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Grimesは札幌の中古店のコルトレーンのLPの夢を見るか。

00年代の就活の履歴書がすべて手書きだったと今の若い人には信じられるだろうか。

2015年の末のことだった。その年の洋楽の総決算として、ロッキング・オンの2016年1月号を12月に購入。ナンバーワンはコールドプレイだった。基本的に、順位は気にしない。どのアーティストがどのように書かれているかがだいじなので、ある時期から、雑誌の決める順位は気にしなくなった。
トップテンに入っていた、グライムスというアーティストに惹かれた。聴いたことが殆どなく、この号のROで知ったようなものであった。まず、アルバムのジャケが日本のアニメの絵柄のようだった。これはあとで知ったことだったが、グライムスことクレア・バウチャーは日本の「AKIRA」「エヴァンゲリオン」などの作品が好きなのだという。どちらも見てない自分は、変わった欧米人もいるなあ、というふうに思った。
彼女は殆どの音源を宅録でつくっているという。それと、クレアはSNS上で、けっこうなお騒がせな人であるという。日本に居て、『アート・エンジェルズ』『ミス・アントロポセン』を聴いているぶんには、ちとピンと来ない。クレアは自分の名前が知れ渡ると、「俺がプロデュースしてやろう」という態度の男が、上から目線で現れるのが気に入らなかったという。彼女の2015年の『アート・エンジェルズ』を聴けば、クレアがいかに自己と豊富なポップ性ある音楽的教養を持って音楽を作っているかがわかるけど、いわゆる男社会はカナダやアメリカでもそうなのか、クレアは金だけはある男どもに反発する。そして、SNSは炎上する。
90年代には、ビョークがいた。2021年一月号のロッキングオンで粉川しの女史が指摘していたが、「90年代の突出した才能を持つ女子は、不思議ちゃんみたいなスティグマを背負わされる」というのは、ビョークのCDを00年代に買って、聴いていた自分も、うすうす感じていたことだった。ビョークやフィオナ・アップル、そしてグライムスのつくるものに向き合えば、彼女たちがいかに才能も実力もあるかがわかるというものだけど、「プロデュースしてやろう」という上から目線を持つ人間が現れるのは、カナダでもそうなのか、と残念に思ってしまう。
グライムスの『ミス・アントロポセン』を聴くと、映画やアニメのごとく、コンセプトアルバムなのだとわかる。「マイ・ネーム・イズ・ダーク」という曲は、どこか邪悪である。「男の子は退屈してる 女の子は退屈してる 私は政府なんか信用しない 私はこれ以上眠るつもりはない 左側には地獄があり右側には天国がある 彼女は神に言う「アンファック・ザ・ワールド」 私は政府なんか信用しない そして神に祈る」アニメや映画に登場するアンチヒーローが歌っているみたいだ。そしてその歌詞が、けして絵空事を歌っているわけではないことに気づく。世界ぜんたいが引きこもりのネット右翼が生きているふうになってしまっているのに、なんともいえない気分になる。自分が00年代に経済的に苦しかったときには、とにかくどんな小さな企業にも履歴書(信じられないかもしれないが、手書きだった)を送っては突っ返され、送っては突っ返されの繰り返しだった。これは自分が極端に貧乏だったからで、仮に実家が太かったら、それこそ引きこもりのネット右翼になってしまっていたかもしれない。
クレアは『ミス・アントロポセン』の最後「IDORU」で、「あなたはかけがえのない人 私たちはビューティフル・ゲームを遊べたはず あなたは私を追いかけ回せたはず 愛の名において でもあなたは逃げる 私たちは負けた でも私はあなたが好き」と歌う。クレアは一児の母で、もう無邪気にラブソングは歌っていられないし、いわゆるオタクはもう卒業済みだろう。この歌は彼女の個人的なものだと思う。翻って現代の世界を見ると、欧米も日本も韓国も、引きこもりのネット右翼ばかりである。引きこもりの人だって、親にいつまでも蓄えがあるわけではない。いつかは自立しなければいけないが、親が太いと、引きこもってしまう。引きこもって、ネットやアニメに逃避してしまう。SNSに逃避し、炎上を眺めるだけで貴重な若い時間を無駄にしてしまう。私は学生時代、読書しかしていなかった。フォークナーやフィッツジェラルドに逃避できた時期は、たしかに幸福だった。そして、ビョークやベック、ニルヴァーナにストーンズに逃げ込んでいた。人がつくる創作物に触れられるのは、基本的に若い時期に限られるものだと思っている。今は、週5日の仕事に追われる日々である。貴重な若い時期をネットに費やし、運動も読書も勉強もせずに過ごすと、引きこもりのネット右翼になってしまう。レディー・ガガは作詞作曲を自分で行い、00年代終わりにヒットしていたのを見ていた(聴いていた)ものとしては、大きいレコード会社が曲やアルバムづくりを支配する時代(違法ダウンロードが蔓延していた時期で、Youtubeが出現していた時代だった)は完全に終わったのだな、と思っていた。きゃりーぱみゅぱみゅが間接的にグライムスに影響を与えていたときくと、iTunesやYouTubeの影響がいかに大きいかがわかる。すべて自宅のパソコンとネットで完結してしまう環境にいると、引きこもってしまう人の気持ちも、わからないでもない。スマホと電子書籍があれば、書店に行く必要もない。この間、札幌のタワレコに行ったが、殆ど人がいなかった。それは大通のジュンク堂書店も同じであった。これは札幌に限ったことではないだろう。00年代終わりのROで読んだが、ニューヨークにはもうタワレコもないという。今、検索して知ったが、もうアメリカにはタワレコ自体がないという(無知)。逆にアナログ・レコードの売り上げが増えているという現象が起きているのだ。それは理解できる。札幌の古書店でジャズのレコードを買って聴くと、音が違う。豊かである。これは並のCDプレーヤーでは感じられない。すべてパソコンやスマホで処理できる文化に飽きて、人々が質量を求めてアナログを求めるのかもしれない。

話がそれた。
グライムスも、レディー・ガガも、彼女たちを育てたのは90年代の日本のアニメであったり、CD文化であったりする。正直、アニメなんかくだらないと幼いころから思っていたけれど、ポップカルチャーというのは、優れたものは確実に生き残るのだと実感した。ストリーミングが普及して、音楽に限らず、くだらないものは消え去り、優れたものは生き残るのだろう。山崎洋一郎がいう「ポップ・ミュージックの楽園状態」というやつだろうか。個人的なことをいえば、あらゆる音楽は生き残って欲しいし、人から見ればくだらないとみられるものも、他の誰かには価値があるのだ。単に、その人に向いていないだけである。not for meという概念も(ニュアンスは異なるだろうけど)そうなのかもしれない。小中学校で演奏した、リコーダーやエレクトーンも、当然、音源など残らないが、誰のためでもない、くだらないものでも、わずかではあるが意味はある。この世に、意味のないことなどない。そう、日曜日に「IDORU」を聴きながら思うことである。
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