4124 件掲載中 月間賞毎月10日発表
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

米津玄師さんへ送る感謝の気持ち

カナリヤが私の心に飛んできた

うまく書けないと思う。
グシャグシャで下手くそになってしまいそうだけど、それでも伝えたい。
 
私は、生きるのがうまくない。
物心ついた頃にはもう、周りとうまく馴染めなくて生きづらさを感じていた。

中学時代にいじめに遭い、そのあと不登校になった。
不登校になって間も無くして、うつ病と強迫性障害になり、そこから私の精神科通いが始まった。
焦って、不安になって、泣き喚いて、怒り狂って、黙り込んで、座り込んで、倒れて、もがいて、周りと比べて、またもがいて、もがいて、毎日が闘いだった。
何より、孤独だった。

なんとか通信制の高校を卒業して、
なんとか大人と呼べる年齢になった。

大人になっても、仕事をするようになっても、生きづらさは感じていた。
それでも自分の心と闘って、自分なりに必死で努力して、向き合って生きてきた。

そんな時、突発性難聴になった。
重度だった為、二年以上経った今でも左耳の聴力は失われたままだ。
後遺症で、耳閉感と耳鳴りまでついてきた。
一歩外へ出ると音が共鳴して辛い為、思うように外出も出来なくなった。
外出する時は耳栓が必須アイテムになった。
仕事も辞めるしかなかった。

正直、なんで私が…って思った。
今でも精神科に通ってて、それも治ってないのにまた病気?なんで私なの?…なんで?
描いていた未来も、叶えたかった夢も奪われ、怒りと不安と恐怖と絶望しか見えなかった。

病気の孤独感というものはとんでもなくて、どんどんその孤独感に飲み込まれて、苦しかった。声も出なかった。

私は、不良品だな。汚い傷だらけの、誰も見向きもしない不良品。
そう感じて、死のうとしたことも何度もあった。
 
それでも、なんとか生きた。

なんとか、生きることを辞めなかった。
  
結果、よかった。
私、死ななくてよかった。
生きててよかった。
  
米津玄師の『カナリヤ』に出逢えたから。
  
米津玄師を聴くようになったのはここ数ヶ月のことだ。
菅田将暉が歌う『まちがいさがし』を初めて聴いたとき、私は胸がいっぱいになった。
あれは、どんな言葉でも表せない感情だった。
今思うとあの時私は、『まちがいさがし』に恋をしたんだと思う。
『まちがいさがし』を前にすると、うまく言葉が出てこないんだ。どんな言葉も何か違う。どんな言葉も霞んでしまう。
この音楽を作ったのは米津玄師と知り、アルバム曲もシングル曲もカップリング曲も聴くようになり、私の人生に米津玄師の音楽が添えられる毎日になった。
 
『STRAY SHEEP』が手元に届いた時、ドキドキした。
何周も、何周も、歌詞カードとアートブックを観ながら聴いた。

『カナリヤ』が特に大好きだ。
この曲を聴くと、カナリヤが飛んでくる。
カナリヤは私の、汚い傷だらけの心の中で歌う。

《いいよ あなたとなら いいよ
二度とこの場所には帰れないとしても
あなたとなら いいよ
歩いていこう 最後まで》

私という存在を許されたような気がした。
そして、汚い傷だらけの自分の心を、ギュッと抱きしめてあげたくなった。
強く強く、抱きしめてあげたくなった。
うまく生きられなくても、それもひっくるめて私で、そんな私と一緒に、私は生きていこうと思えた。

優しく歌うカナリヤ。
《いいよ あなただから いいよ
誰も二人のことを見つけないとしても
あなただから いいよ
はためく風の呼ぶ方へ》

この世で一番優しく、背中を押された気がした。

カナリヤは歌い続ける。
《あなたも わたしも 変わってしまうでしょう
時には諍い 傷つけ合うでしょう
見失うそのたびに恋をして
確かめ合いたい》
 
米津玄師は『カナリヤ』についてこう語る。
「そうですね。「私はあなたのことが好きだけれど、それは別にあなたじゃなくても構わない。けれど、だからこそ少なくとも今はあなたのことを愛していたい」、そんなふうに考えることができると思っていて。そういうことを絶えず問い続けたいんです。自分は今どこにいるのか、世の中はどう変わっていくのか、それを確認し合ってそこに意味を見出す……そうやって変化していくことの肯定を歌おうと思った。この曲のサビも最初は「あなただからいいよ」じゃなくて「あなたじゃなくてもいいよ」だったんです。それだとあまりに直接的すぎるし、表現として整合性をとるのがすごく難しいから「あなただからいいよ」になりました。でもそれは「(あなたじゃなくてもいいけれど)」という言葉が空白として残っている「あなただからいいよ」のつもりなんですよね。」
(音楽ナタリー2020年8月)
 
人生、何があるかなんてわからない。
生きている限り傷は増えていく。
沢山の心とぶつかって、自分の心とぶつかって、どんどん傷は増えていく。
傷が増えると、あったものが無くなってしまったり、形が変わっていく。
それが自分にとって納得のいく形とは限らない。

今でも、過去の自分に囚われたり、片耳聴こえなくなったのはなんで私だったの?って思ってしまうことも正直ある。
それでも、ちょっとずつ、過去の自分も受け入れ、許して、愛していこうと思った。
片耳聴こえなくても、私らしく生きていこうと思えた。
そっと優しく、でも確かに強く、明日を生きていく覚悟が生まれた気がした。

カナリヤは歌う。
《いいよ あなたとなら いいよ
もしも最後に何もなくても
いいよ》

《いいよ あなただから いいよ
誰も二人のこと見つけないとしても
あなただから いいよ
歩いていこう 最後まで》

私の人生、きっとまだまだ色んなことがあるのだろう。
その度に色々な感情が出てきて、闘い、時には泣くのだろう。
どんな私になっても、私は私を許して、愛してあげたい。
汚いかもしれない。
傷だらけかもしれない。
そういう私を抱きしめて、明日を生きていきたい。

私、あの時死ななくてよかった。
 
カナリヤは歌い終わると、私の心の中でつけられた汚れも落とさずに空へ飛んでいった。
私は、カナリヤに傷つけられた。
あなたは生きてていいという傷がキラキラと光っている。
その傷が、今はまだちょっとだけ眩しい。

『カナリヤ』に出逢う前の私と、出逢った後の私。
どちらの私も、
いいよ、あなたとなら、いいよ。
生きていこう。
 
米津玄師さん、ありがとうございます。
『カナリヤ』、私の宝物です。
 
《》内は『カナリヤ』より引用。
  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい