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aikoという確かな灯

もう「裸眼」では見つけられない「アンドロメダ」

青春期に読んだ本や、聴いた音楽、足しげく通った店などを、人は恐らく、すっかり忘れてしまうことはできないだろう。まして「嫌いになること」など、まず不可能なのではないかと、私は考える。

いつが「青春」なのかは、人によって違うだろうけど、私にとっての「それ」は、二十歳前後の数年間だった。そのころに教わったこと、他人様から打ち明けてもらった悩みや愚痴といったものは、今でも私の羅針盤だ(傷ついた人に接する時や、相談ごとを持ちかけられる時、思い出すべく努めるのは「青春」に見聞きしたことである。それらから多くのヒントを得て、いま関わりのある人のために役立てたいと考えている)。

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ただ「忘れない」というのが、当人にとってプラスにはたらくかは、何とも言い難いことなのではないかとも思う。

忘れない、忘れがたい、忘れられない。

そんな過去に足を取られ、思うように進めないという苦しみも、時として私たちは味わっているのではないだろうか(いま青春のさなかにある人たちでさえ、少年期・少女期の後悔や哀しみを、程度の差こそあれ引きずっているのではないか)。

私がaikoさんの楽曲を、いちばん熱心に聴いたのは、まさに青春期だった。

それから激動の20代前半を過ごし、苛烈な20代後半を過ごし、やつれきって30代を迎え、いま、何かにしがみつくように、辛うじて40代を迎えようとしているけど、私にとってのaikoさんは、いわば<<何億光年向こうの星>>として「青春の夜空」に光りつづけてきた。どれだけ遠く離れても、その光はずっと、私を励ましてくれるかのように、届きつづけていた。

…はずだった。

確信がもてなくなってきたのは、ここ一、二年のことである。

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私は迷いはじめたのだと思う。あるいは、自信を喪失したのだと思う。

青春に教わったこと、心に刻みつけたこと、そのうちの幾つかは、あるいは間違っていたのかもしれない、そんなことを考えてしまう今日この頃なのだ。それらは、持ち出した時点では(青春の時点では)、ことによると「宝石」だったのかもしれない。いつしか私が、それを汚し、傷つけ、価値のないものに変えてしまったのかもしれない、そんなことを思いもする。

これはもしかすると、私が「過去」から解き放たれ、新しい自分になる好機なのかもしれない。無理してポジティブにとらえようとするなら、そういうことにもなるだろう。それでも私には、aikoさんの楽曲が好きでたまらなかった、あのころの自分と訣別することなど、とてもできそうにない。日々、私という人間が薄汚くなっているのだとしても、その原点だけは「星」だったとするならば、未来を見据えるよりも、まずは過去を温めなければならない、そんなことを思ったりする。

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私が間違いをおかしたり、自らの非才を呪いたくなったり、自分を見失ったりしている間、つまり青春を終えたあとの約20年を過ごしている間にも、aikoさんはコンスタントに、新曲をリリースしてきた。その全ては聴けていないのは、私のせいである、aikoさんの輝きが弱まったことを意味しはしない。aikoさんのご活動に、ピュアな気持ちで向き合うこと、その新曲を、喜びだけをもって迎えることが、徐々に難しくなってきたのだ。

「小難しいことを考えないで、理屈を並べないで、ただ無心に聴けばいいじゃないか」

そう言ってくれる人も、もしかするといるかもしれない。たしかに自分でも、そんな風に思うことはある。ただ、くり返すように、私にとってのaikoさんは、青春期を象徴する星明りなのだ。その楽曲を、無邪気に(純粋な娯楽のために)聴くのは、いつしか、とてつもなく難しいことになってしまっている。

もう戻れない青春時代が、ありありと蘇ってしまう。歩んできた「間違った道」が、克明に照らし出されてしまう。不安に満ちた未来が、浮かび上がってしまう。私は、それが怖い。怖くて仕方ない。aikoさんの放つ、一等星のような光に、もはや私は耐えられそうにないのだ。

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誤解を与えてしまう文章を書いているように感じられてきたので、ここでハッキリと述べておくけど、私はaikoさんのご活動・楽曲を、美しいものだと思っている。それはご理解いただきたい。問題は全面的に、私の側にある。美しいものを受けとれないほどに、この手が汚れてしまったように感じられる、そういうことです。

そういうわけで私は、aikoさんの新曲「ハニーメモリー」を、まだ、きちんと通しては聴いていない(聴けていない)。

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それでも青春に聴いたaikoさんの曲は、ずっと心のなかに流れつづけている。

とくに懐古主義というわけではないので、aikoさんの近年の作品群を、じっくり、じっくりと聴いたなら、そのなかからフェイバリット・ソングを見出せるはずだとは思う。それでも私にとっての「星」は、ずっと前にリリースされた「アンドロメダ」である。意識せずとも、ふっと胸に浮かぶのは、本曲のリリックなのだ。海上で途方に暮れる航海士が、闇夜のなかで星を頼るように、私は楽曲「アンドロメダ」という「星」を、日々、つい見上げてしまう。

<<あたしは何を落としてきたの?>>
<<思い出せない記憶のクリップ>>

これはaikoさんの直情なのだろうか、そして、今なお時として、その胸に浮かぶ思いなのだろうか。そうであってほしいし、そうであってはほしくない。私はaikoさんに、自分と同じような弱い人間であってほしい、そんな願いを持っているし、同時に、辛い過去を辿るような思いをさせたくはない、そんなことを願ってもいる。aikoさんという「アンドロメダ」から降り注ぐ光は、ひたすらに真っ直ぐだけど、私が反射する(投げ返す)光は歪んでいる。恐らく私は、aikoさんがリスナーに向けて放ちつづけている思いやりや励ましを、素直に受け取れていないのだろう。

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<<空は暗くなってゆく 今日も終わってしまう>>
<<この世の果て来た様に呟く「さよなら」>>

身動きがとれないまま、心の準備ができないまま、私は今日も、一日の終わりを迎えようとしている。また一歩「老い」に近づき、青春から遠ざかろうとしている。青春期に比べて、だいぶ視力が落ちた。

もしかすると、この約20年の間、私はいくつもの「再会」を見落としてきたのかもしれない。<<交差点で君が立っていても>>、それに気付くことができず、「久しぶり」「元気?」と言い交わす機会をもてなかったのかもしれない。加齢のせいだけにはできない、うつむいて生きてきたのだから、仕方のないことだ。

それでも私は、青春期に多くのものを授けてくれた人たち、とりわけ、もう二度と会わないかもしれない人たちや、どこかの「交差点」ですれ違ったのに挨拶もできなかった人たちに、このことだけは伝えておきたい。

「俺は、今でもaikoの曲を、嫌いになってはいないよ」

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いつか…、いつかなどという遠い将来が、もう初老を迎えた私に用意されているのかは、誰にも分からないことだけど、それでも敢えて「いつか」と書く。いつか私が、無数の思い出が照らし出されることを恐れず、みじめかもしれない将来が映し出されることも怖がらず、aikoさんの楽曲を、青春期のような気持ちで聴けるようになる日まで、aikoさんのご健康が守られることを願ってやまない。その美しい光線が、リスナーだけに向けられるのではなく、ご自身の心にも届くことを願ってやまない。

きっとaikoさんは、あの頃も、今も、そしていつまでも、確かなる星座として、夜空を照らしてくれているはずだ。いまの私の、どんよりと曇ってしまった目では、その「アンドロメダ」を見つけることは難しい。楽曲「アンドロメダ」の旋律を、心のなかでリピートするしかない。

そんなリスナーをさえも、aikoさんが見守ってくれているのなら、機会を逃すことになりかねないのだとしても、私は<<さよなら>>は言わずにおこうと思う。いま私のいる場所は、世界の果てのように思えてしまうけど、それでも。

※<<>>内はaiko「アンドロメダ」の歌詞より引用
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