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花は散るから

LAMP IN TERREN の『FRAGILE』を聞いて

学校のチャイムがなって私は一目散にCDショップへと向かった。
何度も確認して見慣れたロボットが描かれたジャケット。クレヨンで書かれたパソコンに、リンゴ、スニーカー。

待ちに待ったLAMP IN TERRENのアルバム『FRAGILE』の発売日だった。テレンと出会い、ライブハウスに通い、彼らにのめり込んで行ったのが1年半くらい前だから、私にとってテレンのアルバムを迎え入れるのは初めてだった。

アルバムはやっぱり何だか特別だと思う。
一つ一つの曲で物語は紡がれているのに、
曲たちが何となく結ばれて大きなひとかたまりになる感じ。全く別のことが歌われているのにどこかで繋がっている感じ。通しで聞くことで深みが出る感じ。

早く聞きたくて、帰りの電車でドキドキしながら歌詞カードを眺め、頭の中で音楽を鳴らす。今までのアルバムの曲を振り返る。
夕暮れ時に差し掛かった落ちつつある日が車窓から差し込んでくる。普段なら疎ましく思う目に刺さる日差しすらも愛おしく思えてしまう。
 
『FRAGILE』───「壊れやすい」そんな訳語が当てられるアルバム名を聞いた時、私は

散ればこそ いとど桜は めでたけれ
憂き世になにか 久しかるべき

という和歌を思い出した。この歌は
「散るから桜はより一層素晴らしいのだなぁ
この世の中にどんなものが長続き出来るんだろう」と言うような内容だ。

これは、儚いもの───壊れやすいもの───例えば、桜や紅葉が散っていくこと。花火が空へ上がって消えていくこと。手のひらの雪が溶けていくこと。街を歩くと前あった建物が潰れてしまっていること。こんなことに対して私たちが感じずにはいられない美しさを象徴している和歌だ。

『FRAGILE』というアルバム名からこの和歌を想像した私は、改めてテレンが作る言葉のまるで朝露を浴びて輝いているかのような美しさを感じ、待ちきれない気持ちで最寄り駅のホームに降りた。

愛は水のよう 君は花のよう
いずれ枯れるとしても
時計の針を 戻しはしないよ
君のいない日々は もう僕じゃないから
「花と詩人」

それは魔法みたいに消えた
胸につかえた言葉の形
君が僕に触れた時から
まるで違う色を放っていた
「Water Lily」
  
窮屈な学ランを脱いでオンシジウムのトレーナーに着替えた私は、小遣いで買ったCDプレイヤーから聞こえる音楽に耳を澄ませた。
  
歌詞を追いながらアルバムを聞き終えた私は、この上ない幸福に包まれていた。

宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』で「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」と言うセリフが出てくるけど、私がジョバンニに答えるならこの瞬間だよなぁ。と、十分な人生経験を持っていないながらに思ってしまう。

まず『FRAGILE』を聞いて思ったのは、
ミドルテンポの曲の多さだ。
もともと彼らの音楽は『The Naked Blues』の「オーバーフロー」が最高のBPMであることから分かるように速い曲は少ない。
ただ今作は速いテンポの曲はないと言っても過言ではないと思う。
ただこれが悠長で飽きるとか言うつもりは毛頭もない。
一つ一つの言葉が入ってくる感覚。頭の中できちんと歌詞を整えて、物語を再生出来る感覚。
次から次に言葉が入ってきて、ついていけないなんてことが無い。私たちに解釈の時間、落とし込む時間を与えてくれている。
あなたのペースでじっくり向き合ってね。そんなメッセージが込められているかのように。
「ほむらの果て」が入らないのも納得できる、忙しくすぎる日々から離れ、落ち着く場所となるようなアルバムだと思った。

そしてまたこれはコロナの影響もやはりあるのかなと思った。コロナで外出が減った私たちは音楽を聴く時間が短くなったとも聞いた。これは普段私たちが外で音楽を聴いていて、家の中で聞くことは少ないということを示している。
だからこそ、アーティストたちは家で落ち着いて聞ける音楽を作っているような気もする。
より身近に、より「伝える」音楽になったテレンを見れるアルバムだった。
 
アルバムを鑑賞する前私は前述の通り、きっとこれは世の中の儚さ、つまり、壊れやすさを歌ったアルバムなんだと思っていた。
テレンはどちらかというと概念的な事を歌っている印象があった。

例えば目を覚ました その朝に
僕が僕じゃなくても不思議じゃないだろう
「portrait」───私たちのアイデンティティを。

誰にとって誰が 価値になるんだい
僕の値は 僕じゃ決められないんだ
「ゴールド・ルーズ」───私たちの命の価値を。

もちろんこの想像が全くの見当違いってことはないと思うけれども、今作はより身近な物語になっていると思った。壊れやすい不確かさじゃなくて、私たちの確かな現実が、そこにはあった。
命だって愛だってきっと些細なことで、なくなってしまうものなのかもしれない。だけど、そこにある確かな現実はかけがいのないものなんだってこと。失ってから初めて気づく大切さではないけど、不確かさって確かさと表裏一体なのかなと思った。

「チョコレート」「ベランダ」なんていうありふれた名詞だけの題名。
さらには「いつものこと」だ。身近の極みでは無いか。
名詞が喚起する情景は私たちがほぼみんな同じなのでは無いだろうか。その情景の根底に潜む概念を曲として散りばめる。あくまでも身近なままで。
これもまた「伝える」音楽になったということではないか。そこまで至った時私はこのアルバムが
テレンの本音なのかなと思った。

素直に愛されたいと言うことが恥ずかしかった。と彼らは言っていた。
その枷を切って歌ったのが「オーバーフロー」だったとも言っていた。

もういっそフルボリュームで叫ぶよ
君に愛されたい!
「オーバーフロー」

ストレート過ぎるほどの思い。感嘆符まで付いている。この歌が速いテンポなのは、なんというか、やっと言えた!って気持ちとまだ恥ずかしいような気持ちが混ざっているのかなと思った。
だけど、今作はそうじゃなかった。

認めてほしいだけさ 愛してほしいだけさ
誰に言う宛もないまま重ねているだけ
「いつものこと」

ごめんね 傍に来て 傍に居て
この雨を見下ろす星になれたら
「ベランダ」
 
本音をちゃんと受け取ってね。って伝えてくれた。照れずに。ありのままに。
だから、私たちはそれに応えたいと思うんだろう。早くライブハウスで会いたい。伝えたい。この気持ちを。衝動を。
ツービートのリズムを聞いた時の走り出したい衝動でもない。
かっこいいベースラインや、ギターソロを聞いた時の鳥肌が立つような衝動でもない。
ただ、会って、ステージで輝く彼らに向かって、届いてるよ。ってことを素直に伝えたい衝動。
これを世の中の人は愛しいって言うのかな。
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