで張り切ったわけではないのだけど、もちろん僕は、いくぶんの緊張を感じて、普段とは違う装いをした。持っているもののなかでは、いちばん小綺麗なシャツを着て、わりと高価なサングラスをかけて出かけた。<<ビキニ>>に相当するのが、僕にとっては「小綺麗なシャツ」であり、<<日焼け止め>>にあたるのが「わりと高価なサングラス」だったのだ。

ところが僕は(ここからが説明の難しいところなのだが)、そのデートが始まったあと、とても静かな心的状況を味わうことになったのである。退屈だったというわけではない。相手はチャーミングで、心優しい女性だった。気負うのが自然だと思う。それなのに、どういうわけか、僕たちの間には、とても穏やかな時間が流れた(相手の女性がどう思っていたのかまでは十全には分からないけど、少なくとも僕はリラックスできていた)。

恐らく僕は、そのころ、いくらか疲れていたのだろうと思う。だからハイテンションに女性をエスコートするようなパワーは出せなかった。それが、かえって(少なくとも自分にとっては)良かったのだろう、それは不思議なデートになった。相手に魅力を感じつつ、ほとんど気負いを感じないお出かけというものは、それまでも、それ以後も、僕は経験したことがない。

<<ココナツジュース のみたいな>>

そう彼女が言ったわけではない。でも僕は、その日、一緒に何を飲んだか、そして飲みながら、どんな言葉を交わしたかを、今でも覚えているし、恐らくは拍動が止まるまで忘れないだろうと思う。それでいて今、彼女がどこで、どんな暮らしをしているのかを知らない(結局は、僕たちは結ばれなかったということである)。

***

新しい夏が始まろうとする今、僕は遠い「2つの夏」を回想してしまった。この記事が誰かを少しでも楽しませたか、興味深く読んでいただけたかは、まったく自信がない。

これから幾つもの夏を迎える少年少女に、そのなかで歓びや悲しみを得ていくのであろう彼ら彼女らに、どうか熱射病にだけは気を付けてほしいと、今一度、願う。そして、できれば「歓び」のほうを、多く獲得していただけたらとも願う。

よい夏を。

※<<>>内はMr.Children「こんな風にひどく蒸し暑い日」、ももいろクローバー「ココ☆ナツ」の歌詞より引用
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