4121 件掲載中 月間賞毎月10日発表
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

シングルから読み解く33と1/3年前のサイン・☮・ザ・タイムズ

来月スーパー・デラックス・エディションが発売となるプリンスの最高傑作アルバムについて

 33と1/3年程前の春のこと。13年前に閉店してしまった横浜元町のタワーレコード横浜で新譜の12インチ・シングルが詰まった箱を漁っていると、目を引くジャケットがありふと手を止めた。白いジャケットにでっかい黒のハートを持った女性の横に、“PRINCE SING “☮” THE TIMES”と水色で書いてある。「プリンス・シング・ザ・タイムズ?」とSIGNとSINGを読み間違えて「変なの」とか思ってスルーしそうになったが、プリンスの新作がそろそろ出るらしいというのは耳にしていたので、念のためジャケットをひっくり返してみると、彼のレコード・レーベルであるPaisley Parkのロゴが。勿論即買い。家に帰って期待に胸を膨らませてその英国盤のレコードに針を落として聴こえて来たその曲は、意外と淡々としていた。「ふむふむ、今度はこういうサウンドで来たか。」という感じで、例えば“Kiss”を初めて聴いた時のような衝撃はなかったのだが、実のところスルメ曲であり聴けば聴くほど味が出た。後にこの曲の歌詞を斬新に映像化したミュージック・ビデオ(現在では、ごく普通に発表されることとなっているリリック・ビデオのはしりだ)で、“Kiss”とはまた別の衝撃を受けた。1999年に生まれた息子には、同曲の歌詞に登場する男の子の名前を付けてしまった(←少しは躊躇しろ)のだから、推して知るべし。プリンスが亡くなった後に「名付け親を亡くした感じだ」と言っていた息子は、その後プリンスの遺産分与を求めて親族を名乗る人物が700人も出て来たというニュースを聞いた時、「こんな奴等より、俺の方がよっぽど家族だ。俺は名乗りを上げたりしないけどな!」と憤慨していた。この曲は、彼の最高傑作との評価も高いアルバム『サイン・☮・ザ・タイムズ』(来たる9月25日、スーパー・デラックス・エディションは92曲入りのCD(8枚組)やLPレコード(13枚組)に、未発表ライヴ映像のDVDを付けて発売されるという/勿論予約済だ)からの第1弾シングルだった。米国のポップ・チャート(Billboard Hot 100)では3位、ブラック・チャート(Billboard Hot R&B)では堂々の1位を記録した。カップリング曲(B面曲)は、アルバム未収録のアップテンポのダンス・ナンバー“La, La, La, He, He, Hee(Highly Explosive)”だった。12インチ・シングルでは10分に及ぶ曲だ。

 2ndシングルは、私自身は度肝を抜かれたまさかの“If I Was Your Girlfriend”。ただでさえ、そのルックス/ファッション/メイクから下世話な記事では面白おかしく同性愛者疑惑的枕言葉を付けられたこともあった彼が、入魂のアルバム・リリースをサポートするはずの重要なタイミングに選んだのが、カニエ・ウェストがやる遥か前からヴォーカルの回転数を上げて中性的な声(プリンスの数ある変名のうちでも有名な「Camille」の声)で丸々1曲を歌い上げた「もし、僕が君のガールフレンドだったら」、っておいっ!いや、繊細な歌詞が練り込まれた素敵な曲であることは間違いない。大好きな女性が双子の姉妹で、彼女たちの仲の睦まじさにインスパイアされて書いた曲と言われている。一説が正しければ、大好きな女性とは、ひとつ前のアルバム『PARADE』及び1986年の来日公演をもって解散した彼のバンドThe Revolutionのメンバーのギタリストのウェンディの双子の姉妹であるスザンナである。事実(?)は歌詞よりも奇なりなのだ。というよりも、プリンスが、その特殊な状況をより普遍的なものとして生み出した曲が“If I Was Your Girlfriend”だった。そして、それが「大衆に訴えかける」というよりも、受け手側のパーソナルな状況に当てはまってしまったりするのだ。プリンスが意図的にそれを行っていたのか、天然なのかはわからない。でも、「聴く人に委ねる」というのは、心掛けていたのではないかと思う。時としてそれは、彼の実際の信条とは外れた範囲であったかもしれない。でも、聴く側のイマジネーションやファンタジーを制限したり「決めつける」ことはしまいとしていたのではないだろうか。彼の曲は、それだけ普遍性があったし、それを許す大きな作品であった。

 卑近な例で恐縮だが、プリンスの最期の来日公演でのZepp Sendaiのライヴ中、観客をステージに上げるという状況があった。最前列でかぶりついていた私は、すぐ隣の女性がプリンスと対話しているのを間近で見ていた。言葉を交わすというより、アイコンタクトやジェスチャーで「君は別の日に上がったから駄目だね(にっこり)」というような、愛すべき時間で、「あぁ、いいもん見せてもらった」という感謝と「女性はいいなぁ」というちょっとした嫉妬が同時に生まれた。挙句に「あっ、これって、もしかしてIf I Was~?」などと考え、きっとプリンス本人も想像していなかったであろう展開に、我ながら笑ってしまった。こんなヘンテコな想いはともかく、あらゆる引き出しを開けまくり、膨大な作品を残した(そして、未発表曲の数も膨大な)のが彼だ。彼が亡くなった後に、私が特に感銘を受けたザ・ルーツのクエストラヴやフランク・オーシャン以外にも、本当にたくさんの有名人、アーティスト達、あるいはたくさんのファン達が彼の死を悼んだが、それぞれの人生に彼の曲達でハッとする瞬間の積み重ねがあったのだろう。因みに、“If I Was Your Girlfriend”は、ポップ・チャートでは67位、ブラック・チャートでは12位だった。この曲のカップリング曲(B面曲)もアルバム未収録で、ファンク・ナンバー“Shockadelica”で、私が好きなプリンスのシングルB面曲ベスト10に入る格好良い曲だ。この曲も全編Camille声で歌われている。

 3rdシングルは、“If I Was Your Girlfriend”のポップ・チャートでの不振を払拭すべく(?)シングル・カットされた必殺“U Got The Look”。シーナ・イーストンとのデュエット曲で、コンサート映画『サイン・☮・ザ・タイムズ』の中でも、夢落ち設定できちんとしたミュージック・ビデオが製作され、ポップ・チャートで2位、ブラック・チャートでも11位と目論見通りの大健闘をした曲だ。同曲のポップ・チャートの1位はリサ・リサ&カルト・ジャムに阻まれ、翌週はリサ・リサを抜いたものの、マイケルとマドンナに抜かされ3位となっている(マイケルもマドンナも好きだったが、それでもやっぱりプリンスは特別なので当時の私は地団駄を踏んでいた)。最高ランクがポップ・チャートとブラック・チャートでひっくり返ったポップ・ヒット“U Got The Look”には、アルバムからの強力なラップ曲“Housequake”がカップリングされている。また夫々7分前後に及ぶ、A面曲の(Long Look)とB面曲の(7 Minutes MoQuake)が、12インチ・シングルやマキシ・カセット・シングルで販売されていた。これまたA/B面の両曲とも全編Camille声。この「全編」というのが徹底している。まぁ、元々Camille名義で丸々一枚アルバムを作ろうしていた人だからね。Camilleの声を上では「中性的」と書いたが、プリンスの声を表す言葉としては「両性的」の方が正しいのだろう。♂♀を組み合わせたラヴ・シンボル・マークを名前にしちゃうくらいだし。実態は単なる、いや非凡な女好きなのであろうが。

 4thシングルは“I Could Never Take The Place Of Your Man”でポップ・チャート最高位10位まで上昇した。その昔シンディ・ローパーが大ヒットしたデビュー・アルバム中で唯一取り上げたカバー曲でありフランク・オーシャンの大のお気に入りの曲である“When You Were Mine”と似たタイプの、小気味良いポップなロックン・ロール・ナンバーだ。来たるスーパー・デラックス・エディションでは“I Could Never Take The Place Of Your Man”の「1979 version」が収録されるということも驚きだった。そんな昔に作っていたんだ。そしてこの曲は、ブラック・チャートにはエントリーしてこなかった。「え?何で?」「やっぱりロックン・ロールは、例えプリンスであっても今のブラック・チャートには入ってこないのか?」「あんなにロックしてた“Let’s Go Crazy”は、ブラック・チャートでだってNo.1になったのに。。。」と思ってやきもきしながら待つこと1カ月、当時リアルタイムでチャートを追っかけていた身としては結構衝撃的な展開があった。シングル・カップリング曲(B面曲)であるエレクトリック・ファンク・ナンバー“Hot Thing” がブラック・チャートにエントリーしてきたのだ!「おぉ、この手があったか」と私はまず感心した。シングルB面に未発表曲を収録することが他アーティストよりも多いプリンスだが、アルバム『サイン・“☮”・ザ・タイムズ』から「対照的な2曲」をカップリングしてカットしてくるのは上述の第3弾シングル:アルバムからの最大のポップ・ヒット“U Got The Look”と強力なラップ曲“Housequake”で既に行われていたので、プリンスはその時点でこういう事態:ポップ・チャート向けのシングルとブラック・チャート向けのシングルのカップリングを準備していたのかもしれない。
 結局“Hot Thing”はブラック・チャート14位まで上昇し、ポップ・チャートでも第5弾シングル的位置づけでエントリーして63位まで上昇した。63位と言ったら第2弾シングル“If I Was Your Girlfriend”の67位よりも上なわけで、まぁそういう送り手(アーティスト/レコード会社)と受け手(聴衆・ファン)の思惑が一致しないところもチャートの面白いところではあった。あるいは、そこでの反省も踏まえての第3弾シングルからの戦略だったのかもしれない。“Hot Thing”は当初はカップリング曲だったわけだが、その後単独でプロモーション用12インチ・シングルも作られたし、Billboard誌のクラブ・プレイ・チャートでも“I Could Never Take The Place Of Your Man/Hot Thing”のクレジット4位まで上昇した。これは実態としてはA面よりも“Hot Thing”の方が良くかかっていたと思われるし、明らかに今までになかったタイプの外部の売れっ子大物リミキサー「シェップ・ペティーボーン(Shep Pettibone)」の手による気合いの入ったリミックスも印象的だった。シェップ・ペティーボーンは“Hot Thing”の前に購入したりレンタル・レコードで借りていたリサ・リサ&カルト・ジャムや、ペット・ショップ・ボーイズ、レベル42、マイアミ・サウンド・マシーン、ニュー・シューズ(Nu Shooz)、そしてマドンナやニュー・オーダー、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース、シンディ・ローパー、RUN-DMC、ジャネット・ジャクソン、ジョージ・マイケル、ホイットニー・ヒューストン、テレンス・トレント・ダービー等の有名どころのリミックスに軒並み名を連ねていた人で、プリンスが“U Got The Look”のデュエット相手、シーナ・イーストンに提供した曲“Eternity”が12インチ・シングルになった際のリミックスもシェップだったので「本丸のリミックス、キターッ!」(当時はこんな言い方はしなかったが)と遂にプリンスが外部リミキサーを自分の作品に採用し、しかもそれがシェップであることに興奮したものだ。因みに“Hot Thing”では、リミックス(Additional Production and Remix)をシェップが行い、Editはこの後プリンス(及び関連アーティスト)と更に多く仕事をすることになるジュニア・ヴァスケス(Junior Vasquez)がシェップ自身と共に務めている。“Hot Thing”は、ライヴ映画『サイン・☮・ザ・タイムズ』での映像がこれまた素晴らしい。Camille名義でもないのに何故かマイク音声をリアルタイム処理して、Perfumeよりも、カニエ・ウェストよりも、ダフト・パンクよりも、いや1998年のシェールよりも10年以上早く(?)オートチューン仕様というか人工的な声を響かせているのが踊りまくりのパフォーマンスと相まって強烈な印象を与えてくれる。
今後のことを書くと、来たる『サイン・☮・ザ・タイムズ』のスーパー・デラックス・エディションに収録されるというStrange Relationship (1987 Shep Pettibone Club Mix)も楽しみでしょうがない。

 さて、実は上述の書き殴りの核となる部分、「第4弾シングルにおけるプリンスのポップ・チャートとブラック・チャートにおける葛藤(?)」(←勝手に私が決めつけている)については、32年以上前の1988年1月の頭に私がプリンス・ファン・クラブの会報の原稿『BLACK☮PRINCE』に書いたものだ(誤字も当時のまま)。その手書き原稿で私は最後の方にこう書いた。

 > あのギンギンのLet’s Go CrazyはたぶんPOPとBLACKの両方を制しただろうが
 > 今、I Could Never Take The Place Of Your Manにそこまでは望まない。
 > ただPRINCEにもあまり気を使って欲しくない。彼は自信を持って進めるのだ。
 > THE BLACK ALBUMを今彼がどういうつもりで出すのか僕に偉そうには
 > 言えはしないが、これは彼がBLACKのPRINCEである事を示すものであると供に
 > “より振っ切った”その次のALBUMの為にも必要なものなのかもしれない。

 当時はまだ日本では『ブラック・アルバム』の発売中止が案内される前で、その後の『LOVESEXY』の発表などは伺えなかった状況だった。だが、結局プリンスは、どす黒い『ブラック・アルバム』を封印し、自らのオール・ヌードをジャケットにした『LOVESEXY』を発表する道を選んだ。

 今年発売されたプリンスの回顧録『THE BEAUTIFUL ONES』(DU BOOKS)の中で、編集を担当したダン・パイベンプリング氏は下記のような記載をしている。

 > 音楽業界は最初からブラック・ミュージックを別枠で扱ってきた、と彼は私に言った。
 > 彼らは黒人アーティストを「黒人層」に向けて宣伝し、黒人層で人気が出たら、
 > 「クロスオーヴァー」を狙っていた。ビルボード誌は、この部分を評価・数値化する
 > ために、まったく必要のないブラック・チャートを作り、それが今日まで続いている。
 > ただし、「ブラック・チャート」は現在、「R&B/ヒップホップ」チャートと婉曲的に
 > 表現されている。
【押野素子さんの訳より/2行目以降はプリンスの直接の言葉かダン氏がプリンスに「気づかされた」ことかは不明】

 また、直接この文の後に出て来る言葉ではないのだが、同じ章に出て来た印象的なプリンス自身の言葉があった。

 > 「走ることを学ぶ前に、歩くことを学ばなきゃいけないって言う人は多いけれど、
 > それって僕には奴隷の言葉に聞こえる。奴隷が言いそうなセリフだろう。」
【押野素子さんの訳 ※自分が抜粋しておいてなんですが、デリケートな言葉なのでこの部分のみで判断はせず、『THE BEAUTIFUL ONES』を読んで各々で考えてみて欲しいです】

 『サイン・☮・ザ・タイムズ』発表当時の1987年に大学生だった私は、『黒人アーティストを「黒人層」に向けて宣伝し、黒人層で人気が出たら、「クロスオーヴァー」を狙っていた』という構図自体は認識していても、それはそういうものなんだろうとすんなり受け入れていた。寧ろ、ブラック・チャートはポップ・チャートよりも自分好みの先鋭的なチャートと感じていて、DJでもないくせにアルバムよりも、好きな曲の12インチ・シングルを買う(あるいはレンタルしてダビングする)ことに重きを置いていた私は、大切な指標としていたものだった。プリンスの曲のポップ・チャートでの順位がブラック・チャートよりも振るわないと、「わかってないなぁ」とか毒づいていた。

 ブラック・チャートがネガティヴな機能しか持っていなかったとは思わない。ジャンル分けには、一長一短があるものだ。

 良い点の筆頭に挙げられるのがアクセスのし易さ。特にレコード・CD店で新譜をチェックする時に、ある程度のジャンル分けもされていなくて洋邦全ジャンルが全部同じ箱や棚にぶち込まれていたら、週一以上に通っていたような時期ならまだしも、今だと途方に暮れてしまうかもしれない。実際は両方の12インチの箱を見るにしても、R&BとHip Hopだって分けられていた方が都合が良い。

 それに音楽だから当然嗜好の問題がある。私は両方とも好きだったが、ポップ・チャートに目もくれずにブラック・チャートあるいはブラック・ミュージックをひたすら愛し続ける人たちだって相当数いるし(逆もまたしかり)、それは敬意を払われるべきことだ。そういう人達にとってポップ・チャートは「玉石混交」というより、ほとんど石ばっかりということになるだろう(逆もまたしかり)。勿論私だって、何でも片っ端から聴けていているわけでは全くない。

 また、ブラック・チャートからポップ・チャートへマーケットが広がることに常に付きまとってきたこととして「セルアウト」と揶揄される点がある。マイケル・ジャクソンしかり、プリンスだってそうだった。かなり昔々の話になるが、後年相思相愛の関係となったあのチャックD(パブリック・エネミー)ですら「プリンスは俺たちのブラザーではない」みたいな物言いをしたことがあったと記憶している。まぁ、プリンスやマイケルともなると「奴らは別格」という意味も少なからずあっただろうが、単純に肯定的な意味だけでもなかったのはヒシヒシと感じていた。「セルアウト」と言う言葉は、現在あるいはひと昔前であればヒップホップのシーンで特に頻繁に使われていたものだ。

 だからこそ、『サイン・☮・ザ・タイムズ』からの第4弾、第3弾シングル・カットで単純に曲が好きだという気持ちとは別に、何となくブラザーへの気遣いのようなものを感じて嬉しいような哀しいようなちょっと複雑な気持ちにもなった。

 キング牧師の有名な演説『I Have a Dream(私には夢がある)』の一節には、「I have a dream that my four little children will one day live in a nation where they will not be judged by the color of their skin but by the content of their character.(私には夢がある、私の4人の子供達がいつの日か肌の色ではなく、人格そのもので評価される国に生きるという夢が)」という一節があるが、それを多分に意識したであろうプリンスの発言に「~and when I was younger I always said that one day I was going to play all kinds of music and not be judged for the color of my skin, but the quality of my work.(僕は若い頃いつも「僕はいつの日か全ての種類の音楽を演奏して、僕の肌の色ではなく、作品の質で評価されるようになるんだ」って言っていた)」【1985年のアルバム『アラウンド・ザ・ワールド・イン・ア・デイ』からのシングル“AMERICA”のミュージック・ビデオ撮影時に収録されたMTVのインタビュー映像より】というものがある。

 落ち着いた声で素晴らしい回答をするこの発言には、まずインタビュアーが「貴方が『パープル・レイン』でホワイトのロック・オーディエンスにセルアウトして、ブラックのリスナーを置き去りにしたと批判する人もいますが、それにはどう答えますか?」と言うのが発端だった。それまで穏やかに、寧ろ所々ゆっくりと考えながら丁寧に答えていたプリンスが食い気味で「Oh, come on. Come on!(おいおい、やめてくれ。やめてくれ!)」と言い、ニヤリと笑いつつ咳払いをした後にいきなりジェイミー・スター(プリンスが昔プロデュースやソングライターを務めた時に使った変名で、ザ・タイムのモーリス・デイみたいないかにもなコメディアンっぽい口調が特徴)が憑依したかのような小芝居モードに切り替わり、カメラ目線で手元のカフスを指さしながら「こういうカフスには金がかかるんだよ、わかる?ぶっちゃけよう、ぶっちゃけていいかい?もし何もぶっちゃけることができないとかいうのなら、やっぱりぶっちゃけてしまった方が良いのかもしれない。いいかい?」という訳している私も良くわからないが可笑しな前振りからの流れがあってのものだった。私は、プリンスのこういうところが大好きだ。

 厳密に言えば上の状況とは一括りにはできないのだが、『ザ・ブラック・アルバム』と『LOVESEXY』の二面性もしかり。7月8日に音楽文に掲載していただいた「MPLS:かつて私が訪れたミネアポリスという街」で言及した“ドリーマー(DREAMER)”と“ボルティモア(BALTIMORE)”もしかり。そして、上の2例についてプリンスの本音が前者か後者かのどちらに近いのかと言えば、真実は後者なのだろう。でも、前者の部分を経た上での後者というのと、最初から後者しか視界にないというのとは深みが違うと思うのだ。
 
 米国の「市場」で言うと、「ヒップホップ/R&B」の売上が「ロック」の売上を上回ったのが2017年。調査会社ニールセンのジャンル分けでいうと、市場における「ポップ」の占める割合というのは意外と少ない。そこが「ポップ」の奥深い/罪深いところであり、「皆に親しまれている」とか「総合的な」という意味合いもあるので一筋縄ではいかない。ビルボードの集計方法も時代に合せて色々と変わり、シングル・カットされなくてもストリーミング数が多ければチャートにエントリー可能になったため、現在52歳の私が中学生の頃から続いている『billboard TOP40』(長寿音楽番組ギネス世界記録)では、アルバム発表週にどっかんどっかんアルバム収録曲(≠シングル曲)がTOP40入りしてくるのは明らかにヒップホップが多い。この話を書き出すと、「グラミー賞」についてや「アーバン」という言葉についても触れたいところだがとても字数が足りないので、ある日の我が家のYouTube画面の「音楽」での「あなたにおすすめのジャンルとムードのステーション」表示で締めさせてもらう(名前が2回出て来るのも、表示のまま)。

 > 「ロック」プリンス など
 > 「ポップ・ミュージック」プリンス など
 > 「ファンク」プリンス など
 > 「ソウルミュージック」プリンス、プリンス など
 > 「リズム・アンド・ブルース」プリンス など

プリンス、あんたやっぱり最高だ。
  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい