4256 件掲載中 月間賞毎月10日発表
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

考察。藤井 風の現在地

“神”でも“天使”でもなく、もがき続ける彼は“青年”。

ファーストアルバム『HELP EVER HURT NEVER』の集大成とも言える、
初の日本武道館単独公演も大成功。残念ながら私は、会場に行くことも
同時生配信を観ることも叶わなかった。
あちこちのライブレビューに書かれていたのだが。藤井 風はあの日、2つの
オリジナル曲を初披露し、観客に“心の内”を明かしたようだ。

「ワシは今でももがきよるし、新曲でももがいている」
「これからももがき続けると思う。みなさんと楽しく人生を
もがいて生きていきたい」

そんな本音を覗かせた新曲は、『へでもねーよ』『青春病』という
クセのあるタイトルが想像をかき立てる。曲自体も転調ありオリエンタル
な音色ありの、ユニークかつノスタルジックな印象だ。
前者は和の尺八、ゴリゴリの重低音、端麗優美なクラシックが融合し、
コスモポリタンな雰囲気で中毒性が高い。対する後者は、J-POPの
甘酸っぱい青春ソングに小技が効いて、超独創的。
しかし両極端な作品に見えて実は、どちらも23歳ならではの苦悩と向き
合う若者の姿が描かれている。変則的でうねりを感じる音の構成、揺れ
動く心情が見え隠れする歌詞・・・
おそらく、これらが本人の言う“もがき”、なんだろう。

先に断っておく。
ここからは新作2曲を聴いた個人的感想なので、受け取り方が間違って
いる部分も当然あると思う。でも音楽は、聴く者それぞれの感じ方が
あっていいはず。
“青春期”をとっくに過ぎた50代の私だけれど、自分の20代の頃や私に
もしその年代の多感な息子がいたら・・・と思い巡らしつつ
感じたままを書いてみる。

******

一つ目のもがき『へでもねーよ』には、「常に助け、決して傷つけては
いけない」を信条に掲げる藤井 風らしからぬ怒り、苛立ち、闘争心が
漲っている。


<野菜ばっかの生活しょんのに 腹が立つことちょっくらあんのは
カルシウムちと不足しとんじゃわ おどれ (怒)
慎ましやかに生きていきょんのに いつもなんかが邪魔をするんじゃわ
こんな時ゃ人目もはばからずに 踊れ>


メジャーデビューを機に故郷岡山を離れ、東京暮らしを始めた彼。
この歌は、情報過多な忙しない環境に身を置いたことで生まれてきた
“負の感情”を吐き出しているようにも取れる。だが、そこは藤井 風。
<邪魔をする>モノは彼自身の中にあり、誰のことも傷つけたり
責めたりはしない。このことは先日公開されたMVを観れば、一目瞭然。
「全ての悩み闘う人々に立ち上がる勇気を。」と山田健人監督が
Twitterで示した想いは、“主演・藤井 風”の表現力により短編映画
さながらの見応えある映像へと具現化された。


<神様、力をちょうだい あんたがいれば無問題
変わらぬものにしがみついてたい>


<神様、力をちょうだい 一人じゃ何も出来ない
確かなものにしがみついてたい>


このMVには主演以外に“7人の風”と共に犬、妖艶な女性等が登場
する。私には彼らが、藤井 風を取り巻くマイナスの感情や欲望(たとえば
【七つの大罪】的な)の化身に見える。それ対し、澄んだ目の幼子は
“本当の自分”や“自分の守るべきもの”であり、<変わらぬもの>
<確かなもの>の象徴と言える。
これに加え、“鎌を下ろしたカマキリ(=祈り虫)”は、<神様、力を
ちょうだい>と、心の中の神に祈りを捧げる主人公が重なる。


デビュー前から“神”、“天使”等とネット上で“羨望の的”となり、早くから
“天才”と称えられてきた藤井 風。その期待を一身に背負いリリース
されたデビューアルバムが、あまりにも熟れていて神々しい傑作だから、
誰もが彼を“完璧で特別な存在”と崇めたくなるのも解らなくもない。
けれど当の本人は、世間の声(=MVに映る“へのへのもへじ”)と自身
とのギャップに戸惑いを感じる時もあるのかもしれない。

冷静に見れば、プロのミュージシャンとしてもひとりの人間としても
いまだ成長の途上に在る。誰しもが若い頃そうであるように彼もまた、
様々な誘惑や感情にもがき傷つき“未完”の時代を生きている。
つまり。今まさに見えない敵を<へでもねーよ>と跳ね返しながら闘って
いる最中なのだ。


<かと思いきや急展開 自分次第で別世界
作り変えられるみたい 信じたい>


日々孤独にもがきながらも、“自分の考え方次第”で状況を変えられる
と信じ果敢に挑む姿は、必死で今を生きる“いち青年”に他ならない。
我々の知るあの大人びた美しい容姿や達観した人生観、あれが彼の
すべてではないと、新作2曲を映像と共に聞き込むうちに“素”の部分を
垣間見て気づくのだ。
『へでもねーよ』のMVで最後に見せた柔和な笑顔、あれは23歳の若さ
そのものだ。この“等身大の藤井 風”が見えた瞬間、私はデビュー後の
彼の姿に、初めて安堵した。

(※<>内はすべて新曲『へでもねーよ』より引用)

******

二つ目のもがき『青春病』もまた、山田智和監督のもと映像化された
ことで、歌詞に籠められた想いと音色がより現実的かつエモーショナル
に感じられるようになった。
音も映像も細部まで映画的に作り込まれた『へでもねーよ』に対し、
こちらの楽曲はまるで“個人のホームビデオやアルバム”を覗き見るような
親しみやすさが好い。
“ひと夏の冒険”を想起させるセピア色の情景。ひとつひとつのシーンに
見事に溶け込んだ“青年”達が躍動する。
同世代の若者と“一度しかない青春”を愛おしむ様には、これまでのMV
では見えなかった“青年23歳・藤井 風”がリアルに現れている。


《止まることなく走り続けてきた
本当はそんな風に思いたいだけだった
ちょっと進んでまたちょっと下がっては
気付けばもう暗い空》


『へでもねーよ』同様、『青春病』でも彼は“弱さ”(負の感情)と素直に
向き合い“もがいて”いる。このフレーズひとつ取っても、10代からの音楽
活動の中で秘め続けてきた彼の“本心”が見える。


《青春のきらめきの中に
永遠の光を見ないで
いつの日か粉になって知るだけ
青春の儚さを…》


私自身の23歳を振り返ってみても、ココが人生の分岐点だった。
大学卒業後、希望を胸に社会人として歩み出して間もなく。仕事と
いう“責務”に追われ公私の両立がだんだん難しくなり、人間関係も
変わり始め、“キラキラした青春”が遠のいてしまったのを痛感した。
そう。《粉になって知》ってしまったのだ。二度と後戻りは出来ないと。
藤井 風も今、その“寂しさ”が身に沁みているのかもしれない。モラトリ
アム期を越えて初めて知る“青春の光“の儚さ。
それは永遠に続かないからこそ、美しく貴い。

MVの後半。燃え盛る炎を前に、彼が目を見開き涙を必死に堪えている。
あの時に何を想い感極まっていたのかは、本人しか解らないことだが・・・
この歌を映像を23歳の今、世界に向けて送り出した意味は大きい。

私には、未熟な自分に別れを告げ「もがきながらも、今この一瞬一瞬を
精一杯生生きていく」という“青年・藤井 風”の“覚悟”が見える。そしてこれは、
コロナ禍に揺れるこの時代を生きる若者達へ、何よりの励ましになる
だろう。

(※《》内はすべて新曲『青春病』より引用)
  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい