koboreの「FULLTEN」をみた
アルバム『風景になって』発売に寄せて
2020年8月18日
7
8月4日。私は地元のCDショップでkoboreの2ndフルアルバム『風景になって』をフラゲした。
このアルバムに収録されている楽曲たちは、発売日の0:00からサブスクで配信されることは知っていたが、少しでも早く彼等の音楽を自分の耳で感じたかった。
パソコンにCDを取り込んで再生ボタンを押す。
1曲目の『FULLTEN』を聴いた瞬間、強い風が確かに私を包んだ。
エアコンが機械的に吐き出す冷たい風でもなく、10月の夕暮れ時にそっと頬を撫でるような生ぬるい風でもない。
それは確かに熱く、まるでライブハウスの熱量を感じさせるような風だった。
この曲はアルバムの発売前にMVが公開されていたのだが、それで聴いたときとはまるで違う感覚だった。
きっと、「アルバムの1曲目」としてこの曲を聴いたからだと思う。
アルバム『風景になって』は、koboreにとってのメジャーデビューアルバムだ。
『FULLTEN』のMVの最後で、日本コロムビアからのデビューが発表されている。
ずっと応援しているバンドが、メジャーデビュー。
喜ばしいことの筈なのに、「メジャーデビュー」という言葉だけでどこか距離を感じてしまっていた。
「あのバンドはメジャーに行って方向性が〜」とか、「会場のキャパも大きくなって〜」とか、よく聞く話だ。
ドラマや映画のタイアップも多くなるだろう。どんどんバンドとしての名が知れ渡って、ファンが増えて、会場もアリーナクラスになっちゃったりして。
嬉しいけれど、存在が遠くなってしまう。
そんな寂しさが何処かにあった。
しかし、そんな私の心を見透かしたかのように、この曲中でVo.佐藤はこう歌う。
〈歌うしかない 叫ぶしかない / 僕にはこれ以外できやしないよ〉
〈メジャー インディー 売れる 売れない / んなもんに左右される音楽なら / 最初からいらない 左右されるつもりもない〉
震えた。熱い風に包まれながら、自分の目を開けているのに必死だった。
1分半の短い曲だ。ぼうっと聴いていたらすぐ終わってしまう。
ただ私はこの1分半で、メジャーデビューアルバムの1曲目にこの曲を選択した彼等の、強く変わらない想いを受け取った。
「メジャーもインディーも関係ない、自分たちが歌いたいものを叫ぶ。」
イヤホン越しから、こう叫ばれているような気がした。
そもそも「FULLTEN」とは、ギターアンプのすべてのツマミを、最大の10に回しきった状態のことをさす。爆音でギターが鳴る、そんなイメージだ。
そういえば、最後に「FULLTEN」の音楽を浴びたのはいつだろうか。
ぎゅうぎゅうのライブハウスで、拳を突き上げる。帰り道の耳鳴りが気持ち良いような、あの感覚。
早くあの狭い箱でkoboreの音楽を浴びたいなぁと、そんなことを思いながらアルバムを手に取ったっけ。
アルバムを聴き進めて、5曲目の『イヤホンの奥から』を聴き終わったとき、私は泣いていた。
〈週刊誌1ページで人生は壊れる〉
という衝撃的な歌い出しからこの曲は始まる。
〈顔の見えない奴らの暴言と陰口〉
〈本当"自由"ってなんなんだ?〉
SNSという、"自由"に言葉を吐くことができるツールの発達によって、私たちはいとも簡単に人を傷つけることができるようになってしまった。
私と、私の大切な人たちをそんなことで失いたくはない。私にも、そんなことを考えていた時期があった。
〈大事にしたいものなんか結局目に見えないから / 小せぇの 気にする事はないZE〉
〈涙だって 命だって あいつらなんかに / あげる必要はない / イヤホンの奥から俺がなんだって / ぶっ壊してやる〉
頼もしい。頼もしすぎる。
ぜんぶぶっ壊してくれるんだ、彼等が。
4人の力強い演奏がイヤホンを揺らした。
koboreの音楽に自分のすべてを預けてみようと、そう思えた。
「負けないで」、「頑張れ」。こう歌うアーティストは少なくないが、koboreはそうじゃない。
等身大で、ありのままを”イヤホンの奥から”叫んでくれるのだ。
だからこそ説得力があるし、共感を生む。
この曲に救われる人はごまんといるはずだ。私もそのうちの1人である。
9曲目の『二人だけの世界』は、
〈君がいるとさこの世界の全部が / 綺麗に綺麗に見えるんだ〉
という、ギターとボーカルだけの優しい歌い出しから始まる。
〈ベランダは海になって天井は夜空になって / 人混みは花になって〉
〈心は瞳になって街灯りは星になって / 日々はダイヤになって〉
〈争いも規則も無い世界で / 手を繋いで抱き寄せあって〉
どうやったらこんなにも繊細な歌詞が書けるのだろうか。
余りにも幻想的で、美しい。
「“君”とだったら、この汚い世界すらも綺麗に見える。」
そう歌っているみたいだ。
汚れた世界を歌う『イヤホンの奥から』と、まっさらで綺麗な世界を歌う『二人だけの世界』、この2曲を同じアルバムに収録するという、彼等の強いメッセージのようなものを感じる。
このアルバムのラストを飾るのは、『当たり前の日々に』という曲だ。
もともと、2016年に会場限定販売されたdemoCD『ヨルノカタスミ』(既に廃盤となってしまっている)に収録されていた曲であるが、それを再録したものである。
〈最後には消えちゃうんだ僕は / だから今笑わずいつ笑うんだよ?〉
このコロナ禍で、必要以上に落ち込むことが増えた。
「当たり前の日々」が「当たり前」ではなかったことを知って、後悔することもあった。
そんな中で、短い”いま”という時間を大切に、と、改めて心に訴えかけてくれた曲だ。
こういう状況になって初めて気付けたことも、きっとたくさんある。
そんなポジティブなナンバーでこのアルバムは締め括られている。
(CDのみに収録されている『動け、僕のラブマシーン』は省略することにする。)
このアルバムで、私はkoboreの「FULLTEN」を見た。
彼等のボルテージは10どころじゃない、15くらいに振り切っている。
メジャーバンドになったとしても、変わらずイヤホンから、そしてライブハウスから音楽を届けてくれる。そう確信した。
そんな、変わっても変わらない彼等が大好きだし、これを機にkoboreの魅力に気付く人がもっと増えたらいいなとすら思う。
このアルバムに収録されている楽曲たちは、発売日の0:00からサブスクで配信されることは知っていたが、少しでも早く彼等の音楽を自分の耳で感じたかった。
パソコンにCDを取り込んで再生ボタンを押す。
1曲目の『FULLTEN』を聴いた瞬間、強い風が確かに私を包んだ。
エアコンが機械的に吐き出す冷たい風でもなく、10月の夕暮れ時にそっと頬を撫でるような生ぬるい風でもない。
それは確かに熱く、まるでライブハウスの熱量を感じさせるような風だった。
この曲はアルバムの発売前にMVが公開されていたのだが、それで聴いたときとはまるで違う感覚だった。
きっと、「アルバムの1曲目」としてこの曲を聴いたからだと思う。
アルバム『風景になって』は、koboreにとってのメジャーデビューアルバムだ。
『FULLTEN』のMVの最後で、日本コロムビアからのデビューが発表されている。
ずっと応援しているバンドが、メジャーデビュー。
喜ばしいことの筈なのに、「メジャーデビュー」という言葉だけでどこか距離を感じてしまっていた。
「あのバンドはメジャーに行って方向性が〜」とか、「会場のキャパも大きくなって〜」とか、よく聞く話だ。
ドラマや映画のタイアップも多くなるだろう。どんどんバンドとしての名が知れ渡って、ファンが増えて、会場もアリーナクラスになっちゃったりして。
嬉しいけれど、存在が遠くなってしまう。
そんな寂しさが何処かにあった。
しかし、そんな私の心を見透かしたかのように、この曲中でVo.佐藤はこう歌う。
〈歌うしかない 叫ぶしかない / 僕にはこれ以外できやしないよ〉
〈メジャー インディー 売れる 売れない / んなもんに左右される音楽なら / 最初からいらない 左右されるつもりもない〉
震えた。熱い風に包まれながら、自分の目を開けているのに必死だった。
1分半の短い曲だ。ぼうっと聴いていたらすぐ終わってしまう。
ただ私はこの1分半で、メジャーデビューアルバムの1曲目にこの曲を選択した彼等の、強く変わらない想いを受け取った。
「メジャーもインディーも関係ない、自分たちが歌いたいものを叫ぶ。」
イヤホン越しから、こう叫ばれているような気がした。
そもそも「FULLTEN」とは、ギターアンプのすべてのツマミを、最大の10に回しきった状態のことをさす。爆音でギターが鳴る、そんなイメージだ。
そういえば、最後に「FULLTEN」の音楽を浴びたのはいつだろうか。
ぎゅうぎゅうのライブハウスで、拳を突き上げる。帰り道の耳鳴りが気持ち良いような、あの感覚。
早くあの狭い箱でkoboreの音楽を浴びたいなぁと、そんなことを思いながらアルバムを手に取ったっけ。
アルバムを聴き進めて、5曲目の『イヤホンの奥から』を聴き終わったとき、私は泣いていた。
〈週刊誌1ページで人生は壊れる〉
という衝撃的な歌い出しからこの曲は始まる。
〈顔の見えない奴らの暴言と陰口〉
〈本当"自由"ってなんなんだ?〉
SNSという、"自由"に言葉を吐くことができるツールの発達によって、私たちはいとも簡単に人を傷つけることができるようになってしまった。
私と、私の大切な人たちをそんなことで失いたくはない。私にも、そんなことを考えていた時期があった。
〈大事にしたいものなんか結局目に見えないから / 小せぇの 気にする事はないZE〉
〈涙だって 命だって あいつらなんかに / あげる必要はない / イヤホンの奥から俺がなんだって / ぶっ壊してやる〉
頼もしい。頼もしすぎる。
ぜんぶぶっ壊してくれるんだ、彼等が。
4人の力強い演奏がイヤホンを揺らした。
koboreの音楽に自分のすべてを預けてみようと、そう思えた。
「負けないで」、「頑張れ」。こう歌うアーティストは少なくないが、koboreはそうじゃない。
等身大で、ありのままを”イヤホンの奥から”叫んでくれるのだ。
だからこそ説得力があるし、共感を生む。
この曲に救われる人はごまんといるはずだ。私もそのうちの1人である。
9曲目の『二人だけの世界』は、
〈君がいるとさこの世界の全部が / 綺麗に綺麗に見えるんだ〉
という、ギターとボーカルだけの優しい歌い出しから始まる。
〈ベランダは海になって天井は夜空になって / 人混みは花になって〉
〈心は瞳になって街灯りは星になって / 日々はダイヤになって〉
〈争いも規則も無い世界で / 手を繋いで抱き寄せあって〉
どうやったらこんなにも繊細な歌詞が書けるのだろうか。
余りにも幻想的で、美しい。
「“君”とだったら、この汚い世界すらも綺麗に見える。」
そう歌っているみたいだ。
汚れた世界を歌う『イヤホンの奥から』と、まっさらで綺麗な世界を歌う『二人だけの世界』、この2曲を同じアルバムに収録するという、彼等の強いメッセージのようなものを感じる。
このアルバムのラストを飾るのは、『当たり前の日々に』という曲だ。
もともと、2016年に会場限定販売されたdemoCD『ヨルノカタスミ』(既に廃盤となってしまっている)に収録されていた曲であるが、それを再録したものである。
〈最後には消えちゃうんだ僕は / だから今笑わずいつ笑うんだよ?〉
このコロナ禍で、必要以上に落ち込むことが増えた。
「当たり前の日々」が「当たり前」ではなかったことを知って、後悔することもあった。
そんな中で、短い”いま”という時間を大切に、と、改めて心に訴えかけてくれた曲だ。
こういう状況になって初めて気付けたことも、きっとたくさんある。
そんなポジティブなナンバーでこのアルバムは締め括られている。
(CDのみに収録されている『動け、僕のラブマシーン』は省略することにする。)
このアルバムで、私はkoboreの「FULLTEN」を見た。
彼等のボルテージは10どころじゃない、15くらいに振り切っている。
メジャーバンドになったとしても、変わらずイヤホンから、そしてライブハウスから音楽を届けてくれる。そう確信した。
そんな、変わっても変わらない彼等が大好きだし、これを機にkoboreの魅力に気付く人がもっと増えたらいいなとすら思う。
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