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「ひとり」を描く人と「ひとり」を歌う人たちが出会ったその先に

谷川史子作品の中で感じられるBUMP OF CHICKENの唄

すべての作品を読破し、尊敬している漫画家の先生がいる。それは谷川史子先生。デビューして30年以上、今もずっと第一線で活躍し続けている。シンプルで柔らかくて繊細なタッチの作風がとても心地良い。余計な装飾は少なく、人物たちの感情が読み手に共鳴するかように心にダイレクトに伝わってくる。短編が多く、時間をかけることなく、すぐに読み切れる点もメリットだと思う。デビュー当時から変わらず、心情の描き方が絶妙で、作品の世界観も安定していて、いつでも、たとえ疲れていても安心して読める。読めばやさしい気持ちになれる。

なぜ漫画のことを音楽文に書こうとしているのかにはちゃんと理由がある。谷川先生の作品は小学生の頃からずっと大好きで、私の性格や生き方の一部分を形成してくれたと言っても過言ではないほど、お世話になっており、そんな谷川史子作品と同じくらい大好きなアーティスト・BUMP OF CHICKENの歌詞の世界観が時々リンクしていると感じることがあり、今回こうして書いてみることにしたのである。

バンプの音楽と出会ったのは谷川作品よりずっと後のことで、バンプには約20年ほどお世話になっているが、同じく私の性格や生き方に多大な影響を与えてくれている。特に初期の感情を剥き出しにするような、パンク調の楽曲も、それからまるで漫画か映画のようなストーリー性のある歌詞も、近年のちょっと難解な哲学が入っているような心に染み入るロックな楽曲も全部、今の自分を形成してくれた音楽だと実感している。

まずバンプの曲は“孤独、弱さ、寂しさ”などを感じる楽曲が多いけれど、谷川作品もまた“孤独、弱さ、寂しさ”を感じる作品が少なくないのである。今も連載中の『おひとり様物語』なんてまさに孤独を象徴する漫画である。

この漫画の中で特にバンプらしさを感じたシーンがある。詳細なネタバレにならない程度に要約してみると、一人暮らしの独身女性がクリスマスイブに部屋の鍵を落としてしまう。

以下、しばらくバンプの「Merry Christmas」の歌詞のようなシーンが続く。

<嬉しそうな並木道を どこへ向かうの すれ違う人は皆 知らない顔で>

<街はまるでおもちゃ箱 手品みたいに 騙すように隠すように キラキラ光る>

賑やかな街をひとりで鍵を探して彷徨う主人公。頼れそうな人たちとも連絡がつかず、クリスマスなのに孤独を噛みしめる。

≪世界中から締め出された気分 私 誰にも愛されていない気がする 鍵ひとつでこんなにも寄る辺ない私 独りだ≫

と途方もなくなり、諦めかけていた時、鍵を落としたかもしれないお店を思い出す。
そのお店に行くと、感じの悪そうな店員のお兄さんが出てきて、でも事情を話すと必死になって鍵を探してくれた。そして鍵をみつけてくれたのだ。

<今夜こそ優しくなれないかな 全て受け止めて笑えないかな>

<誰かに優しく出来ないかな 全て受け止めて笑えないかな>

店員のお兄さんのやさしさに触れて、主人公は最低だと思っていたクリスマスイブにも忘れがたく温かな思い出ができた。手を真っ黒にしてまで探してくれたお兄さんの背中には蜘蛛の糸が光っていて、主人公はそれを天使の羽だと思う。

≪一人だけど独りじゃない≫

これってまさにバンプの歌詞の世界ではないかと思った。バンプはよく孤独を歌うのに、その孤独の中には絶対<君>という他者がいて、寂しさの中にも温かさがある。ひとりを感じるからこそ、ちょっとした他者の温もりもかけがえのないものに思えて、“寂しい=不幸”ではなくて、“寂しい=幸せ”つまり、寂しさを感じる孤独の中にこそ幸せを見出すのがバンプ理論というかバンプ哲学とも言えると思うので、その哲学がばっちりストーリー化、可視化されているのが谷川作品だと思う。

このクリスマスの物語には1年後の続きがあって、翌年のクリスマスの日、相変わらずおひとり様の主人公は自分のために一目ぼれした小さなクリスマスツリーの置物を購入する。そして年内の生活費を使い果たしてしまったことに気付く。食べ物が買えなくてひもじい思いをしながら、また孤独を感じてしまう。

<許せずにいる事 解らない事 認めたくない事 話せない事>

≪私 弱いんだな 人を受け入れるにはエネルギーが要る 他者との交流は楽しさと同時にわずらわしさも連れてくる 不器用でキャパの狭い私は(中略)人生は楽しいことばかりではないから 深い何かをわかちあう自信がないのだ≫

主人公は世間が楽しそうなクリスマスの日、認めたくない、話せないようなことをひとりきりで抱えて、仕方なく家に帰ろうとしていた矢先、また例のお店のお兄さんと遭遇する。そして自分が買ったクリスマスツリーはそのお兄さんが海外の工房で作ったものだと知る。

<いつもより ひとりが寂しいのは いつもより 幸せになりたいから 比べちゃうから>

<優しくされたくて 見て欲しくて すれ違う人は皆 知らない顔で>

昔、自分が作ったものを生活費をはたいてまで買ってくれたことを知ったお兄さんはお店のクリスマススペシャルプレート(ディナー)をごちそうしてくれた。

≪目にうつるすべてのものは“誰か”とつながっているんだ クリスマスの小さな奇跡にいつもより素直になれました≫

というように主人公は去年に引き続き、今年も冴えないクリスマスにまたも他者にやさしくされて温かい思い出を築くことができた。

つまり私が述べたかったことはこういうことだ。谷川作品もバンプの歌詞も、“冴えないどうしようもない人間”にもクリスマスを平凡以上に楽しめているキラキラ輝いている人たちと同じくらいの「いつも通り見逃した 流れ星」と同様のレアな煌めく瞬時の思い出を与えてくれるのである。クリスマスなのに、何もない、誰もいない、自分ひとりで過ごすしかない孤独な人間に、他者と関われる、つながっていられる幸せをそっとプレゼントしてくれるのだ。バンプの音楽を聞きながら谷川作品を読めば、孤独な自分にもこんなやさしいクリスマスがいつか訪れるのではないかと希望が持てる。ひとりだからこそ感じられる誰かの思いやりってきっとあるんだと、みんなと弾けられる幸せな人たちに負けないくらい素敵な思い出を残すことができるんじゃないかと勇気ももらえる。

特に近年の谷川作品は孤独感や冴えない人間を登場させることが多く、個人的にはより共感できる作品が多い。
『おひとり様物語』と並行して現在連載中の『はじめてのひと』という作品もまた、バンプ感を感じられるシーンがある。

恋愛に疎い堅物の主人公はランニングを趣味とし、おひとり様ライフを満喫していた。漫画なのでひょんなことから素敵イケメン男子と知り合いになる。彼もまたランニングを趣味としていた。でも彼には彼女がいて…。というお決まりの三角関係にもどかしさを感じながら読み進めていた。その時、ランニングのシーンが多いせいか、バンプの「GO」が頭の中を過った。

<歩くのが下手って気付いた ぶつかってばかり傷だらけ どこに行くべきかも曖昧 でこぼこ丸い地球の上>

恋愛に疎い主人公は彼に彼女がいると知るとすぐに身を引こうとする。理由も言わずに彼を拒絶し、突き放す。彼女との関係を知ったまま、彼を好きでいることは傷付くことになるから…傷が浅いうちに彼を忘れようと健気に努力した。本当は彼と一緒にいたいのに。

≪行き場のない気持ちがふくらんで玉砕する勇気もなくて 会ったこともない彼女を憎むかもしれない そんな自分に絶望するかもしれない 今ならまだ間に合う≫

心の中で彼にさよならを告げた。

<途方に暮れて立ち止まって 泣いたら出来た水たまり 映した無数の煌き 懐かしい声で囁くよ>

でも簡単には忘れられなくて、いっそ割り切って自分の中だけで片想いを続けてみようと思う。決して彼に迷惑は掛けずに妄想の中で恋を楽しもうと。

<心が宝石を生む度に 高く浮かべて名前付けた 忘れられてもずっと光る 星空は君が作ったもの>

<体は必死で支えている どこであろうとただついていく 強くなくたって笑いたい 涙を拭った勇気の手>

そんな矢先、彼は遠く異国の地・サウジアラビアへ転勤が決まる。

≪ひとりで走っていた 考えごとしたりしなかったり 風の匂いに次の季節を感じたり ひとりでも少しも淋しくなかった 知り合ってはじめて同じ月の下を走っている≫

彼と過ごしたひとときを思い出しながら、走り続けた。一緒に出ようと約束していたマラソン大会にひとりで出場することも決めた。

≪いつもひとりで走っていて 淋しくなんてなかった 花房さんと出逢って 誰かと走る楽しさを知った 私 今 すごく淋しくて淋しくないです 人生のほんのひととき私は花房さんと走った≫

これはもはや「GO」だけではなく、「ray」の世界でもある。

<しょっちゅう唄を歌ったよ その時だけのメロディーを 寂しくなんかなかったよ ちゃんと寂しくなれたから>

ひとりになった時、誰かと過ごした思い出はひとりで生きていく上でよりかけがえのない大切なアイテムへと変化する。そのアイテムがないと“つらく寂しいだけの寂しさ”がつきまとう。不思議なことに大切な人とほんの少しの幸せな思い出さえあればつらさの和らいだ“幸せにも近い寂しさ”を感じられるのだ。孤独も寂しさも一般的にはつらく不幸なものと思われがちだけれど、バンプの音楽や谷川作品の中では孤独や寂しさは切ないけれど幸せの象徴として描かれている。それが私のように孤独な人間には救いをもたらす。

歌詞は「GO」に戻る。

<何かが変わったわけじゃない 何かが解ったわけじゃない ゴールに僕の椅子はない それでも急いで走った 思いをひとりにしないように>

<とても素晴らしい日になるよ 選ばれなくても選んだ未来 ここまで繋いだ足跡が 後ろから声を揃えて歌う>

片想いのまま走り続けてもいいじゃないかと主人公はマラソン大会で無事フィニッシュする。すると海外にいるはずの彼が現れて、彼女とはすでに別れました、好きですと告白されてめでたく付き合うことになるという冴えない人間だったはずの主人公が一気に輝き始める。すると不思議なことに、読者としては幸せになってしまった主人公よりも、素敵な彼にフラれた素敵女子の彼女の方に目が向いてしまう。

もうひとりのおひとり様主人公となったその彼女はセレブ婚目指して合コンに明け暮れる、さっきまでの地味な主人公とは真逆のタイプの性格で、私は初めは彼女が大嫌いだった。リアルにいたら避けてしまいたくなるタイプの女子で、少しも共感できなかったけれど、イケメンにフラれて、シングルになったら、お高くあざとくすましていた人格が少し変わってきて、新しい彼を探して必死になったり切羽詰まった人間味が増して、なんだか憎めないキャラになった。少しずつ彼女のことも応援したくなった。極め付きがせっかく医者の新しい彼を捕まえたのに、大学時代の貧乏な男友達に告られて、迷い始めて経済能力より、≪無理しないで 楽に呼吸できる 味方になってくれる ちゃんとケンカできる 毎日笑っていられる≫どんな自分も愛してくれるその男友達を選んだものだから、一気に彼女の株は上がった。なんだ、この子いい子じゃんって単純な私は彼女のことも大好きになった。

<汚れても 醜く見えても 卑怯でも 強く抱きしめるよ 手をとった時 その繋ぎ目が 僕の世界の真ん中になった>「Spica」

合コンに明け暮れるあざとい彼女のことをずっと好きだったその彼は

≪キレイ女子気取って戦略立てて タフでしたたかで でも時々泣きそうに見えて ほっとけない…エマって奴がいることが俺にはなんかいーんだよ!≫

と言いつつ、彼女が医者と無事に結ばれるように身を引こうともした。なんていい奴なんだろうと思った。女から見れば気取った女と嫌われがちな女子も、こういう視点で描かれると何か憎めない女の子に変わる。

つまり何を言いたいのかというと、谷川作品もバンプ音楽も内面が多少汚れていても、醜くても、卑怯でも、自己中でもそれくらいの方が人間らしくていいじゃんとちょっと嫌われ者になってしまうような人のことさえ肯定してくれる点で、両者ともやさしいのである。人生うまくいかない人、他者とうまくいかないような人、憎まれることが多いような人のことさえ、それぞれの作品、楽曲の中で、主人公にして光を与えてくれる。人生順調に何の滞りもない人たちと同じような否それ以上の扱いをしてくれる。

<勇気はあるだろうか 一度手を繋いだら 離さないまま外まで 連れていくよ 信じていいよ 息は持つだろうか 眩しい心の外まで 再び呼吸をする時は 君と一緒に>「メーデー」

弱者の救難信号を察知して、一緒に呼吸をしてくれるような、同じ空気を吸って同じ世界で手を取って暮らしてくれるようなちょっとした勇者が作品や楽曲の中に登場することが多く、それもまた心救われる。先に述べたクリスマスの物語で主人公を二度も助けたお店のお兄さんだって見た目は全然大したことないというかむしろちょい悪系にさえ見えるのに、実はやさしいし、つい先ほど述べた素敵女子に片想いを続けていたヘタレ男子も、描かれ方次第で素敵な勇者に見えてしまう。

<守るべきものがあれば リトルブレイバー 守るべきヒトがいれば リトルブレイバー>「リトルブレイバー」

この歌詞のごとく、守りたい、助けたいという気持ちさえあればどんな冴えない人間だってきっと勇者になれる。輝ける。あざとい女も堅物な女も一生懸命生きていることには違いない。目的がたとえセレブ婚だとしても、シングル人生を貫くことだとしても、どちらにせよ必死に生きていることには変わらない。だからそんな必死に生きている人たちに手を差し伸べたくなる人・勇者はきっと現れるんだと谷川作品の中で教えられた。

<あぁ 僕はいつも 精一杯 歌を唄う あぁ 僕はいつも 力強く 生きているよ あぁ 僕の前に 暗闇が立ち込めても あぁ 僕はいつも 精一杯 歌を唄う>「ガラスのブルース」

明るく順調な生活ばかり描かれているわけではない。暗闇のようなどん底の主人公だってけっこう登場する。でもそんな主人公たちも勇者や希望、未来への光をみつけて精いっぱい生きようとするエンディングが谷川作品には多い。だから清々しい。おひとり様でもがんばろうって思える。

少しバンプからは逸れてしまうかもしれないけれど、『おひとり様物語』の中には時々音楽ネタも登場して、“野外フェス”が描かれたこともあった。これもまた普通、漫画なら恋人同士で参戦するキラキラしたフェスの状況が描かれるのが一般的だけれど、さすが谷川作品はちょっと違って、恋人同士でも友達でもなくそれほど親しくもないただの職場の先輩後輩同士で参加し、しかも主人公はトイレを気にして水分を控え、せっかくのフェスをなかなか楽しめないという全然キラキラしていない設定で物語がスタートした。トイレだけでなく、人目を気にして恥ずかしくて腕を上げたり、踊ったり音楽を体で楽しめない主人公はしばらく大人しくただじっと音楽を聞いていたものの、物怖じしないタイプの先輩はトイレに並んでいる最中も踊っている。ひたすら音楽を楽しんでいる。そんな先輩に促されて、主人公は自分の殻を破って、やっとフェスを体で楽しめるようになった。という展開の物語もあり、誰でも多少は持っている恥ずかしいという心情を全面に出した、つまり人間らしさを描くことが多いから、谷川作品はなんだかとても馴染みやすいのである。

それはバンプも然りである。バンプの楽曲は歌詞が全然キラキラばかりしていない。(メロディはキラキラしているものも多いが。)けっこう辛辣というか、現実的に重い心情が歌われていることもあるし、清く正しく美しく爽やかにという理想的な世界とは対照的な人間の本音剥き出しのえぐい歌詞が紡がれていることだって少なくない。

<美しくなんかなくて 優しくも出来なくて それでも呼吸が続く事は 許されるだろうか その場しのぎで笑って 鏡の前で泣いて>

<汚れたって受け止めろ 世界は自分のモンだ 構わないから その姿で 生きるべきなんだよ それも全て 気が狂う程 まともな日常>「ギルド」

このように少し心が痛くなるような、でも人間の本質を見逃さない歌詞こそバンプの醍醐味であり、多くのリスナーに支持されている理由でもある。

バンプの歌詞と言えば<呼吸>というワードが使われることが多いけれど、それは谷川作品にも言える。さっきから双方の引用部分で<呼吸>は登場しているけれど、『吐息と稲妻』というタイトルの谷川先生のコミックもある。先生が描く人物の横顔は特に定評があり、その横顔と吐息や溜め息がセットで描かれることも多く、「あー吐息とか溜め息と言えばやっぱりバンプだよな」と勝手にそのシーンではバンプの曲が脳内で流れてしまう。

<思い出そうとしたら 笑顔とため息の事ばかり>「記念撮影」

<溜め息にもなれなかった 名前さえ持たない思いが>「Aurora」

などもっとたくさんあるけれど<溜め息>の引用は二曲に絞った。<稲妻>もバンプの歌詞を考察する上では欠かせない。

<蜘蛛の巣みたいな稲妻が 空を粉々に砕いて消えた>「宇宙飛行士への手紙」

<君は夜の空を切り裂いて 僕を照らし出した稲妻 あまりにも強く輝き 瞬きの中に消えていった>「宝石になった日」

など<稲妻>も重要ワードである。<溜め息(吐息)>と<稲妻>の共通点。それはどちらも瞬時の出来事で、長い間は残しておけない刹那的な描写と言える。ほんのわずかな間に訪れる現象、感情、心情をバンプは歌詞の中で、谷川先生は漫画の中で、それぞれ大切に切り取って作品の中に印象的なシーンとして残してくれた。ちょっとしたしぐさ、何気ない会話、見逃してしまうような他愛のない瞬間をちゃんと捕らえて両者はリスナーと読者にそれらが放つ光を伝えてくれる。流れ星のように見逃すことなく、夜空のような闇を拭いきれない私たちの元へ作品として光を届けてくれる。

私の知る限り、バンプが谷川先生の作品を読んでいるとは聞いたことがないし、谷川先生の好きな音楽は“奥田民生、くるり、フジファブリック”などとwikipediaに記載されているため、バンプを聞いているという根拠は何もないのだけれど、個人的には谷川史子とBUMP OF CHIKENの世界はどこかでつながっている気がする。≪目にうつるものすべては“誰か”とつながっているんだ≫とクリスマスの物語で主人公が言っていたように。好きなものはつながることが多いんじゃないかなと思う。

だって今回はバンプについて触れたけれど、「谷川先生、私もフジファブリックも大好きなんです!」と好きな音楽欄を見た時に心の中で叫んだから。大好きな谷川先生が大好きなフジファブリックを好きなんてうれしいと思った。バンプも好きならなおさらいいなと思ってしまった。
バンプのメンバーもどこかで谷川先生の作品を目にしているならうれしいなと思う。もしも知らないとしたら読んでみてほしいなとも思う。

そしてここは音楽文なので、バンプが好きな方々が読んで下さっていると思うので、伝えたいことは、もしも退屈する時間があれば、谷川史子作品を読んでみてほしいと思う。短編が多いので、隙間時間にすぐに読める。バンプの曲、一曲聞いているうちに一話は読めると思う。こういう音楽の楽しみ方、漫画の楽しみ方があってもいいんじゃないかなと考える。別に今さら私が書かなくても、バンプも谷川先生も知名度はすでに高いけれど、でも自分はこういう風に両者の作品を関連付けて真剣に両者が描くわりと現実的で、でも憧れる理想の世界に浸っていますということを紹介したくて今回、音楽文として綴ってみた。谷川史子作品のすべてを読破し、BUMP OF CHICKENの楽曲すべてを聴き込んでいる両者のファンとして。

谷川作品もバンプの楽曲も人間味がある。等身大の人間が描かれている。全然ダメな日も、他の人に嫉妬してしまう時も、ネガティブなもやもやばかりでも、大丈夫だよとそっと背中を押してくれる。そんな日、そんな人さえ幸せを掴み取れて輝けることを教えてくれる。平凡以下のどうしようもない1日も、やさしい思い出付きの特別な1日に変えてくれる威力がある。孤独じゃない時なら見逃してしまいそうな“らしくない勇者”に出会えたら、最悪な1日も最高の1日に変えられる。両者の作品にはそういう魔法のような力が備わっている。挫折することの多い私は何度彼らの魔法に救われたことか。
ありふれた日常の中で暮らしているからこそ、何てことはない冴えない主人公が登場し、らしくない勇者に救われながら生きる、ささやかな幸せを感じられるバンプの音楽と谷川先生の漫画は私だけではなく、何となくパッとしない人生を過ごしていると感じているような人たちに希望を与えてくれる作品となるに違いない。
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