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クリスマスソングが照らし出す「真なる願い」

SEKAI NO OWARIが届けてくれる「静けさ」のなかで

まだ私が、サンタクロースの存在を、信じて疑わなかったころの話。というか、何かを「疑う」ということを、知りさえもしなかったころの話だ。

幼稚園に通う私は、おもちゃの機関車と、それを走らすレールがほしい、そんな願いを大人に伝えてみた。サンタクロースに手紙を書くことは(文章を書くことは)、まだ、できなかった。

その人は「どちらか片方にしたら?」というようなことを私に勧めた。「もう片方を買うぶんのお金が、きっと、とても困っている人に届くだろうと思うから。ごはんを食べられもしない人が、この世界にはいる」

世界に「経済格差」というものがあること、それを私が知った瞬間だった。クリスマスを迎えようとする昂揚感のなかで、狭いけど暖房の効いた部屋のなかで、私はどこかで懸命に生きているはずの、貧しい人たちのことを想った。ぼんやりとではあるけれど、想った。

やがて届けられた「片方だけ」のおもちゃで遊ぶ私は、自分が(間接的な形ではあれ)生涯で初めて「寄付」をしたのを、ほとんど意識していなかった。心が満たされていたのだ。誰かのために我慢をしたなどという気持ちは、なかった。

***

それから30年以上の時が過ぎる。

残念ながら、というべきなのだろう、私は半生でただの一度も「大金持ち」になったことはない(これから先もないだろうと予想される)。それでも何度かは、自分よりも苦しい境遇にある人がいることを考え、寄付のようなことをしてきた。チャリティーグッズを購入したりもしてきた。そして、そのたびに、その行為が偽善的なものであるような、何とも言えない感触を味わってきたのだ。「善」を意識している時点で、それが、どれほどにピュアな奉仕活動だとしても、私たちは驕(おご)っていることになるのではないか。

無心に「おもちゃの片方」を差し出せた、幼い日のクリスマスは、私が迎えることのできた「最初で最後のホーリーナイト」だったのかもしれない。あれは私が受け取ることのできた、最高のクリスマスプレゼントだったと言えるかもしれない。私はクリスチャンではないし、継続的に慈善活動を行っているわけでもない。それでも、遠い昔に「尊いものを与えられ、与えることができた」ことを、とても有り難いと感じている。今でも。

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どうしてこんなことを思い出し、文章にしているかと言うと、SEKAI NO OWARIの新曲「silent」に、こんなフレーズが含まれていたからだ。

<<クリスマスなんて無ければ>>
<<いつも通りの何にも変わらない夜なのに>>

もう大人になってしまった私は、心の底からサンタクロースの存在を信じることはできないし、無心に寄付をすることもできない。クリスマスという「行事」に寄りかからなければ、遠い場所で誰かが苦しんでいることや、自分の生活が恵まれていることを、思い出すこともできない。そして「行事」の意義さえも、いつしか私は忘れかけている。「SEKAI NO OWARIの新曲なんて無ければ」、この記事を書こうと思い立つことはなかっただろう。

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SEKAI NO OWARIの「silent」は、あでやかな楽曲だ、聴き手の心を奪う秀作だ。始まりこそ静かだけど(ピアノと鈴の音が、そっと歌声を縁取る)、やがてアコースティック・ギターが鳴り、ストリングスが重なり、存在感のあるベース音が響き、サビで展開されるのは煌びやかなアンサンブルである。様々な楽器の「声」が、まるでクリスマスの空を見上げる人々の声のように、互いを引き立て、きらきらと輝く数分間を作り出す。

ただリリックは、どことなく切なさを感じさせる。

<<こんな真っ白な世界の中にいたら>>
<<自分だけちょっと汚れてるみたい>>

SEKAI NO OWARIは、自分たちの生みだした、恐らくは「純白」と称してさえいいはずの、「silent」という作品のなかで、自責にも似た感情を歌い上げるのだ。楽曲「silent」はリスナーへの美しいプレゼントであるのと同時に、メッセージでもあるのではないだろうか。己が汚れていると感じるのは自分たちだって同じだよ、そういう温かな呼びかけなのかもしれないし、こんな自分たちのことを認めてくれよとでもいうような、切実な訴えなのかもしれない。

さらには、この部分。

<<目を閉じると望んでもないのに思い出してしまう>>
<<この降り積もる雪は>>
<<やっぱり貴方と見たかったな>>

楽曲「silent」は、愛おしい誰かと肩を寄せ合いながら、クリスマスの歓びを分かち合うような作品ではない。そういう要素も少しはあるのかもしれないけど、楽曲の主人公が味わっているのは、少なくとも充足「だけ」ではない。あの人と一緒に雪を見たかった、そんなことを考えてしまう主人公の心には、比喩的な雪が降り注いでもいる。私たちが辿る道は(何度ものクリスマスを迎え、見送っていく人生は)、様々な「別れ」と切り離せないものである。その年のクリスマスが美しければ美しいほど、私たちの心には「それを一緒に見ることは叶わない誰か(何か)の存在」が溢れるのではないか。

***

それでも楽曲「silent」には、希望の色も滲んでいる。

<<だけど心の音だけは>>
<<この雪も奪えない>>

私たちは生きる限り、何らかの「負の感情」を、いだきつづけることになるはずだ。後悔、喪失感、無力感、自責の感情。でも逆の言い方をすれば、私たちは生きる限り「悲しむことのできる心」を、胸に宿していられるはずだ。その心が鳴らす音が、クリスマスに影を落とすような切ないものであったとしても、それは私たちが生きていること、その証に他ならない。私たちの鼓動は、ひとつの「楽器」となって、SEKAI NO OWARIの楽曲に、もしかすると招き入れてもらえるかもしれない。

私は多くの人と別れ、かつて受け取ったクリスマスプレゼントのうちの幾つかを紛失し、あるいは処分し、そのようなやるせなさと向き合いながら、2020年のクリスマスへと向かっている。それでも、だからこそ楽曲「silent」の価値を理解できたのだと、そうは思えないだろうか。そして、多くのものを喪失した今だからこそ、誰かに何かを贈りたいと願うのなら、かつての自分に認めてはもらえないだろうか。自問してみる。

答えが降ってくるか、空を見上げる。私の住む町には、今のところ雪は降っていない。それでもSEKAI NO OWARIの「silent」を聴いたあとだからこそ、自分を包む静寂が、有り難いものに感じられる。

***

いま私は、あの「幼きホーリーナイト」から遠く、遠く、遠く離れて、欲や計算高さを持つ人間になってしまった。何かを疑うことを知り、自分の心に邪(よこしま)な領域があることを、十分に思い知らされてしまった。

それでも、サンタクロースへの手紙を書くこともできなかった「あのころ」とは違って、このように駄文をつづれるようにはなった。私が喪失したイノセンスが、どれほどに尊いものなのだとしても、かすかに残された「純白」を用いて、若い人や幼い人に、できればメッセージを届けたいと思う。クリスマスの時だけでも「自分以外の誰か」のことを想えたなら、きっと私たちはサンタクロースの実在する世界を生きられるはずだ、そんな私見を放ってみたいと思う。

<<クリスマスなんて無ければ>>
<<いつも通りの何にも変わらない夜なのに>>

クリスマスが過ぎたら、恐らくは私は、私欲にまみれた人間に戻ってしまうだろう。それでも、この記事を読んで、ほんの少しでも共感できる部分を見出せてもらえたのだとしたら、それこそが「あなた」へのクリスマスプレゼントです。できれば受け取って下さい。

メリークリスマス。

※<<>>内はSEKAI NO OWARI「silent」の歌詞より引用
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