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2020年にニルヴァーナを聴く。

『イン・ユーテロ』から27年になって。

ニルヴァーナの『ネヴァーマインド』が発表されて、来年で30年になる。「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」からもう29年なのだ。2021年にもしかしたら、節目の年として何かがあるかもしれない。私自身にとってニルヴァーナは『ネヴァーマインド』というより『イン・ユーテロ』である。「スメルズ」よりも「セントレス・アプレンティス」である。「ブリード」よりも「オール・アポロジーズ」である。

カート・コバーンははじめ、80年代には、マッドハニーやメルヴィンズのようなパンクバンドを目指していたという。要するにビッグ・ブラックである。アクセル・ローズというより、スティーヴ・アルビニである。
そんな屈折していた(であろう)ニルヴァーナは『ブリーチ』のあと、1991年に『ネヴァーマインド』でビッグになってしまう。80年代ふうなネガなパンクや、やかましいヘヴィメタルは、一掃されることになった。「ハロー、ハロー、ハロー、どのくらいひどい?」「混血、アルビノ、蚊トンボ、オレのリビドー」というフレーズとともに、カートは、ニルヴァーナは巨大になった。

もともと、メルヴィンズになりたかった彼らにとって、『ネヴァーマインド』は到達点ではなく、たんなる通過点だったはずだが、リスナーは「スメルズ」や「イン・ブルーム」を求める。92年時点で『イン・ユーテロ』に収録されることになる曲は演奏されていたが、観衆が求めたのは「ポップ」なニルヴァーナで、『ネヴァーマインド』だった。彼らニルヴァーナにとって、忸怩たる思いだっただろう。「パープル・ヘイズ」ばかり求められるジミ・ヘンドリックスのようだっただろう。

そんな歪んだ「グランジ」は、当時、終焉に向かっていた。
そしてアルビニが93年にハイスピードで『イン・ユーテロ』を録音する。
冒頭の「サーヴ・ザ・サーヴァンツ」からして、彼らニルヴァーナは疲弊していて、ノイズだらけである。「従者に従えよ」「審査員たちが審査している。自分が売りつけた以上のものを」。
「セントレス・アプレンティス」「レイプ・ミー」、カートはここで、歪んだ自身を余すことなく曝け出している。「俺は土の上に横たわりマッシュルームの肥やしとなる」「俺をクビになんてできないぜ。こっちから辞めてやるんだから」「オレを火の中に投げ入れてみろ。オレは癇癪なんか起こさないぜ」、「オレを憎んでくれ。俺をやっつけてくれ。俺をたっぷり味わってくれ」…『ネヴァーマインド』では考えられない、80年代パンクのような、衝動と反抗が混ざったような、歪んだロック。どこにも聴きやすさはない。今でも、あまり評価されない作品だろうが、『ネヴァーマインド』を手放しで受け入れられない人間は、今もこの作品を支持する。

たしかに、ニルヴァーナがデカくなったのは「スメルズ」のおかげだろう。『ネヴァーマインド』が売れなければ、次の作品も作れなかったかもしれない。でも『ネヴァーマインド』からも「スメルズ」からも、ニルヴァーナ特有の歪んだパンク精神は読み取れる。外側のパッケージ、プロデュースが立派すぎたからあれだけ売れたが、本来は『イン・ユーテロ』に収録されていてもおかしくないロックである。

そして『イン・ユーテロ』の「ダム」「トゥレッツ」「オール・アポロジーズ」、アメリカ、シアトルの底辺をさまようネガな青年のうめき声を書き起こしたようである。それがスティーブ・アルビニによって更に無残で素晴らしくなっている。「オレは奴らとは違う。だけどオレだっていろんなふりをすることはできる」「太陽の光の中 オレは一つになった気分 結婚してくれ 埋葬してくれ」「こんな自分でなくてどうあればいいのか、本当にごめん」…これらが結局、カートの遺言となった。メルヴィンズを目指した青年は、自嘲と自虐の末に死んだ。

70年代には、キャプテン・ビーフハートがいた。彼らが残した『セイフ・アズ・ミルク』は、早すぎたパンクであり、早すぎたグランジだ。『美は乱調にあり』の「ホット・ヘッド」は、70年代の「スメルズ」ではないか。ビーフハートの遺した音の塊は、単なるクラシックロックではない。もう誰にも聴かれていないが、人間を突き動かしている生の原動力がある。彼らが「正」ならニルヴァーナやメルヴィンズは「負」だった。衝動の向かうベクトルが異なるだけで、根っこは同じものだったと思う。ビーフハートにはフランク・ザッパが居て、カートにはザッパがいなかった。この違いも大きいと思う。

2020年現在、音楽が殆ど無料になり、アメリカのロックも随分高齢化してしまった。ロックはダサくなり、EDMも消滅寸前である。レディー・ガガやビヨンセ、アリアナ・グランデたちは奮闘している。昨年、元ソニック・ユースのキム・ゴードンが『ノー・ホーム・レコード』を出した。元パンクスの、自己表現である。ジョー・ストラマ―も、クラッシュの後は、彼自身の表現に向かったと思う。こういう例えが許されるなら、もしカートが生きていたら、ニルヴァーナのあとはどこへ向かっていたのだろう。ジョン・ライドンはPiLに向かい、ブライアン・イーノはアンビエントを作るようになった。カートはもういない。もし生きていたら、今でも、かつてジミヘンがそうだったように、今でも「スメルズ」をやれ、と言われているのかも。私たちがビリー・アイリッシュを称え、彼女を聴くのも、そういうことと根本は似ているのかもしれない。
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