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関ジャニ∞ 第一幕~第二幕

心から8人の活躍を願う私の葛藤

 私と関ジャニ∞の間には溝ができた。
 
 そう聞くと周りはどう思うだろうか?「ファンやめたの?」「もう好きじゃないの?」そうじゃない。私は今でも関ジャニ∞が好きだし簡単に嫌いになるような存在ではない。
 私は小学生のころから彼らを応援し続けてきた。ライブに行ったりCDを買ったり、自分なりに精一杯応援しエンターテインメントというものを追いかけ彼らに夢と生きる活力をもらい続けてきた。しかし、私と関ジャニ∞には溝が存在する。溝というのは大袈裟かもしれない。しかし、距離が詰まらないというのは事実であろう。
 そんな溝が少し小さくなった出来事がある。それは『十五祭』のライブDVDを見たことである。
 
 私はGR8ESTからライブに行っていない。それは渋谷すばるという存在が脱退してしまったことにより私の中にぽっかりと穴が空いたからだ。しかし、彼のソロには納得がいった。これまでと比べると異例であるメンバー同席での記者会見。理由も述べられファンとしては納得であった。しかし、私の中には穴が空いていた。矛盾しているのかもしれない。彼の歌声を、渋谷すばるというものを関ジャニ∞でもっと見たかったのかもしれない。

 そこから約一年後、私の中で6人の関ジャニ∞を受け入れライブに行きたいと思えるようになった。しかし、受験で断念。6人の関ジャニ∞が永遠に続くと思っていた。
 9月5日。本格的に溝が深まった。錦戸亮脱退。彼は何も言わずに9月末去った。関ジャニ∞を好きになったきっかけは錦戸亮だった。なぜ何も言わず渋谷の時のように語らないのか、どうして今なのか、なんですぐにツアーを発表するのか。また、ライブに行けばよかったと自分を責めた。
 そこから私は関ジャニ∞と距離を置いた。追いかけることもやめてしまった。幸い受験があったために自然と距離を置くことが出来た。
 私は錦戸亮最後の出演の映像作品として十五祭を購入した。しかし、見たいと思うことは無かった。そんな中受験も終わり、このコロナ禍の中見てみようと思った。実に購入してから3か月以上は経っていただろう。
 私はこの映像作品を見て、泣いた。涙が止まらなかった。今まで表面上の彼らしか見ていなかった自分が恥ずかしくなった。
 冒頭から関ジャニ∞の歴史が語られる。そこには、内博貴、渋谷すばるの姿も。ありのままの関ジャニ∞を映す姿に目が離せなかった。セットリストは今までの人気曲などで私の中では最高のセットリストだった。
 
 そして、アンコールの『十五祭シングルメドレー』。これはデビューからのシングルを追ったものであった。会場のモニターにはシングル曲のPVが映し出されている。そのPVは当時のままだ。私は泣いた。そこで涙が止まらなかった。関ジャニ∞を振り返るようだった。あっという間の本編だった。しかし、そこで終わりではなかった。映像作品ならではのエンドロールがある。そこで私は今までの涙を超えるほどの涙があふれ出た。
 『LIFE ~目の前の向こうへ~』は本編においても演奏されていた。エンドロールのBGMはその『LIFE ~目の前の向こうへ~』だった。しかし、エンドロールでは元の7人の音源だった。曲が流れた瞬間私はとめどなく感情があふれた。
  
 私はこの十五祭という作品を見て、ある種の関ジャニ∞の集大成が見えた。記者会見という場を設け既にソロ活動を始めた渋谷すばる。何も語らずに去った錦戸亮。また、道半ばで別れた内博貴。彼らに感謝をしているような、そんな感覚を覚えた映像だった。そして、何も語らず去る錦戸を送り出すかのようなライブであると思った。錦戸は何も語らなかったかもしれない。しかし、この十五祭が彼を送り出す機会だったのかもしれない。
 
 十五祭でひとつの区切り、関ジャニ∞第一章の終わりを感じた。今の5人の活動はきっと第二章なのだろう。私はそう十五祭から感じた。
   
 「永遠なんてない」関ジャニ∞から教わった。
  
 今はまだ、溝があるかもしれない。だが、素直に応援する気持ちがある。まだ、心のモヤモヤを拭う事なんてできないかもしれない。他のファンからしたら嫌な奴かもしれない。それでも私なりに徐々に咀嚼し受け入れていこうと十五祭を見て思った。

 私は、8人それぞれの活躍を心から願っている。
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