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〝迷える羊”

米津玄師が謳う「普遍」と「不変」と、そして「今」

〝迷える羊”を聴いた時、「普遍」ーすべての物に共通することーで、「不変」ー変化せずに、同じ状態を保つものーな世界を描いていると、感じていた。

「普遍」は今の世界の横に広がる横軸、「不変」は過去から未来を貫く縦軸で、その横軸と縦軸が十字に重なる部分が「今」なのだ。

 「米津玄師×野木亜紀子「MIU404」対談」の野木さんも発言されていた「今」も描かれているのだ。

野木さんの発言はおおよそ、次のとおりだ。

「この曲だけ次元が違う。視点の次元が違うくて神話みたいだな。でも聴いているうちに、これは今の歌なんだ。(中略)混迷を極める今を戯画化して書いている。(中略)これは今の私たちの歌で、大きな神話の一部である。」

 〝迷える羊”は当初、サビの部分

《千年後の未来には 僕らは生きていない

友達よいつの日も 愛してるよ きっと》

誰かが待っている 僕らの物語を

だけを聴くことができた。この部分があまりにメロディも歌詞も荘厳なため、全編が発表された時は、意外に感じられた。この部分以外が、音楽的な手法は私にはわからないが、不安な気持ちになるメロディと不穏な歌詞だったためだ。

これは「今」と、「普遍」で「不変」な「神話の世界」が同じ曲の中に描かれているせいだったのだ。

荘厳な部分は、「普遍」で「不変」な「神話の世界」

不安な気持ちになる部分は、混迷を極める「今」

が描かれているのだ。

そして、

最初で最後の歌を 上手く歌えないのに

《監督たちは 沈黙を守る

脚本の終わりは 書きあがっていない

祈る様に 僕は口を開いた》

これは、「監督たち」ーこの中を主導するべき、政治家や科学者ーは 「沈黙を守る」

「脚本の終わりは 書きあがっていない」のは、政治家や科学者を始め誰も正解を知らない。けれど、「僕」ー米津玄師ーは、「口を開いた」ー『STRAY SHEEP』を発表したー

という意味なのだろう。

 今年に入ってからの日本の、そして世界の混迷に対して米津さんは、全く発言をしなかった。今の世の中を見て、彼の心のなかに様々なものが去来しないわけはないのに。

 だが、彼は音楽家として、最もふさわしい形で「発言」をした。それは、自分の作品を通して、音楽という誰も直接的には責めない、二項対立する意見の中庸に立てる方法でだ。

今、未知のウイルスCOVID-19の対処方法の「正解」はわからない。

 ただ、私たちの心の在り様の正解はわかっている筈だ。冷静さと優しさを持つことだ。

 ほんの百年前のことだ。関東大震災の時の、朝鮮の方達への謂れのない流言飛語により、あの人達に日本人はひどいことをした。これを今の私たちは「なんと愚かしい」と断じるだろう。

 ほんの二十年前のことだ。ハンセン病の方やその家族への、差別と偏見があったことを、今の私たちは「なんと愚かしい」と断じるだろう。

 だけど、今、同じことが行われているのだ。

 私たちは、未来の誰かに、「なんと愚かしい」と断じられないような、生き方をすべきなのだ。未来から自分たちを俯瞰して見て、「素晴らしい物語」になるよう振る舞うべきなのだ。

それが

《誰かが待っている 僕らの物語を》

混迷を極める今だからこそ、千年後の未来に、「素晴らしい物語」と語られるような生き方をしたい。

《君の持つ寂しさが 遥かな時を超え

誰かを救うその日を 待っているよ ずっと》

少年時代、周りから理解されず孤独だった米津さん。今一緒に音楽を作る仲間に恵まれ、孤独から解放されたように見えるが、今は別の意味で孤独だと思う。ずっと憧れていたミュージシャンの先輩たちが成し遂げられていない記録、CD売り上げ世界一位を取り、ニコニコ動画のボーカロイドから音楽家という同じ出自を持つwowakaさんはこの世からいなくなってしまった。

 この曲の最後の歌詞は「寂しさ」を持った米津さんが「遥かな時を超え 誰かを救うその日を」作った曲が時を超えて、誰かを救おうとする思いが込められているのだろう。

 そして、千年後、きっと聴きつがれているだろう、米津さんの音楽に、生まれ変わって、もう一度出逢いたい。

※《》部分は、米津玄師〝迷える羊”の歌詞
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