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この日限りの特別なセットリストで希求した、来たる新時代

ASIAN KUNG-FU GENERATION史上2度目となるオンラインライブ、その全貌

配信ライブ『Dive/Connect@Zepp Online Vol.1』が去る9月上旬、Zepp Yokohamaにて開催された。Dive/Connect(没頭・接続の意)と題された今イベントは、新型コロナウイルスの影響によって多くのライブの機会が失われてしまった状況下において「この時代ならではのライブ配信コンテンツを」との思いの下にSonyMusicが毎週火曜日に配信を試みる、新たなオンラインライブイベントである。


記念すべき第一回目となるアーティストは、日本を代表するロックバンドの一組とも言うべきASIAN KUNG-FU GENERATION(以下アジカン)。アジカンが行うコロナ禍におけるオンラインライブとしては、7月24日に行われた『J-WAVE LIVE 2020 #音楽を止めるな』から数えて今回が通算2回目。出演を予定していた夏フェスが軒並み中止となり、今回のライブ終了後には全7箇所を回る全国ツアー『ASIAN KUNG-FU GENERATION Tour 2020 酔杯2  ~The Song of Apple~』の全公演中止を正式に発表したアジカンにとって、日々刻々と変化する状況に振り回され続けたこの数ヵ月間は、強いフラストレーションを覚えるものであったことはおよそ間違いない。故に今回のライブはネガティブな感情に支配される世の中のムードと、更には「それでも前を向かねばならない」とする強固な思考変換を、彼らの何よりの武器であるロックを通して具現化するライブでもあったように思う。
 
ライブは定刻である20時を少し過ぎてスタート。淡い照明が全体を照らす中、今回のライブのナビゲーター・ダイスケに呼び込まれる形で、“新世紀のラブソング”における打ち込みのパーカッションと共にメンバーがひとり、またひとりとステージに姿を現し、それぞれの楽器のチューニングを行う。両脇を固めるメンバーはもとより、柄模様のラグを敷いて中央に立つ後藤正文(Vo.G)も同様に集中してチューニングに臨んでおり、その表情は穏やかだ。ライブの開始前としてはおよそ見慣れた光景ながら、静かに心中の興奮が引き上げられていく感覚に陥っていく。
 
いつしか僅かばかり変化した打ち込みを合図に、緩やかに始まった1曲目は“新世紀のラブソング”だ。今までのアジカン像を大きく覆す強いメッセージ性とラップ的要素が絡んだ稀有な曲調を武器に、2009年にシングルカットでリリースに至った“新世紀のラブソング”。死亡事故とアメリカ同時多発テロのニュースに涙を流すキャスターや、後悔、憂鬱など悲痛な場面が描かれていることからも分かる通り、“新世紀のラブソング”はとりわけ時代の転換点とも称すべき出来事が訪れて間もない時期に、セットリストに組み込まれてきた楽曲として広く知られている。そして今回久方ぶりにセットリスト入りを果たした事実が意味するところは言うまでもなく、コロナウイルスによるネガティブなムードによるところが大きいのではと推察する。中でも最終節で歌われた《ほら 君の涙/さようなら旧世紀/恵みの雨だ/僕たちの新世紀》の一幕は誰しもの心中にネガティブな感情を生成させたこの2020年を抜け、希望的新時代の到来を希求する強いメッセージにも感じられ、感動的に映った。
 
此度のアジカンは普段通り、全編通して特段血気盛んなアクションは皆無で、かつ自然体。サウンドの要を形作る楽器隊は皆安定なる演奏でどっしり構え、バンドのフロントマンである後藤も同様、終始肩肘張らない軽やかな印象。“遥か彼方”や“ソラニン”に顕著なCD音源では声を張り上げて歌う場面においてもフラットな落ち着きのある歌唱に徹する余裕綽々ぶりだ。今回のライブはサポートキーボードである下村亮介(Key・the chef cooks me)を有するもはやお馴染みとも言える編成で行われたが、彼のキーボードもサウンドの軸を担うというよりはサウンドに広がりを持たせる演奏に留まっていて、アジカンをアジカンたらしめるその楽曲の存在感をより引き立てるエッセンスとして一役買っていた。
 
『Dive/Connect@Zepp Online』の公式ツイッター内の事前動画にて喜多建介(G.Vo)が「所謂王道フェスセットリストから、ちょっと違うアジカンというか」と語っていたが、その言葉を体現するようにこの日のライブは“リライト”や“君という花”、“Re:Re:”を筆頭とした鉄板のライブアンセムの多くが演奏曲から外されると共に、昨今のライブでは長らく演奏されていなかったファン垂涎のレア曲を多く展開。キャリア全体の総括の意味合いすら感じさせる稀有なセットリストとなった。
 
その中でも大きな驚きをもたらしたのは“未来の破片”、“ブラックアウト”、“ブルートレイン”に顕著なキャリア初期の楽曲群、そして実に2015年に行われた全国ツアー『Wonder Future』以来の披露となった“或る街の群青”の4曲。後のアフタートークで、セットリストの主な部分を決めたのは喜多と山田貴洋(B)であったとの説明が成されたが、おそらくは今の状況下で画面越しに観るファンにとってどの楽曲を演奏するのが適切か、熟慮した結果なのだろう。結果として定番のセットリストから大きく外れた今回のライブは、ともすれば悪い意味で予想外の印象を与えてしまう可能性も孕んでいる。しかしながらイントロが鳴らされた瞬間にリアルタイムで流れるコメント欄に驚きと興奮の声がひっきりなしに書き込まれ、異様なスピードで更新されていく様を見ていると、やはり単独の有観客ライブでもフェスでもない、長いアジカンの歴史で触れる機会自体がほとんどなかったオンラインライブという場において今回のセットリストを固めたことは、何よりの最適解であったと賞賛して然るべきだろう。
 
普段のライブでは自身の服装に触れたり、突発的に叫ばれたファンの言葉に反応することも多い後藤のMCだが、今回は無観客であるため、当然観客のレスポンスはない。故にこれまでは演奏終了後に何度か「どうもありがとう」と端的に語るのみでMCらしいMCは行わなかった後藤だが、“ソラニン”後には数分間にも及ぶ長尺のMCでもって、飾らない今の心境を赤裸々に伝えていた。アジカンらしからぬ静まり返った空間で彼がこの長いMCで語ったことは主に3つ。過去と今、そしてライブへの思いである。
 
「こんばんは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONです。……誰に話し掛けてるかっていうのをイメージするのが難しいのは、今俺たちはここ、横浜に新しく出来たZepp Yokohamaっていうライブハウスにいて、ここにはまあ、撮影のクルーとか、あとは照明のクルーだったり、あとは音響のみんなだったり、それこそたくさんのスタッフに囲まれてやってはいるけれども、観客はひとりもいなくて」
 
「とにかくフェスとかコンサートとかライブとか、お客さんを前にして演奏して……そういうとこのやり取りでいろいろな悩み事だったり、メンバー仲悪くなったりとか。アルバムあんまり売れねえなとか思ったりとか。そういうことも……何だろね。実際に俺たちの音楽で楽しんでくれる人、喜んでくれる人、そういう人たちを観て感じて、俺たちも息を吹き返すみたいな。そういう繰り返しで、来年で結成25周年っていうんだけど、25年以上バンドをやってきて。改めて聴く人がいなかったらこういうコンサートとかも成立しないし。誰も音楽を聴く人がいなかったとして、それでも自己完結として音楽を続けるのかっていったら……ちょっとね。やっぱり誰かに『超いいね! とか『凄い好きです』とか言ってもらえることが、自分の表現の後押しをしてくれてたんだなって凄く思うというかね」
 
「このコロナのこともそうだけど、それ以外にも嫌なこと、クソなことってたくさんあって。それに抗うためにあらゆる表現があるんじゃないかなって、最近思うんだよね。またみんなで集ってね。何かを出来る日は、規模はどうあれ戻ってくるはずだと信じながら、束の間のこういう距離感を楽しみながら。いろんな事情でライブに参加出来ない人も、この機会に俺たちのコンサートを観れるかもしれないし。とにかく、こういう演奏出来る場……誰かに届けられる場があることを感謝しながら最後まで演奏しますんで。一緒に楽しんでくれたら嬉しいです」
 
世の『ミュージシャン』と呼ばれる職業は、その全てのに当て嵌まる訳ではないけれども、基本的にはコンスタントな楽曲制作とライブを繰り返すルーティーンワークだ。近年の時代柄、メディア露出やSNS等知名度の獲得に至る契機となる音楽以外の活動を行うミュージシャンも確かに増えてきてはいる。しかしながらアジカンは長い活動の中でもそうした音楽外の活動からは極力距離を置き、愚直に音楽制作とライブに焦点を当てた活動を精力的に行ってきた。そんな中でひとつの活動指針であった『ライブ』という行為自体に多大な制限がかけられると共に、ライブハウス界隈への否定的なイメージが蔓延していたここ数ヵ月間、彼らが如何なるフラストレーションを抱えていたのかについては想像に難くない。ただ此度のMCで徹底してネガティブな事象はオブラートに包み、希望的未来に向けてメッセージを発していた後藤の姿は、コロナ以後の音楽シーンに向けての何よりの励ましの意思のようにも思えてならなかった。
 
ファンには周知の事実だが、アジカンはライブ中、観客に多くを求めない。ライブにおける前半部のMCが基本的に「みんな好きなように楽しんでください」とする後藤の一言で締め括られることもそうだが、彼らのライブは曲間のコール&レスポンスもなければ何らかのアクションの要求自体がほとんど成されない、言うなれば淡々と楽曲を連発するタイプのバンドであるとも言える。けれども思い返せば思い返す程、“君という花”の途中の「ラッセーラッセー!」なる合いの手や“Re:Re:”のラストのメロに至るまでの手拍子に顕著に表れている通り、ライブの楽しみ方を個々人に任せている中にもある種の双方向的な一体感を生み出していたのだと実感する。後のアフタートークで喜多が観客がいないことを忘れてギターソロの際に前に進み出てしまったことを語っていた一幕もあったが、少なくとも彼らにとってステージに立つことと眼前の観客が拳を突き上げる様はイコールなのだろう。
 
ハイライトとして映ったのは、やはり数年の時を経てセットリストに組み込まれた“或る街の群青”。
 
《異次元ヲ回遊/青ク深イヨル/セカイヲカエヨウ/ソコカラナニガミエル?》
 
Cメロ部分で歌われるフレーズは、制作当初は別の意味……もとい、アニメ映画『鉄コン筋クリート』の劇中で紡がれる、諸行無常の波にもまれながら懸命に日々を生きるふたりの少年の成長物語を強く踏襲したものだった。しかしながらコロナウイルスにより現在に生きるおよそ多くの人々の心中に何らかのブルーな思いを生じさせている現在、“或る街の群青”はまた違ったイメージを携えて響いていたのが印象深い。後藤による気だるげな《光だって/闇だってきっと》と繰り返されるリフレインがいつしか途切れ、冒頭で奏でられたメロに変化した瞬間には、まるで非日常的な空間が日常に戻っていく寂しさすら感じられた。
 
その後はサポーターとして選ばれた賀屋壮也(お笑い芸人・かが屋)によるリクエストによりサプライズ的にセットリストに組み込まれたという“無限グライダー”、ダンサブルな音像が熱量を段階的に引き上げた“踵で愛を打ち鳴らせ”、今やアジカンのライブのキラーチューンとしてすっかり定着した“荒野を歩け”と矢継ぎ早に楽曲を投下。ロック然としたサウンドの中に確かなメッセージ性と熱量を携えたそれらの楽曲の求心力は圧倒的で、ひとつの例外なくイントロが鳴った瞬間にコメント欄の動きは超加速。総じて来年結成25周年を迎える彼らの楽曲が長い時間をかけ如何に世間に浸透し、また多くの人々の生活に寄り添ってきたのかを視覚化するようでもあり、不思議と涙腺をも緩ませる。
 
ラストに披露されたのはアジカンの新たなるライブチューンであると共に、メンバー全員が40歳を越えた今だからこそ生み出されたメッセージナンバーのひとつ“ボーイズ&ガールズ ”。歌われるのは、日本の未来を担う若き夢追い人へのエールである。たとえスケープゴートと見なされようとも。他者への嫉妬を呼び起こすことがあろうとも。周囲の人間と馴染めず、結果として何も成し得ず歳を取ろうとも……。全ては長い旅路の序章に過ぎないのだと背中を押すこの楽曲をメロウに歌い上げ、スタンドに置かれたエフェクターを介したギターによる宙に溶けるノイジーな音が鳴り続ける中、メンバーがステージ裏へと消える形でライブは終了。アンコールなし。今後の予定における周知事項も、同じくなし。……それでいて徹頭徹尾音楽の持ち得る力のみを駆使して駆け抜けた約1時間の熱演は、何故長らくアジカンが第一線で活躍するロックバンドとして確立しているのかを何よりも雄弁に証明する代物であった。
 
繰り返すが、彼らにとって今回のライブは自身2度目となるオンラインイベントだ。後藤のMCでも、また後のアフタートークでも赤裸々な言葉で語られていたように、やはり無観客でのライブ配信はキャリアを重ねた彼らにとっても、ある種やり辛い環境であったことは否めない。ただたとえ画面越しであろうとも、ファンに音楽を届ける場だけは失われていないということは、現在様々な制限が課せられる音楽業界における一筋の光として明確であることもまた、事実としてある。
 
元号が平成から令和に変わったように。現金以上に電子マネーが普及したように。そして今に生きる我々がマスク着用やソーシャルディスタンスの確保といった行動に慣れてしまったように……。時代は移り変わり、かつては当たり前だと思っていた事象はその実、決して当たり前ではなかったということを特にこの数ヵ月で、我々は痛感したはずだ。そんな中アジカンは未来を見据えた上で、我々に問い掛け続ける。「人生それでいいのか?」という、答えのない質問を。いつしか画面にはアフタートークの『ファンコネクト』なるコーナーでアンケート上位を獲得した“新世紀のラブソング”の映像が此度の『Dive/Connect@Zepp Online Vol.1』の終わりを告げるエンディングテーマの如き寂寥を携えて流れ、そしてしばらくの時間が経過した後、今だからこそ実現に至る必然さえ思わせる1時間あまりの運命的一夜は、後藤による《恵みの雨だ/僕たちの新世紀》との一節を最後に眠るようにその役目を終えたのだった。
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