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“オンライン”は“生”を超えられないのか?

「黒木渚 Online Live 2020 『ダ・カーポ』」を見て思う

黒木渚はコロナに打ち勝ったと思う。

2020年12月26日、「黒木渚 Online Live 2020『ダ・カーポ』」を見た。楽しかった。そして、何度もアーカイブ(~2021年1月3日)を見てしまった。最高だった。

コロナ禍に翻弄された2020年。感染リスクが危惧され、外出したり、人と会ったりするのが難しくなった。そんな中、リモートやオンラインが流行り、会議や飲み会、様々なイベントが非対面の様式に置き換えられた。多くのアーティストのライブも例外ではなかった。相次いで延期が発表され、結局中止になったものもたくさんあった。あるいは、先が見通せない中で、代替手段として開催されたのがオンラインライブだったのではないだろうか。

アーティストもファンもライブがしたい。でも、それが叶わないなら。
今やスタンダードになりつつあるオンラインライブは、苦渋の決断で、苦肉の策でもあったように思う。

“生”の代わりに“オンライン”で。
だとしたら、“オンライン”は“生”を超えられないのか?

打倒コロナと声をあげてオンラインライブに挑んだ黒木渚。見事にオンラインライブの概念を破壊してくれたと思う。「黒木渚 Online Live 2020『ダ・カーポ』」は、ただ単に“ライブの配信”ではなく、言うならば“配信のライブ”であった。オンラインを逆手に取った演出がたくさん組み込まれていて、オンラインでなければ創りえない世界がそこにはあった。それはもちろんライブでありながら、芸術的な一つの映像作品のようでもあった。

黒木渚のオンラインライブは、何故こんなにも感動できるのか?
その感動ゆえに、その感動の本質を、突き止めてみたくて居た堪れない。


①プロローグとエピローグ
意味深にメトロノームが響き出す。洋館の廊下をまっすぐ歩けない。「読みかけの本みたいに同じところを行ったり来たり」…“囚われと繰り返し”を語る黒木渚のナレーションが聞こえてくる。そして、1冊の本に辿り着く。本を開くと浮かび上がる“Da・Capo”の言葉―。
先に言ってしまうと、プロローグで本を開いて開演したライブは、エピローグで“Fin.”と綴って本を閉じることで終わる。ライブ全体を包むものが、最初と最後に登場する1冊の本で繋がり、ナレーションと主観的な映像でしっかりと伝わってくる。それは“囚われと繰り返し”の物語を映画で見ているようでもあり、小説で読んでいるようでもある。手が届きそうなところでメッセージが実体を伴う感覚は、視界を創り上げることができるオンラインライブならではの演出かもしれない。

②カットとアングル
プロローグからライブ会場へと場面が替わるカットはいかにも幻想的だ。
キーボードの音が先に聞こえてきて、後から映像がフェードインする。黒木渚の影が浮かび、ギターが聞こえてきたと思ったら、ギターの映像がフェードインする。伴奏が始まり、映像はクロスしながら、再び黒木渚が浮かび上がる。黒いドレスに光があたりキラキラと輝く。最初に歌い始めたのは「檸檬の棘」。音も画も徐々に輪郭を帯びていく過程が幻想的だ。そんな世界に歌声が良く栄える。
歌唱中のカメラワークにも息を呑む。会場の最前列で見上げるようなアングルをメインに、斜めやや後ろからのアングルが絶妙だ。弾けるギターの弦、踊るキーボードの鍵盤、バンドメンバーの指先までカメラは捉える。お気に入りは2曲目の「エジソン」。電球越しの黒木渚が、曲の世界観と相まって美しい。

③映像の編集
2曲歌い終えると、場面は替わる。
再び聞こえるメトロノームとぼんやり浮かぶおもちゃたち。「この世界に大人なんて一人もいない」…。舞台は一転し、ティーパーティーのような会場へ。黒木渚も明るい白い衣装にチェンジする。
3曲続けて歌う。「ピカソ」、「クマリ」、「ダ・カーポ」がそれぞれの世界観で圧倒してくる。次から次へと迫りくる世界観も、オンラインライブだから生じる衝動的な感覚があるかもしれない。好奇心あふれる明るさから、言葉にならない切なさへと。
一番驚愕したのは「ダ・カーポ」の終盤だ。黒木渚が最後の歌詞、「ダ・カーポ」と発した瞬間だ。“Da Capo”とは、曲の冒頭へ戻ることを指示する演奏記号。その通りに映像は逆再生され、最初のライブ会場まで戻ってしまう。圧巻の演出だ。

④舞台構成
ティーパーティー会場は、黒木渚とバンドメンバーの計3人がテーブルを囲むような構図になっている。お茶会さながら、3人が向かい合うように演奏しているのだ。正面のカメラが黒木渚にググっと寄ると、観客の視点はテーブルの前からテーブル上に移動する。この位置でライブが見られるなんて贅沢だ。斜め後方にバンドメンバーの存在を感じながら、内側から見ているような感覚がなんとも不思議だ。内側から見る構図は、きっとオンラインでなければ作れない。

⑤紙芝居
「ピカソ」の曲中で突如始まった紙芝居「ネオ桃太郎」。最先端のライブで、あえて古典的な表現方法を取り入れるユニークさ。画面に収まる紙芝居の小舞台。黒木渚が物語を読み上げながら、1枚ずつ捲っていく。コンプレックスやモラトリアム、正義感…誰しもの中に孕んでいる葛藤。滑稽に昇華させてしまうストーリー。この桃太郎も“囚われと繰り返し”の住人なのかもしれない。黒木渚自身が手掛けた味のある絵、そして本人の笑顔が画面にはじけている。

⑥光
「私たち人間はもとから孤独な存在です」-逆再生で元のライブ会場に戻ってきた後、発せられた2020年に対するメッセージ。
そして「カルデラ」を歌う。画面はセピア色に染まっている。ありのままのその光景は、悲痛な逆境を象徴しているようで、それは曲が持つ世界でもあり、まさに2020年のようだとも思う。だけど、歌声はどこまでも力強いし美しい。次に歌うのは「ふざけんな世界、ふざけろよ」。同じ逆境でも、ポップに仕立て上げてしまう。ひとつまみのユーモアで、画面も色を取り戻す。
2次元の画面から放たれる光は、3次元のライブで見る光とは、もしかしたら違うのかもしれない。画面の中では、物質本来が持つ色も光が持つ色も、一つの色に収斂してしまう。影さえも色になってしまい、それが光になる。だけど1色に染まりうる世界は、絵画的な美しさを醸し出し、物語さえも生み出しているような気がしてしまう。

⑦エンドロール
最後の曲「骨」、エピローグ、そしてエンドロール。エンドロールが流れるなんて、それこそまさに映画のよう。音響、照明、舞台装飾…このライブに関わったあらゆるスタッフの名前が流れる。たくさんのスタッフの存在に気付かされ、このライブの大きさを改めて思い知る。皆さんありがとうございます。


“オンライン”でしかできない演出が意外にもたくさんあって、きっとそこでしか創れない世界があるのだと思う。

“生”の会場に帯びる熱気や空気の振動はもちろんない。空間は共有していないし、時間を共有している感覚も薄い。周りはいつもの殺伐とした部屋の景色だし、隣で一緒に盛り上がる人もいない。ウキウキしながら会場に向かい、チケットをもぎり、騒めきと暗がりの中で興奮を待つ儀式めいたものもない。空間的にも時間的にも日常から切り離され難く、非日常へ誘う強制力だってないかもしれない。

だけど、画面の中からは感性に強く働きかけてくるし、その感性を画面の中に向ければ、世界が確かに開かれている。画面と自分との間で生じるこの共感覚はなんだろう。吸い込まれそうで、飛び出してきそう。飛び込んでしまいそうで、引っ張り出してしまいそう。“生”のライブとは違う、“オンライン”ライブにしかない共感覚かもしれない。

そして何より、許される限り、いつでもどこでも何度でも、この感覚を味わえるのがオンラインライブの魅力でもある。

“生”と“オンライン”。
どっちもあって、どっちも良い。

もしかしたらこの先、オンラインライブはもっと進化するかもしれない。

と同時にやはり思う。
やっぱり、“生”のライブに行きたいなぁ。

出口もひかりもない。空白の中にいる。
力強く、そして誰よりも美しく踊る黒木渚に、ついていきたい。
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