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風に吹かれながらも生きている

ヒグチアイが促す「自分を許すこと」

生きていると(学校に行ったり、仕事をしたり、家事に追われたりしていると)大変なことが沢山ある。そういったことを、たとえば健康を害したりして出来なくなってしまった時、その疎外感に(一般の人と同じことはできないということに)苦しめられたりもする。生きるというのは恐らく、どんな境遇にある人にとっても「安楽なこと」では有り得ないだろう。

でも、もし生きることが容易いことであったとしたら、多くの作詞家・作曲家は、作品を生みだしはしなかったのではないだろうか。人生が過酷だからこそ、悩みや嘆きを燃料にして、人類は芸術作品を作り続けてこられたのかもしれない。だから私たちが日々、音楽鑑賞などをできることは、苦痛の裏に歓びや可能性があることを、あるいは証明しているのではないだろうか。

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様々な種類の苦しみに満ちた世界に、それらを軽減させるような音楽が鳴り響いている。だからこの世は、決してバラ色ではないけれど、かといって灰色でもない。そう私は思っている。別れや失恋、挫折を味わった人に届く音楽。身体的に疲れ果てた人に、もうひと頑張りだと語りかけてくれる音楽。誰かと自分を比べて、劣等感にとらわれる人を慰めてくれる音楽。優しいリリックと奇麗なメロディーに溢れた世界は、美しいといえば美しいのだろう。

ただ経験上、人間がとらわれる感情のなかで、いちばん苦しいのは「自責」「罪悪感」といった、「自分が自分を認められない」という心的状態である。それをダイレクトに癒やしてくれる曲というのは、それほど多くはないのではないか。何しろ人は、自分を責めている時には、激励を受けたり鼓舞されたり、したくなくなる傾向にあるからだ。「誰に・どんなことを言ってほしいのか」をさえ、場合によっては分からなくなるものであるからだ。

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本当に心が苦しい時、人は音楽に何を求めるだろうか。お気楽なムードだろうか、流麗さだろうか、それとも激しさだろうか。非日常だろうか、それとも穏やかさだろうか。音楽を聴くというのも、それはそれでエネルギーを要することだ。追いつめられた時(自分で自分を追い込んでしまった時)、最後のひとかけらになったエネルギー、それをもって曲を聴くとしたら、私はどれを選ぶだろうか。

私は「日常の気配」が溶けた楽曲を選ぶし、もし人から問われたら、それを勧めもするだろうと思う。人間を本当に苦しませるのは案外「些事」であったりするものだと考えるからだ。自責の念から抜け出せないというのは、ある意味、どん詰まりの状況だけど、そこに至るまでの「ダメージの積み重ね」になってしまうのは、「ありふれたこと」であったりもする。

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ヒグチアイさんは楽曲「ラジオ体操」のなかで、こう歌う。

<<コンビニの店員がちょっとやな感じで>>
<<その日一日ブルーになったり>>

私の心は折れやすい。偉そうなことを書いてきたけど、他人様を励ましたり、力づけたりするような余力はもたない。むしろ自分が、救いをもとめて日々を生きている。だから本記事で試みるのは、そういう弱い自分にさえ、優しく届く「ラジオ体操」を「紹介すること」だけである。ぜひ聴いてほしい、そう力強く言うことはしない。私自身が、落ち込む時に聴いているのだと、この場で打ち明けることしかできない。

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不思議なもので、辛い時に限って、アンラッキーなこと・不愉快なことが、立て続けに起こるものである。人がネガティブ思考になってしまう(最初の)きっかけは、多くの場合、小さなものだ。そういう時に(小さな傷を負った時に)、誰かから叱責されたり、無遠慮に励まされたりすると、いつしか悩みが膨れ上がったりしているものである。それでも私たちは、その「誰か」を一方的に悪いと決めつけることはできない。善意から叱ってくれる人も世の中にはいるし、何しろ自分自身でさえ、どんな言葉を欲しているかを把握できないこともあるわけだから。

いよいよ気持ちが暗くなった時、折あしく「いやな感じのする、どこかの店のスタッフ」に出くわしでもしたら、それが強烈な一撃になり、寝込んでしまうことにもなりかねない。普段ならば何ということのない、他人の些末な無神経さに、弱りきった人の心は切り裂かれることがある。そして思う、コンビニの店員さんだって、日々、過酷な仕事のなかで、心ない人から辛く当たられたりしているものではないだろうか。

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楽曲「ラジオ体操」は、私にとって、そっと傷口を覆ってくれる包帯のような作品である。本作は「がつがつとした激励の曲」ではないし、「その場しのぎの、きやすめを言うような曲」でもない。落ち込む誰かに寄り添って、その重荷をおろしてくれるような「労りの曲」だと思う。私たちは時に、己という弱い存在に、過度な期待をする。他人という(ある意味)不確かな存在から、強い影響を受けすぎる。そんな私たちに「がんばりすぎること」をやめてみるよう、ヒグチアイさんは促す。

<<ラジオ体操みたい>>
<<きただけでもらえるハンコ>>
<<生きただけでもらえるハンコ>>

たしかに人間は、そのくらいのスタンスで過ごしていければ上出来なのかもしれない。大それたことをできなくても、周囲からの期待に応えられなくても、生きてさえいれば立派なのかもしれない。それでもヒグチアイさんは、つづけて、こうも歌う。

<<よくがんばりましたって押してほしいよ>>

そう、ヒグチアイさんは「闇を照らす天使」などではなく、私たちと同じように承認を求めている、「ひとりのバルネラブルな女の子」でもあるのだ。<<押してあげるよ>>と歌うのは、曲の終盤だ。<<押してほしいよ>>、そうやって彼女は、自分もまた強くはないことを吐露してくれる。

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ヒグチアイさんは私たちの心から、ひとつずつ重しを取り除いてくれる。重苦しい人生から、ある種の「荷下ろし」をしてくれる。

<<追い風がきみを進ませて>>
<<向かい風が支えてる>>
<<いつだって真ん中 きみがいる>>
<<だから1人じゃないんだよ>>

ともすれば人は、落ち込む誰かに向かって「あなたは独りじゃないよ」というようなことを言ってしまう。その人に自分が、どこまで付き合えるか約束もできないのに。そして、孤独であるかどうかは、その人にしか分からないことなのかもしれないのに。

私たちは誰かの、完全な理解者になることが難しいし、自分にとっての理解者を見つけることも、なかなかできない。極論すれば、この世界において、人は時として孤独になりうるのだ、残念ながら。

だからこそヒグチアイさんが、他ならぬ「あなた自身」がいるじゃないか、そんなメッセージを届けてくれることは、淡くも確かな光だと思う。家族や恋人、友人、そういった存在から「期待どおり」の言葉をもらえなくても、あるいは心を許せる誰かが傍にいなくても、人生は決して「ゼロ」にはならない。そうヒグチアイさんは諭してくれる。「1」という、小さくとも尊い数値を残す、優しき荷下ろし。

<<今日を生きることが>>
<<明日につながるから>>
<<眠れず朝を迎えていい>>

「ゆっくり眠れ」「いい夢を見ろ」、そう挨拶がわりに言うことは難しくない。それでも、それが善意からの発言であっても、そういった言葉は「眠りにつけない人」を、さらに悩ませたりすることがある。不眠に悩む人は(相手に悪意がないのを分かっていながら)「健康な人に自分の気持ちなんて分からないよな」と感じることがあるのではないか。眠りたい時に眠れないというのは、本当に辛いことだと、私たちは経験上、分かっていたりもするのに、他人に対してはデリカシーに欠けることを言ってしまうことがある。

それでもヒグチアイさんが、たとえ十分には眠れなくても、その夜の向こうにさえ「朝」が来ることを教えてくれる。「ラジオ体操」は、眠れない己を咎める人から、その義務感のようなものを取り除く、そんな試みをしてくれる曲でもある。

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楽曲「ラジオ体操」は、穏やかなピアノの音に乗って歌われる。もっと多くの楽器で装飾しても映えるはずの本曲からは、ほとんどの音が引かれ、柔らかに鍵盤をタッチする音と、ヒグチアイさんの美声だけが残された。その余白のなかに、リスナーの屈託や鬱憤は、そっと溶けていく。寝苦しい夜のなかに吹き込む風のように、暑い日に降る雨のように、ヒグチアイさんの歌は心を撫でる。

そして、ついには、その「美声」さえもが途切れ、息切れのような呼吸音だけが耳に届く。それこそが、多くの荷物をおろしてくれた、多くの束縛からリスナーを解放してくれたヒグチアイさんが、「これだけはなくすまい」と誓う「基礎」なのではないか。「あなたにも、これだけはなくさないでほしい」とリスナーに願う「基礎」でもあるのではないか。

<<ただ基礎は忘れるなよ>>

「ラジオ体操」は生きることを肯定する(生きることだけは肯定してほしいと祈る)静かな、静かな応援歌だ。「子守唄」でもあるかもしれない。あるいは歌でさえない、心地よい日差しのようなものなのかもしれない。生きていればこそ感じられる、生きていさえいれば感じられる、柔らかな日差し。

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「私は沢山のものを持っている」、「自分には多くの友人がいる」、「自分にできることだってあるじゃないか」、そうやって「プラス」を見出して、自分の人生だって悪くはないと思えるなら、それは素敵なことだろう。でも、そんな風に希望を数え上げることは、疲れ果てた時、とても困難なのではないか。

「今は、これを持っていないけど、それでも構わないか」、「いま誰も近くにいないけど、自分だけは、ここにいるか」、「これといって得意なことを思い付けないけど、まあ仕方ないか」。そんな「多くを人生に望まないようにする試み」、その果てに残される己の呼吸だけを、歩き疲れて乱れた呼吸だけを、私たちは肯定してあげればいいのかもしれない。

くり返すように、私などが他人様に対して、メッセージのようなものを届けることはできないように思える。だから「ラジオ体操」の歌詞を引用する。

<<よくがんばりましたって押してあげるよ>>

※<<>>内はヒグチアイ「ラジオ体操」の歌詞より引用
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