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この世界のどこかで繋がる空を見上げている

米津玄師『カナリヤ』のMVを通して触れる、変わりゆく中でも変わらない確かなもの

 「20年の変化が2年で進む」——自分が朝電車で読んでいた新聞記事の中で目にしたこの一文が、とても印象的だった。その日は2020年11月19日で、米津玄師『カナリヤ』のMVが公開された日だ。

 『カナリヤ』は私にとって、その美しいメロディや歌詞や歌声にもかかわらず、アルバム『STRAY SHEEP』において、何となく距離を置いてしまう曲だった。私は、この曲に込められた「変化を肯定していく」、「今を生きることを肯定していく」という大切な思いを頭では理解していた。でも、正直に言うと、この曲に込められた肯定が内包する「あなたじゃなくてもいいよ」という両義性(ROCKIN’ON JAPAN 2020年9月号のインタビュー参照)によって、この曲はなかなか私の中にすっと入ってはこず、アルバムの中でもなかなか馴染めない曲だったのだ。インタビューでの米津さん自身の言葉にも、この曲に対する迷いや苦悩と言うか、割り切れなさのようなものが感じられた。

 それが、是枝裕和監督による『カナリヤ』のMVによって、自分の中でようやく腑に落ちたような気がした。言葉で説明するのではなく、このMVそのものが映し出す、言葉では掬いきれないもの、形のないもの、触れられない中でも触れ合えるもの、言葉で言い表し切れないけれど確かに愛としか言いようのないもの、人生そのものとしか呼びようのないもの、心にしっかりと伝わってくるもの、そのすべてが、私の心の中に曖昧な状態でとどまっていた『カナリヤ』を、これ以上ない確かなものとして完成させてくれたのだと感じる。このMVによって、私にとっての『カナリヤ』は『カナリヤ』になったのだと、強く感じている。

 これは単なるミュージック・ビデオではない。沢山の方たちが言っているように、ミュージック・ビデオと言うよりも、映画であり、物語だ。私には、米津さんが『カナリヤ』という曲を通して世の中に伝えたいこと、伝えなければならない大切なことを伝えるためには、どうしても物語が必要だったのだと思えてならない。そして、映像を通して、その伝えたいことをもっとも相応しい形で、人々の心に深く届く物語として紡ぎ出してくれたのが、是枝裕和監督だったのだと。 

 『カナリヤ』のMVでは、コロナ禍により変わりつつある様々な触れ合いが映し出されている。透明なビニールシートで隔てられたコンビニのレジで、お釣りを置いたトレイの中で一瞬触れ合う二人の指先。制服姿でバスケットボールをしながら笑い合う二人。ベッドで触れ合っている肌とシーツ越しのキス。ポストに投函され、郵便受けに届いた手紙。涙で濡れた顔に触れる雨粒。湖に手を入れた時の水や花びらの感触。それを観て感じるのは、触れ合うことのできない状況下でその感触がどんどん失われていく感覚と、それが生み出す悲しみや寂しさ。でも、決してそれを嘆いているわけではない。このMVが伝えているのは、失われたものへのノスタルジーではないのだと感じる。隔てられて、触れ合えない中でも触れ合えるもの、分かち合えない中でも分かち合える何かがちゃんとある。それを象徴するモチーフが、「カナリヤ」なのだ。 

 MVの終盤で、薄暗い部屋に立ち、心を込めて歌う米津さんのそばには、スポットライトのようなものから差し込む光の筋となって飛んでいる、黄色いカナリヤが見える。それは実物のカナリヤではなく、アニメーションのカナリヤだ。ファンタジックな温もりと、その優しくて愛らしい姿に心が和む。なぜ、実在するカナリヤではなく、アニメーションのカナリヤなのだろう、と私は想いを馳せる。アニメーションとは、ある意味では空想を可視化したものだ。それは、心の中にあるものであり、心の中で見えるもの。『カナリヤ』における「カナリヤ」とは、単なる生物としての鳥ではなく、心の中で分かち合うことのできるモチーフであり、「変化していくことへの肯定」を体現している。『カナリヤ』のMVは単なるリアリティの描写ではなく、ひとりひとりが心の中に大切に持ち続けることができるものを物語の中で共有してくれているのだ。あのアニメーションのカナリヤが、それを示してくれている。

 このセリフのないMVにおいて、その表情、仕草、まなざしによる表現によって、愛とは何か、生きるとは何か、といった、言葉ではどうしても説明しきれないことをものすごい説得力で伝えてくれているのが、田中泯さんだ。田中泯さんの存在が、このMVにとてつもない奥深さを与えている。

 もう十数年も前、自分が大学生だった頃、同じ講義を受けていた子が、ダンスや身体について関心を持っていて、「暗黒舞踏」をテーマに研究をしていた。その子の話の中で田中泯さんについて触れられていて、その時初めて私は田中泯さんの名前を知った。田中泯さんの表現は、ダンスという身体表現そのものである。以前にテレビで観た田中泯さんのダンスは、今でも私の記憶に強く残っている。  

 数年前に放送された、アイルランド出身のイギリス人画家フランシス・ベーコンを特集したテレビ番組。田中泯さんがベーコンの絵画にインスピレーションを受けたダンスを創り上げていく過程と、それを裸のまま踊る姿が、何年も前のことであるにもかかわらず、私の中で強く印象に残っている。そのテレビ番組を観たのが何年も前であり、私の記憶は正確ではないかもしれないけれど、ベーコンの絵画において、歪んだ顔の肉が垂れ下がっていき、顔が溶けていくようなイメージがあって、それを田中泯さんが自身の身体とダンスで表現されようとしていたのを憶えている。ベーコンの絵も、田中泯さんのダンスも、言葉にならない叫びのようだった。

 言葉ではないもの、言葉では表現し切れないもの、言語化不可能な何か。それを、ダンスや身体性によって表現していく。自身の表現において言葉にできないものを大切にすること、それは田中泯さんと米津玄師さんの共通する部分ではないか、と私は感じている。そして、その言葉にできない大切な何かを、その一瞬一瞬の輝きを、映像という表現により、この上ない確かさと美しさを持って映し出してくれているのが、是枝裕和監督なのである。

 音楽と映像の融合であるというMVの性質上、基本的にセリフが無い。従って、言葉ではない表現で物語を伝えていくことになる。観る者に物語を伝えてくれるのは、登場人物たちの表情、仕草、まなざしである。そこには、翻訳不可能な瞬間が刻まれている。言葉にできない何か、言葉にしてしまった瞬間にそこから零れ落ちてしまう何かが、留まり続けている。私がそれをもっとも感じたのは、田中泯さん演じる男性が、ビニールシート越しに、薄暗い部屋のベッドに横たわる妻の死に直面した帰り道、紙袋を持ったまま河川敷を歩き、立ち止まるシーンだ。そこに映し出された男性の横顔。「愛する人を失った悲しみ」、という言葉で説明してしまうことは簡単だ。でも、決してその一言では言い表せない、言い表し切れない表情がそこにはある。どんな言葉で表現しても不十分なくらいに。

 『カナリヤ』のMV全編で映し出されているのは、非常にありふれた瞬間であり、ありふれた毎日の中にある、かけがえのない瞬間と、そこにある温もりや感触だ。このMVで映し出されているひとつひとつの瞬間は、すべてが人間の日常生活であり、人生であり、生きることそのものだ。例えば、ベッドでカップルが肌を重ね合わせシーツ越しにキスをするセクシャルな場面で映し出されているのは、生々しさではなく、日常生活におけるカップルの当たり前の触れ合いであり、生活の一部としての、生きていくことの一部としての触れ合いなのだと感じる。登場人物の老人男性が直面する愛する人の死という経験も、その人にしか分からない悲しみであり、他の誰にも置き換えられない経験だ。でもそれと同時に、愛する人の死とは、誰もが経験しうる、ものすごくありふれた経験でもある。日常の中にこそある物語。この上なくありふれた、でもだからこそかけがえのない、ひとつひとつの物語が持つ輝き。このような状況下で、『カナリヤ』という曲とMVは、その大切なことに気づかせてくれる。 

 コロナ禍によって引き起こされた断絶や孤独、悲しみ。でもだからこそ、その中でどうやって繋がりあっていけばよいのか、どうやって、その変化を肯定しながら、前向きに生きていくことができるのか。そのことに向き合っていくのが、今というタイミングなのだと感じる。物理的な距離や隔たりを越えていけるのは、内的な繋がり、心の中にある大切なものを分かち合うことでしかないのだと思う。触れ合うことができないからこそ、心を通じた触れ合いがますます重要になってくる時代。そのことに気づかせてもらえた。 

 『カナリヤ』のMVに出てくる登場人物(カップル)たちは、おそらくそれぞれ別の時代を生きていて、現実における通常の考え方では、物理的にも時間軸においても交わることはないし、それは不可能なことだ。でも、映像作品という物語ならば、それが可能になる。異なる時間や場所で生きる登場人物たちが、本人たちが気づかないうちに、交差し合い、分かち合えないはずのものを分かち合っている。その、通常であれば不可能な瞬間を、『カナリヤ』のMVは映し出している。それが、最後に登場人物たちひとりひとりが空を見上げるシーンだ。同じ空を見上げるその横顔が、時間や距離を超えて重なり合う瞬間だ。そこでは、米津さんも、今を生きている登場人物のひとりとなっている。そこには、形はないけれども確かな繋がりがある。

 街も人も変わっていく。時代とともに、社会構造や世の中の価値観も変わっていく。でも、空はいつまでも変わらない。時間帯や気候、季節によって、空模様や空の色は移り変わっても、また青空は戻ってくる。空に隔たりはなく、この世界のどこかで繋がっている。それを見上げる、登場人物たちそれぞれのまなざし。それは、変わりゆく中でも変わらない、確かなものを見つめている。
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