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青春の余韻

My Little LoverとMr.Childrenに彩られた歳月

「ああ、いま自分の『青春』が終わってしまったんだな…」

そうハッキリと感じた瞬間がある。それは26歳の初春のことだった。遠地で暮らすことを選び、もう会うことはなくなるはずの友人のために、学生時代、よく深夜のドライブをしていた(彼自身を含む)4人で集まり、ささやかな送別会を催した日のことだ。

送別会といっても、酒豪というわけでもない男4人が集まったところで、特段、華やかなことができるわけではない。そして今さら「深夜のドライブ」をするほどのバイタリティはないし、それぞれに翌朝のことを考えなければならない歳になってもいた。

「何をしようか」
「せっかく集まれたんだから、なにか面白いことをしたいよね」

ひとまず海辺に向かって車を走らせながら、そんなことを話し合った。まだ陽は高く、ライブに喩えるなら「その日で解散を迎えるバンドの1曲目」が流れ始めたところで、車中に「感傷」が充満しているわけではなかった。久しぶりに4人が揃ったという昂揚感のほうが、その日をもって4人では集まれなくなるという悲しみよりも、ずっと大きかった。たしか車中には、Mr.Childrenの楽曲が流れていたように思う。

***

結局、私たちは、遊覧船に乗ってみることにした。他に思いつくことがなかったのだ。船が岸辺を離れ、徐々にスピードを上げ、体が揺れ始める。その時まで私たちは、笑い合い、色々なことを話し合っていた。それでも沖に出た時、そして誰が促すでもなくデッキに出てみた時、4人の顔から笑みが消え、言葉を発する者はいなくなった。それぞれが「今日は終わりの日なのだ」ということを、恐らくは再認識したのだろうと思う。潮風のなかに静寂が溶け、季節柄、まだ強くはない陽光が、デッキの上に注いでいた。

その時、私の胸のなかに、My Little Loverの「Hello, Again 〜昔からある場所〜」が流れ始めた。前触れもなく流れ始めた。

<<波の彼方に ちゃんと″果て″を感じられる>>

脳裏に浮かんだのは、いま別れようとする友人との日々ではなかった。沖から眺める、かすんで見える街には、何人かの女の子と語らい、そして歩いた道や店が、いくつも含まれていた。私は彼女たちを「思い出すこと」を、いつからか忘れていた。それでも、その潮風に、淡い日差しに、自分の辿ってきた道が、ありありと照らし出されるように思えたのだ。

俺には<<果て>>があったな。そうだよな、たしかにあった。

あえて言語化するなら、そういうようなことを思った。会場から遠巻きに見る街には、若かった自分の姿、いま以上に頼りない自分の姿と、寄り添うように歩いてくれた女性の姿が認められた。自分が(あるいは人間が)永遠性を持たないこと、それどころか束の間の幸福さえ、時に手離してしまうこと。叶えられない夢があったこと。これからもあるに違いないこと。そんなことを思い、たまらなく切なくなった。それが私にとっての「青春の終わり」だったのである。

My Little Loverの歌声、その奏でる楽器の音は、胸のなかで次第に大きくなっていった。

<<少しの リグレットと罪を 包み込んで>>
<<夜の間でさえ 季節は変わって行く>>

自分のかかえている<<リグレット>>は、はたして<<少しの>>ものだろうか。もしかすると俺は、これから先、ずっとそれらを忘れることができないのではないだろうか。いつからか、移ろう<<季節>>に、きちんと「さようなら」を言うことさえもせず、いたずらに時を過ごしてきてしまったのではないだろうか。

涙こそ流さなかったものの、それほどまでに深い悲しみを覚えたのは、それまでの人生で、2、3度しかなかったのではないかと思う。

同じ時間を、同じデッキで過ごす仲間たちの胸に、どんな曲が流れていたのかは分からない。それぞれが沈黙のうちに、どんな痛みを味わっていたのかは分からない。それでも私たちは、My Little Loverに少年期を彩られた世代ではある。仮にその時、私を除く3人が「Hello, Again 〜昔からある場所〜」を思い出していたのではなかったとしても、その楽曲のなかには、皆が共有できるはずのセンテンスがあった。

<<僕は この手伸ばして 空に進み 風を受けて 生きて行こう>>

やがて遊覧船は岸に戻り、私たちはまた饒舌になった。それでも私は「青春」を終えてしまったことで、いくぶんの脱力のようなものを感じていた。見送る友人に、どんな言葉を最後にかけたか、それは心のなかにしまっておくことにする。

***

誰かの青春が終わっても、そんなことにはお構いなしに、社会というものは回っていく。<<リグレット>>の多さを、あらためて思い知らされながらも、日々、しなければならないことがある。毎夜、仕事が終わるたび、真っ暗な家路をたどりながら、私はMr.Childrenの「くるみ」を、そっと口ずさむようになった。

<<良かった事だけ思い出して やけに年老いた気持ちになる>>

たしかに私は<<年老いた>>気分になっていた。4人でドライブをしたこと、あちこちでラーメンを食べたこと、明日のことなど(あまり)考えずに夜を過ごしたこと。それは恐らく<<良かった事>>だった。それでも私は、不意に思い出さずにはいられない「良くなかったこと」も、多く抱えていた。女性を傷つけたり、逆に女性に傷つけられたりして、青春の日々を過ごしてしまった記憶が、夜道を寂しいものに感じさせたのだ。旅立った友人が残したのは、彼自身の不在という「空白」だけでなく、あまりにも強い、私の個人的な感傷でもあったのである。もしMr.Childrenの「くるみ」という楽曲を知らなければ、ことによると私は、その日々に耐えられなかったかもしれない。

<<気が付けば一つ余ったボタン>>
<<誰かが 持て余したボタンホールに 出会う事で意味が出来たならいい>>

巧みな比喩である。これの「正しい」解釈がどんなものなのかを、もちろん私は知らない。それでも私は考えていたのだ、<<余ったボタン>>というのが、自分の出し損なった優しさや思いやりといったものであったとするならば、そして<<持て余したボタンホール>>というのが「大事にされなかった無念」や「傷つけられてしまった日々」を意味するのだとしたら、これから先、もう少しは真っ当な人間関係を作っていきたいと。

きっと私は<<ボタン>>であり、恐らくは<<ボタンホール>>でもある。それは誰にでも当てはまることだと思う。それでも私は、自身が<<ボタン>>であることこそを意識して、これから先を生きていけたらと思った。端的に言えば、優しくなりたいと思っていたのだ。

***

そのような蒼いのかもしれない誓いを、貫くことができたのかは、私自身が決めることではないだろう。あるいは私は、性懲りもなく、いくつもの<<ボタンホール>>を作ってきたのかもしれない。いや、そうであるに違いない。私に不快な思いをさせられた人、もっと言うなら傷つけられた人は、きっと少なくはない。それでも、あの日、遊覧船から降りたあとの「序章」を、Mr.Childrenの「くるみ」が見守ってくれたことは確かだ。

青春が終わってから(少なくとも自分自身が「終わった」と感じてから)実に13年という歳月が流れた。<<リグレット>>にとらわれる回数は、いくらか減ってきたように思う。悪いと思ったら「ごめんなさい」と口にし、有り難いと思ったら「ありがとう」と伝えるようにはなったので。それでも日々、ままならぬことの多さを感じてはおり、そして「ごめんなさい」や「ありがとう」を伝えたところで、そう簡単には癒されない<<ボタンホール>>があるのだということも、うすうす理解できてしまうような齢になった。

<<どこかでまためぐるよ 遠い昔からある場所>>

そうMy Little Loverは歌ってくれる。もしかすると思いもよらない「再会」は、残された人生に用意されているのかもしれない。その時に私は、心からの感謝を、誰かに伝えることができるのかもしれない。それでも私は、Mr.Childrenの「くるみ」から歌詞を引用することで、この拙文を締めくくろうと思う。それが仮に蒼いものなのだとしても、その「蒼さ」にこそ価値があると感じられるのは、きっと青春を終えてしまったゆえでもあるのだろうから。

<<引き返しちゃいけないよね>>
<<進もう 君のいない道の上へ>>

※<<>>内はMy Little Lover「Hello, Again 〜昔からある場所〜」、Mr.Children「くるみ」の歌詞より引用
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