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いつまでも臆病者でありたい

かぐや姫の「神田川」、その主人公のように

どんなことも怖く感じなかった時節がある。

何年前のことか詳述はしない。とにかく、その時、私には何ひとつとして恐れるものがなかった。自信があったとか、公私ともに充実していたとか、そういうわけではない、むしろ逆である。誰ひとり、優しくしてくれる人が見つからず、もう自分なんかどうなっても構わないと思っていたのだ。かといって荒れていたわけでもない、荒れるだけのエネルギーさえ持たなかった。具体的に、どのような日々を送っていたかは、あえて書かないでおく。

<<若かったあの頃 何も恐くなかった>>

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私は本来的には慎重派で、もっと言うならば臆病な人間である。

大きな川の流れる町に生まれたのだけど、時々その川を見に行っては「たくさん雨が降ったら、ここが溢れて、うちも水浸しになっちゃうのかなあ」と考えるような、取り越し苦労の少年期を過ごした(そのころ町には、土嚢を用意している家があったので、あながち「取り越し苦労」ではなかったのかもしれない)。

そして、さすがに<<三畳一間>>ではなかったけど、とても小さく、古く、ガタのきたアパートに住んでおり、悪い夢を見るたびに目をさましては大泣きをし、そばにいた大人を心配させるような子どもだった。

その私が、何の因果か、悪い意味で「何も恐れない」男に(一時期的にではあれ)なってしまったのだ。不安げに川を見つめられていたこと、夢の世界を恐れられていたこと、それは実は、とても尊いことだったのだと、今にして思う。何かを恐れられるということは、失うべき何かを持っているということだ。あるいは(「畏怖」という言葉があるけど)何かの存在を「敬える」ということでもある。

怖がらない、怖がれないというのは、不遜かつ危険な心的状態なのではないかと、私は経験上、考える。

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どうしてこんな記事を書いているかというと、過日、ある女性から「あなたには何か怖いものってある?」と、不意に訊ねられたからだ。彼女に深い意図はなく、世間話のような感覚で、その質問を投げかけてきたのだと思う。それでも私は考え込んでしまった、もしかすると私は今なお、他人様の目には「何も怖がっていない」ように映っているのではないかと。そして、いま私が心の底から怖いと思っているものは何だろうかと。

怖いものは沢山ある。見たくはないもの、経験したくないこと、受け入れたくはない事実、数え上げたらキリがない。でも結局のところ、いま私が「怖い」と感じるものを、たったひとつに絞るとしたら、それはやはり「神田川」で歌われるような<<貴方のやさしさ>>ということになるかと思う。

「貴方」なり「貴女」なり、自分に優しくしてくれる人が、この世界にいることが、私を良い意味での「臆病者」にしてくれているのだと思う。自分に優しくしてくれる人を裏切るのは、とても怖いことだ。その人たちをガッカリさせたり、悲しませたり、不安にさせたりするのは恐ろしいことだ。そう考えてみると「優しさ」という(恐らくは)この世界で最も美しいものでさえ、それを得ることで何かを失うという「裏の面」を持っていることがあると分かる。

恐らくは「神田川」の主人公が恐れたのは、貧しい生活のなかで、自分を愛してくれる人の優しさ「そのもの」というよりは、いつしか、それが失われることだったのだろうと察する。それでも私は「神田川」を聴くたびに、自分の臆病さ、脆さ、それを肯定して生きていきたいと思わされるのだ。

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私が「優しいね」と他人様から言ってもらえるようになって、久しい。私自身が、己のありようを見つめて「本当に俺は優しいのかなあ」と考えてみる時、いつも明確な答えが出るわけではない(小賢しい面、計算高い部分があるのは事実で、それを「優しさ」に変換して吐き出しているだけなのではないかと思うことがある)。

でも、その人が優しいかどうかを決めるのは、恐らくは己ではなく、他者なのではないかと考える。だから私は、恐らくは優しいのだろう。

だとすれば私は、他人様の心を救っているだけでなく、その自由を奪ってもいるのではないだろうか。私の存在を思うことで「これは口にするまい」と決意してくれる人がいたり「こんなことはするまい」と思いとどまってくれる人がいたりするのは、きっと「善きこと」なのだとは思う。それでも私が、彼ら彼女らを「怖がらせて」いることは、やはり疑いようのないことだとも思うのだ。

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私が何を恐れることもなく、悲しい日々を送っていた時も、心の河川が完全に氾濫しはしなかったのは、いつの日か優しい人に巡り合えるかもしれないという、静かなる予感が(気付けないでいただけで)体のどこかに眠っていたからなのかもしれない。

だから私は、いま優しくしてくれることにだけではなく、これから先、優しくしてくれることにだけでもなく、そういう未来を用意してくれていたことに対して、その人に「ありがとう」と言いたい。

そして、その人のことを、命ある限り、ずっと怖がっていきたいとも願う。かつて川を眺めていた時のような気持ちで、悪夢のなかで懸命に、現(うつつ)に手を伸ばしていたような気持ちで、優しさを宿したその人の手を、握りしめていたいと思う。

※<<>>内は、かぐや姫「神田川」の歌詞より引用
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