4141 件掲載中 月間賞毎月10日発表
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

私はコブクロに生への執着心を忘れるな、と言われた気がした

決して後回しにせず、今聴いてほしい「灯ル祈リ」

特にファンではない人に「コブクロの楽曲のイメージは?」と聞いたとすれば、きっと返ってくる言葉はこのようなものではないだろうか。

「爽やか」「元気」「泣ける」「ラブソング」「青春」「穏やか」

敢えて印象の良くないキーワードを挙げるとすれば「綺麗事」もイメージのひとつにあるかもしれない。

しかし、このキーワードのどれにも属さない新曲「灯ル祈リ」が、10月14日に世の中に放たれた。

この曲に「コブクロらしさ」は一見すると見当たらない。これまでに彼らが世に送り出したシングル曲と比較してみても、特別にキャッチーなメロディーでもない。イントロのメロディーも、ほんの少しのピアノの美しい音色に気を取られていたら、耳を刺すようなギターリフが正面から大手を振ってやってくる。
最初に聴いた時に頭に浮かんだのは焦燥、衝動、喧騒......そんな言葉ばかりだった。

聴き進めていくにつれて、この楽曲における最も強烈で悲痛なフレーズの全てはいわゆる「コブクロの大きい方」と呼ばれる黒田が主旋律を歌っているということに気付いた。
元々コブクロの楽曲にはAメロが小渕、Bメロが黒田、そしてサビで二人で歌うという構成が多い。

それを踏まえて考えてみると、恐らく私の都合のいい解釈なのだろう。いや、そもそもパート割りと歌詞には何の関係性もないかもしれない。
そう分かっていても、私には黒田が歌うパートであるBメロに小渕が一番言葉にしたかったものを詰め込んでいるように思えてならない。

1番では今この時代に起きている条理と不条理を、2番では人間に身勝手に収監され逃げ出したライオンを例にエゴイズムを嘆く。
黒田の骨太で力強く真っ直ぐな、なのにどこまでも広がっていくような唯一無二の歌声にそのインパクトの強い歌詞を乗せることで、説得力を強めている。

コブクロは今まで、まさにJ-POPとしか言いようのない、大衆に受け入れられる音楽を指す言葉である「ポップス」そのものを歌ってきた。

この灯ル祈リという曲はロックバラードと表現されることが多いが、私はこの曲がロックバラードと呼ばれるのは何だか少し違うような気がする。難しい音楽理論や専門用語はさっぱりわからないが、パンクのエッセンスも含んでいるような気がするのだ。どこにもぶつけようのない感情が曲の中で渦巻いているのを感じるからだ。

テレビや動画などで小渕がこの曲に込めたメッセージについて「何が正しくて何が間違いかわからなくなっている世の中。自分達が曲を作っている間でも、命をかけて誰かが誰かを助けている。そんな姿を見て力を貰い、それを光に変えたくてこの歌を作りました」と度々説明している。

このどうにもならない、条理など存在せず不条理しかないのでは?と諦めてしまうような現状に結論を出し、楽曲として昇華させることが出来たのは小渕の感受性の豊かさ、そして持って生まれた才能があっての賜物だと心から思う。
 
私はこの曲に対してひとつだけ、ずっと気になっていることがある。それは何故曲名に漢字とカタカナを併用しているのかということ。

「灯る」「祈り」

暖かで穏やかな単語の組み合わせのはずなのに、そこにカタカナを遣うと妙に無機質で体温を感じられなくなってしまう。
コブクロはこんなにも冷たい雰囲気を漂わせる曲を書く人たちだっただろうか?と、曲名が発表された時からずっと引っかかっていた。
それは発売された今も自分の中で引っかかっていて、理由はわかっていない。歌詞の中では「灯る 祈り」と表記されているので、尚更引っかかるものがある。

もしかしたら、我々リスナーが聴いて感じ、心に祈りの灯を灯していけば「灯ル祈リ」は熱を帯び、人間味のある「灯る 祈り」に変わるのではないだろうか。

発売前、半ば真面目にこう考えたことがあった。
正直に言うと、あったというよりも今もそう思っているという方が正しい。
本当はカタカナを使用した理由なんて何もないのかもしれない。これはただのリスナーの戯言である可能性の方が遥かに高い。二人に聞いてみないと真相は分からない。そう思いながらも、きっと理由がわかるまでは私はそんな妄想に耽ってしまうだろうと思う。

文頭にこの曲は「コブクロらしさ」がない楽曲だと書いたが、唯一「らしさ」と捉えることが出来ないわけでもないフレーズがひとつだけある。

「見てろ 愛に勝てるものなど無い 心がそう言ってる」

彼らは愛に勝てるものなどない、と大きく言い切った。表現としてはごく普遍的である。
しかしそれは、これがラブソングであったとすればの話だ。

この曲は世の中に対する応援歌だ。よってここで歌われる愛は慈愛を指していると思う。
恋愛感情における愛とは全くベクトルが違うのだ。これをコブクロらしさと見るか、見ないかは人それぞれだけれど。

恋愛をテーマに歌うことが多い彼らでも、ここまで愛についてきっぱりと強く、かつ挑発的で自信満々に歌ったことは恐らく今までにないのではないかと思う。私にはその姿があまりにも逞しく、とても強く凛々しく見えて堪らない。
 
今までのコブクロの楽曲には、必ず「君」や「あなた」といった対象になる「特定の」誰かが居た。リスナーが自分を投影し、共感できる仕掛けを必ず彼らは用意していた。

しかし今の彼らは、不特定多数の見えない人達に、この心に灯る祈りが届いてくれと歌う。
ひとりひとりの心に小さな祈りを灯してくれと歌う。

コブクロがそう歌うなら、と何か行動に移す人も居るかもしれない。
私みたいに身勝手なレビューを書くことしかできない人間も居るけれど、そもそも私が人生で初めてこうして音楽レビューを書こうと奮起した理由は、この曲が発売されたからだ。

ここから少しどうでもいい私情を挟むが、私はこのコロナ禍で持病を悪化させてしまい臥せっていることが多くなってしまった。
自分で自分の面倒を見ることも出来ない、もう生きていたくないと思うことも何度もあった。

そんな中でこの曲を聴き、無気力状態だった自分がどうしてもこの曲について書きたい。そして何よりも誰かにこの曲に対する気持ちを聞いてもらいたいと強く強く思い、こうして筆を執っている。

「この曲をまだ知らない人に知ってもらいたい」という気持ちが、生きていくのがつらいと思う気持ちを超えたのだ。私には好きな音楽が沢山ある。コブクロよりも長く応援しているバンドもいる。
それでも、今まで音楽を聴いてきてこんな衝動に駆られたのは生まれて初めてだった。

これはコブクロが私に灯してくれた、この曲を知らない誰かに繋ぐための祈りの灯のひとつだと思っている。
病に舵を取られ、明日がどうなるかわからないと思うような日々の中で見つけた唯一の祈りの灯を、私はこのような形で灯すことに決めた。

コブクロは活動を休止していた年を除き、毎年行っていたツアーを今年は中止すると発表した。日程も会場も発表されないままでの中止のアナウンスを聞いた時は、とても残念だった。

この状況下で何とか出来ることはないかと模索したのだろう。10月3日にコブクロは初のストリーミングライブを行った。小渕が「無観客ではなく『夢』観客ライブ」と笑顔で話していたことが強く印象に残っている。
すっかりお馴染みとなったバンドメンバーやストリングスを引き連れ、高音質、高画質の最高の環境でツアーさながらのステージングを展開し、画面越しにファンを大いに楽しませてくれた。

そしてその一週間後、コブクロは10月10日、11日と大阪・万博記念公園で開催された野外フェスティバル、OSAKA GENKi PARKへ出演した。私はそこに足を運んだので、こちらについても少しだけ自分の思いを書き留めておきたいと思う。
OSAKA GENKi PARKはコブクロとしても、もちろん私個人としても、2020年初めての有観客でのライブであった。

一日目にこの曲を聴いた時、不思議と涙は出なかった。
きっと涙腺の弱い私のことだ。泣いてしまうだろう、と予めハンカチを握りしめて観ていたのに涙は出ず、反対に息を呑むばかり。私の頭はただひたすら感動と放心の狭間を揺らいでいた。

二日目に聴いた時、じわりと涙が出た。
初日と一体何が違ったのか、彼らは両日とも間違いなく全身全霊で歌を届けてくれた。自分でも上手く表現することが出来ないけれど、きっと初日は昼間から始まって、二日目は空が薄暗くなってくる夕方から始まったという部分がより感動を大きくさせたのだろうと思う。
 
「生きる 意味を叫べ」

「いつか 灰になる覚悟の上で」

口ずさむ度、文字に起こす度に考えてしまう。
桜や赤い糸などのラブソングを歌い続けてきた二人の口からこんな言葉が出てくるだなんて、一体誰が予想していただろうか。

新型コロナウイルスの流行に伴い、誰もが外出自粛や行動制限などを余儀なくされている2020年。
ドミノ倒しのように次々と報道される著名人の逝去のニュースや、昨年まで当たり前に営業していたライブハウスの閉店の知らせ。芸能、特に音楽業界は誰がどう見ても限界に達していると思う。

この最中でコブクロが世の中に対して発した叫びと覚悟は、相当なものだと推し量る。

何故ならばこの楽曲からは、大多数から共感を得ることや、自分に重ね合わせて曲を聴いてもらおうという意図が私にはどうしても伝わってこないのだ。

自分に近いものを感じると親近感を覚える。人間とはそういう風にできていると思うし、共感を得ると利益に繋がることも間違いない。

なのに彼らは、ただひたすらに、世の中に蔓延する条理と不条理への絶望と葛藤を知ってくれ、と切望しているだけ。
ただひたすらに、命をかけて戦う人に届けと祈るだけ。

ただひたすらに、一緒に死ぬ気になってでも生き延びようと叫ぶだけ。

何も、コブクロの自己満足であると言いたいわけではない。
今、コブクロは共感を得るより、賞賛の言葉を貰うより、自分達の思いと「誰の目にも映らない現実」で生きている人の思いを、歌として多くの人に伝えるということを一番に優先して曲作りをしたのではないかと思う。
自分達と見えない人の思いを世間に伝える手段として、楽曲を世に送り出したとも言える。

コブクロに失礼を承知で書くけれど、私の中の大きな偏見かもしれないが「コブクロなんてどうせ同じような曲ばかり」と思う人もきっと少なくはないと思う。

けれど、お願いだから、この曲だけでいいから聴いてくれないか。

この曲をまだ知らない誰かにそう縋りたくなってしまうほどに、この曲の持つ熱量と衝撃は凄まじいものなのだ。

今流行りのサブスクリプションサービスを使ってもいい。YouTubeの公式チャンネルにはMVもアップロードされている。少しでも気になったならば、今この時代に必ず耳に入れておいてほしい。コロナ禍を脱出してからでは遅いのだ。

一度聴いてもよくわからない。そう思ったら二度聴いてほしい。それでも自分には合わないと思うならばそこで終わりでいい。

けれど、いいと思った人も思わなかった人も、自分の中に漠然とあったコブクロのイメージがきっと覆るはずだ。そんな大きな力をこの楽曲は持っているから。
 
最後に。この情勢の中、リモートという難しく新しい環境で一生懸命曲を作りこの世に送り出してくれたコブクロの二人へ、目一杯の感謝と尊敬の念、そして愛をここに記します。
  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい