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aurora arkツアー映像化に寄せて

BUMP OF CHICKENが17歳の私に見せる世界

2016年7月17日、朝。

東急東横線菊名駅で電車を降りると、BUMP OF CHICKENのツアーTシャツを着た人たちがちらほらと見えた。ああ、そうか、今日は、バンプのライブの日だ。日産スタジアムには7万人の人が入ると聞いた。7万人って、どのくらいの数なのだろう。聞こえは大きいけれど、17歳の私一人その数の中に入れてくれないのだから、きっと大した人数ではない。乗り換えたJR横浜線の電車内では、一人でイヤホンをつけた女の子も、仲良さげに寄り添って座る男女も、無言の空間が逆に親密さを物語る若い3人組のお兄さんたちも、みんなこれからの目的が同じように見えた。セーラー服を身に纏った私だけが、違う目的地に向かいながらひとり仏頂面で英単語帳を眺めている。

横浜線、といえば、中学3年生の頃にバンプのライブで横浜アリーナに行くために使った路線で、その印象が今までずっと色濃くある。あの日は全てが輝いて見えた。前日から、横浜アリーナまでの道のりを何度も頭の中でシミュレーションして、家事の手伝いをしながらグッズを買うお金も貯めた。改装前の寂れた菊名駅ですら当時の私にはキラキラして見えた。横浜アリーナがある新横浜駅を過ぎるとき、そんなことを思い出していた。

日産スタジアムがある小机駅で止まった電車から降りた人は意外と少なかった。それでも明確な目的を持って電車を降りる人がいる。しかし、小机駅から30分以上走らないとたどり着かない駅がその日の私の目的地で、30分どころか私は2年半そこに向けて自分の足で走ってきたのだ。その日は高校生活を捧げた部活動の最後の夏の大会初日。小机で降りるわけにはいかなかった。この忙しなく過ぎた2年半で私は随分と捻くれ、擦れて、人や気持ちを選ぶようになった。大好きなバンプも聴けなくなった。それでもずっと大切だった。

昼頃、母が「今日はバンプのライブがあるんだね」と連絡を寄越してきた。母も横浜線に乗ったみたいだった。「日産であるんだよ」と返事をした。「試合が終わったら一緒にグッズでも買いに行く?」と返ってきた。考えてもいなかった。少し迷ってから「行く」と返した。

午後2時頃に試合が終わり、母と合流してから横浜線に乗り込んだ。朝とは反対方向に、一駅、また一駅と過ぎていく。各駅で停車するたびにバンプのグッズを纏った人が乗ってきて、小机駅で降りるとそんな人たちで溢れ返っていた。驚いた。七万という数字は実は大きいものなのかもしれない。日産スタジアムに行く道で見るこの日のツアーTシャツ、その半年前の20周年の記念Tシャツ、前回のツアーWILLPOLIS 2014のロングTシャツ。私がこの二年半で見送ってきたものがいたるところで目に入った。隣を歩く母には言わなかったけど、なんだか悲しい気持ちだった。自分だけ時間が止まっていたみたいだ。私も同じようにこの日のツアーTシャツを買って、会場に設置されたガチャガチャを回してみたりした。開場時間を過ぎると辺りにいた人はぽつぽつと減っていき、みんなの楽しみから弾き出されたような感覚になった。それでも、久しぶりに母とお出かけのようなものができて嬉しかったし、こうした娯楽も久しぶりだったので、心は確かに踊っていた。

私は17歳だった。ひねくれても擦れていても、ただの17歳だった。塞ぎ込まれたたった一本の道で、すべてを悟ったように大人な顔で振る舞うことに精一杯だった。それ以外の道なんて、新しい世界なんて、何ひとつ知らなかったくせに。
それから、続々と会場に入っていく人の波に逆らってそこを後にすると、日常へ戻っていった。
 
2019年7月13日、aurora arkツアーメットライフドーム公演2日目。
17歳だったあの日から三年が経った。そうだ、まだ三年だ。友達と待ち合わせした渋谷駅、乗り込んだ西武線、物販列の最後尾、周りの人がみんな同じ方向へ歩く不思議な感覚。三年前、横目に見ていた全てが今は自分の目の前にあって、自分がその中の一部になっていた。三年前のあの頃の気持ちは一生忘れない気がしているけど、今、この瞬間のキラキラした感情はすぐに消えて無くなりそうだ。メットライフドームは日産スタジアムよりも少し小さかった。あの頃に見た日産スタジアムは、小さい自分と比べると、はるかに大きすぎていた。

いつだってBUMP OF CHICKENの曲は鏡のようで、その時その時の私の形を確かに映してくれる。キラキラ光るならキラキラ光る。全てが憎いなら憎悪を映す。大切なものが大切だと歌う。BUMP OF CHICKENが私の原点である理由だ。それ以上でもそれ以下でもなく、そのままを、それだけを鳴らす。どんなに悲しくても苦しくても、結局ここに戻ってくる。いつも0地点で「君はここだよ」と、「これが君だよ」と教えてくれているようだ。

【夕焼け空 きれいだと思う心を どうか殺さないで】と、言ってくれるのは、彼らだけじゃないだろうか。会場後方のステージ(通称『恥ずかし島』)で演奏する四人の背中は、強く、たくましいものに見える。吹き抜けたメットライフドームの壁の隙間を指差した藤原さんにつられて、外の空を見た。目に映るのは灰色の曇り空。「夕焼け空」なんてどこにもないのに、まるでそこに「夕焼け空」があるかのように、【そんな心 馬鹿正直に 話すことを馬鹿にしないで】(【】内"真っ赤な空を見ただろうか"より)と歌い続けた。こんな曇天だからこそ、夕焼け空の綺麗さを忘れないように、そんな心を無くさないようにと、夕焼け空を歌った藤原さんに私は一生敵う気がしない。【見えないモノを見ようとして】【実在しない星を 探す】【終わらない暗闇にも星を 思い浮かべたなら】(順に"天体観測"、"プラネタリウム"、"ray"より)、そうやっていつも何かを追いかける彼らは私の憧れだ。私は暗闇の中で光を浮かべられていただろうか。三年前、17歳だった私は、何を追いかけていたのだろうか。もう一度、遠くに立つ四人を見る。ああ、そうだ、この背中だ。ずっとずっと彼方先に、私は四人の背中を見ていた。暗闇だろうと嵐の中だろうと、自分が望んだ世界を不器用な歩き方で一歩一歩進んでいける、そんな人になりたかったんだ。

この日、メットライフドームで最後に鳴らされた「メーデー」は、6年前の横浜アリーナでボロボロに泣かされた記憶がある。当時の私に【救難信号】を出したくなるような辛い経験は一切なかったのにそれでも泣いてしまうのだから、【救難信号】すら出せなかった17歳を超えた今、涙なんか枯れるほど出てくる。前方の広いステージで歌っていた藤原さんは、間奏中に中央の細長い道を止まることなくどんどん進んでいく。たどり着いた小さな"でっぱり"で、前回のPATHFINDERツアーで「もっとみんなの近くに行きたいから」という理由で作られた小さな"でっぱり"で、彼はこんなことを歌う。
【響く救難信号 深い心の片隅 こんなところにいたの 側においで 逃げなくていいよ】【 息は持つだろうか 眩しい心の外まで 再び呼吸をする時は 君と一緒に】(【】内"メーデー"より)
17歳の私が見つかった気がした。そうだよ、私は、こんなところにいたんだよ。あんなに広くて大きいステージにいたら見えなかったでしょう。あんなにキラキラ輝いていたら、私みたいな人間、見えないでしょう。と、言ってやりたくて、涙が出た。どうしようもなく悲しくて、どうしようもなく虚しくて、どうしようもなく温かい。繰り返すが、私にとって彼らは原点である。バンドなんてまるで興味がなかったとき、ひとりぼっちになったとき、夢を無くしたとき、どんな0地点にも彼らの音楽があって、どれだけマイナスにいても0地点まで引っ張りあげてくれる。
【君と会った時 僕の今日までが意味を貰ったよ】("新世界"より)
そうやって、彼らが0地点から私に見せてくれる世界は、まさしく「New World」――新世界だ。
 
あの日から1年が経ち、日産スタジアムの日からは4年が経った。17歳の私には見えなかった景色が目の前に広がる今、それが良いものであろうと悪いものであろうと、また「新しい世界が見たい」と、そう思う。だって、BUMP OF CHICKENならきっと、そう言うはずだから。
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