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「猫ちぐら」という「結界」

スピッツの穏やかさと安全地帯の勇ましさ

ライブに行きました、興奮して絶叫しました、汗まみれになりました、その場でしか味わえない一体感を得られました。

そういう類のレポートを、自分が書けたらいいなあ、そう思うことがある。

じつをいうと僕は、ライブというものが、あまり好きでない。「爆音を聴く」のだけが苦手という意味ではなく、テンションが低い、協調性に欠ける、スリルよりも安らぎを求める、バイタリティが足りない(きわめて疲れやすい)、そういうことである。

(例外的に「ライブ」に参戦して、体が凍りついて動けなくなるほどの「感動」を味わえたのは1度だけ。母校で催されたaikoさんの学園祭ライブ、そのアンコール、それくらいである。Mr.Childrenとスクーデリア・エレクトロのライブに出かけたことはあり、もちろん充実した時を過ごせはしたのだけど、我を忘れて叫びまではしなかった)

付け加えると、緊張するとトイレが近くなるので映画館なども苦手である。行列に並ぶことに大きなストレスを感じるので、遊園地なども好まない。新しい環境に飛び込む際には、期待より不安のほうを強く感じるので、あまり旅行にも行きたくない。

…上に挙げた各業界で働く方々に、お詫びを申し上げます、売上に貢献できずに申し訳ありません。ついでに白状するなら、雑誌「ロッキング・オン・ジャパン」を読むことは好きですが、催し「ロック・イン・ジャパン・フェスティバル」に行ったことはありません。本当にすみません。

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それなら何が好きなのか、何を人生に求めているのかと問われれば、わりに答えることは容易で、このように文章を書いたり、ベースを弾いたり(所属バンドの合同練習に向けて独りトレーニングに励む時間が好きである)、活字を追ったりしていたい。

人間が嫌いだということではない、書いた文章は誰かに読んでもらいたいし、ベースを練習するのは仲間と呼吸を合わせるためであるし、何かを読んだら同志と感想を交換したい。でも「それ以外」の目的で社交の場に出ることは極力、避けたいと思っている。

要約すると「内向的」ということになるかと思う。ものすごく悪く言えば「根暗」ということになるだろうし、無理に良く言うのなら「思想家肌だ」ということになるのかもしれない。

べつの生き方ができればな、べつの人格が備わっていたらなあと嘆くことは、加齢とともに減ってきたし、友人知己(極めて少ない)は「それで構わない」というスタンスをとってくれているので、まあ、このまま生きていくよりほかないのだろう。

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そんなことでマトモな社会生活を送れるのか、たとえば恋愛とかできるのかと、心配してくれる人(あるいは叱責しようとする人)がいるかもしれない。自分でも相当に心配ではある、客観的には「マトモな」それをできてはいないのだろう、そう思う。

それでもやはり(なんだか「一寸の虫にも」みたいですが)恋愛観のようなものは持っている。はい。持っています。スピッツの楽曲「猫ちぐら」に深く共感します。

<<作りたかった君と小さな>>
<<猫ちぐらみたいな部屋を>>

グッときます、涙腺が緩みさえします。

なにも僕は物理的に<<小さな>>場所をこしらえて、そこに恋人と閉じこもりたいわけではない。波長の合う女性と、互いの身勝手さを重んじながら、他人に侵されることのない心の調和、それを守っていけたらと願っているのだ。

いつも一緒にいなくてもいい、「猫ちぐら」に入れるのは一匹の猫だけかもしれない、ふたりで「そういう心的な安全地帯」を作り上げて、かわりばんこに使いたい。相手が疲れ果てた時に「猫ちぐら」を譲り合えるような、そんな関係性を保ちたい。そう思っている。

我ながら随分と厚かましいことを望んでいるなあ。

それでも僕は<<不器用に丸いにぎり飯>>を差し出されようと文句など言わないし、何なら自分が(旨く作れるかはともかく)料理をしてもいい。そして当方の趣味や嗜好を全面的に理解してほしいなどとは露ほども思わないし、興味がない番組は興味がないなりに楽しめるので、テレビのチャンネル争いなどは僕との間には起こりえない。<<パラレルな世界>>を一緒に生きていきたい。

ややこしいラブレターみたいな、へんな記事になってきたなあ。

ただ思うのは、人間は常に「猫ちぐら」のなかにいることはできないし、その穴は「入るため」にだけでなく「出るため」にも用いられるのだということである、当たり前のことを言うようだけど。「猫ちぐら」は束の間、心身を休めるための場所であり、「態勢が整えば旅立ってもいいよ」と(静かに)語りかけてくれる場所でもあるはずだ。

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安全地帯の楽曲に「結界」というものがある。スピッツの楽曲「猫ちぐら」が「安らげる居場所」を意味するのだとしたら、それは「結界」だと言い換えることが可能だろう。それでも安全地帯の奏でる「結界」は、むしろ「それ」を打ち破ろう、果敢に生きていこう、そんなことを呼びかける勇ましい歌である。

<<いつまでそうしてるつもりだ>>
<<早く起きてゆきなさい>>

この歌い出しだけを聴くと、本曲は、いくぶん厳しい、叱咤のメッセージ・ソングのようにも思える。ぐずぐずと何処かにとどまる人、惰眠をむさぼる人、そうした人たちに喝を入れるような作品に感じられる。

それでも安全地帯は、次第に「その道中」を歩もうとする人への連帯の意識、肩を貸そうとする気概、そういったものを見せもするのだ。

<<走ってゆけ 負けたっていいから>>
<<涙がでるのは 愛があるから>>

失敗の可能性があるから、それを「チャレンジ」と呼ぶのだと思う。時として泣いてしまうからこそ、その人は「人間」なのだと考える。安全地帯が用意したのは「つまずいた弱き人間」を守るような「結界」なのではないか。そうなのだとしたら、僕にとって「安全地帯」というバンドは、まさに「安全地帯」だ。人生という「路上」に用意された、優しき逃げ場所に他ならない。

<<「淋しさ」だって 「また逢う日」のためさ>>

多様な解釈を赦してくれるフレーズだと思う。僕というひ弱な人間が、本来的には好まない場所へと(敢えて)歩み出て、そのなかで<<淋しさ>>を味わったとしても、それはもしかすると「好きなものをどれほど好きか」を再認識させる好機、<<また逢う日>>の待ち遠しさを噛みしめられる時間、そう受け止めうるはずだ。

***

いま僕は「猫ちぐら」という「安全地帯」を作ることを試みながら、比喩的に言えば風雨にさらされている、騒音に取り囲まれている。汗を流さなければ掘れない穴があるように、涙を流さなければ作りえない場所があるのではないか。

<<「一厘」の「勇気」を持って>>
<<明日はちょこっと違う景色描き加えていこう>>

僕は<<一厘>>の<<勇気>>をさえ持っていないかもしれない。人生に負けて、寒さに震えることになるかもしれない。それでも、僕自身が「猫ちぐら」を作れなくても、「結界」まで辿り着けなくても、スピッツと安全地帯のメロディーが、いつの日も温かく降り注いでいる。

※<<>>内はスピッツ「猫ちぐら」、安全地帯「結界」の歌詞より引用
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