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「うちで踊ろう」と過ごした2020年

星野源を追いかけた1年のこと

「今すぐ、病院に来てくれ…って…」

12月30日、それは大晦日の前日だった。
私は母の消え入るような電話で目を覚ました。

世界中がとんでもない渦に巻き込まれた2020年。
1月に不穏な動きが見え隠れしていると思ったら、その影響はあっという間に我が身にも降りかかった。
クルーズ船がその脅威に晒されたと思ったら、あっという間に学校や会社、世界がすべて切り離された。
前代未聞の年はこうして始まった。

そんな頃、私の父は69歳という若さで認知症を患い施設に入所していた。
しかし2020年1月、体調を崩した父はとうとう入院してしまった。
それは年始の挨拶がてら家族で施設を訪問した、そのほんの数日後のことだった。
切り離された世界は、私が父を見舞う距離すらも断ち切った。

選ぶ間もなく、誰もが「独り」になった。

緊急事態宣言が現実になろうとする頃、ひとりの音楽家・星野源が短い動画をInstagramにアップした。
それが「うちで踊ろう」だった。
私は以前から源さんのファンで、その投稿もアップされた4月3日にしっかりチェックしていた。
息をするのさえも苦しいような「独り」に、源さんのギターと歌が寄り添った。
「誰か、この動画に楽器の伴奏やコーラスやダンスを重ねてくれないかな?」という一文を添えたその投稿は、瞬く間に拡散していった。

>>扉閉じれば 明日が生まれるなら
>>遊ぼう 一緒に

※以下、引用は星野源「うちで踊ろう」「うちで踊ろう(大晦日)」から

最初は星野源のファンであろう人、そして星野源と親しいであろう芸能人が少しずつ動画を重ねていった。
しかしその波はあっという間に日本を、世界を、たくさんの誰かと手を繋いでいったのだ。
全ては動画の中で展開され、当然だが誰もが「独り」のままだった。
それでも、その重なりは目に見えて大きな渦になり、いつの間にか日々の楽しみに変わっていった。
見たこともない楽器を使って調和する人、うっとりするような歌声を聴かせてくれる人、えっそういう方向?!とダンスで爆笑させてくれる人、とにかく多種多様な音楽が増えていく。

>>僕らそれぞれの場所で 重なり合えそうだ

そんな当事者である星野源自身も、自宅での自主隔離を行っていた。
パーソナリティを務める「星野源のオールナイトニッポン」さえも自宅から「独り」で生放送する異常事態だった。
そんな中でも、源さんは楽しむことを諦めなかった。
それどころか「うちで踊ろう」を通じてたくさんの人達を動かし、さらに重なりを拡げていった。
学校へ行けない学生や演奏会の機会を失った人達に呼びかけ、ラジオでその音源を公開していったのだ。
(最終的には三桁の人数が重なっていたりして、よく編集できたなあと色々な意味で感動した)
音源を公開するたびに「ゴールド金賞!」という声をかけ、その演奏を讃えていた。
ここまで来ると増え方は爆発的になり、もはや社会現象になっていた。
その頃には意図せぬ方向に使われることも出てきたが、その対応も素晴らしかった。

そのうち星野源バンドのメンバーが少しずつ、自発的に動画をアップしていった。
それを全てまとめて、5月29日には「うちで踊ろう(Potluck Mix)」が投稿された。
持ち寄りの料理(Potluck)だなんて、あまりにも楽しくてピッタリな命名にまた笑ってしまった。
星野源バンドは離れていても完璧に重なれる、ということまでも証明されたのだからもうニヤニヤするしかない。
それは、緊急事態宣言が解除される数日前のことだった。

夏を迎えその脅威は少しずつ緩やかになったものの、まだ誰もが「独り」だった。

7月12日、配信ライブ「Gen Hoshino's 10th Anniversary Concert “Gratitude”」が開催された。
10年前にソロライブを開催した会場・渋谷クラブクアトロと同じステージ(厳密に言えば観客席)で行われたライブでも「うちで踊ろう」は披露された。
ここでも私達観客は「独り」だった。
けれども、テレビやディスプレイの中には星野源、そして星野源バンドがいた。
収録されたライブでも、その時間と私達の時間は間違いなく重なり合った。
「画面越しだって、別にいいじゃん!」
そう叫んだ源さんに、思わず大爆笑した。
…こんなに笑ったのは、いつ以来だっただろうか。

父のことが、常に心配だったのだ。
ベッドに寝たままだということは聞いていたが、当然ながら面会なんて夢のまた夢だった。
なんとか退院して施設に戻ったとの報告は聞いたものの、気がつけば父の介護度は「要介護5」になっていた。
それは、完全なる寝たきり状態であることを意味していた。
正月に会った時は自分で身体も起こしていたし、少々の会話はできていたはずだったのに。
退院したはずなのに父は寝たきり状態、そしてその症状はある程度固まってしまった…という現実があった。
退院したが、この渦中では当然ながら施設にも面会には行けなかった。
父はどうなってしまったのだろうか。
そんな不安をずっと抱えたまま、半年が過ぎようとしていた。

父も私も「独り」のままで。

冬の声が聞こえる11月3日、「おげんさんといっしょ」が放送された。
ソーシャルディスタンスに配慮した結果、おげんさん家は増築されていてその豪快さに笑った。
距離を取りながら、それぞれの好きを叫びながら、それでも番組はしっかりと「おげんさんといっしょ」だった。
見た目や方向性はばらばらでも、純粋な音楽は私達を鼓舞してくれる。
「心の中を踊らせてください」と叫んだおげんさんに、少し泣けてしまった。
たくさんの不安や辛さを抱えながらでも、心は踊ることができるのだと思ったら、ちょっと心が軽くなったのだ。

その頃、父は再入院していた。
しかも「もう施設には戻れない」と宣告された、片道切符の入院だった。
もはや口から栄養を摂ることさえできなくなった父は、処置をしないと生きていくことが叶わなかったのだ。
同時に「いつ急変してもおかしくない」ということも、医師から伝えられた。
この時、もう余命幾ばくもない父への面会が、ようやく許可された。
(これはもちろん異例中の異例であり、病院も見舞う側も感染者ゼロ地域だった、という奇跡のおかげだ)
今のうちに顔をみておいたほうがいい、という医師の配慮が本当にありがたかった。

久しぶりに見た父は「独り」のまま痩せ細り、もう話すことも叶わなかった。

誰も悪くない。
感染予防は当然のことだし、施設も病院もケアマネさんも、本当によく対応してくれていた。
父を大事にしてくれていることはよく伝わっていたし、そこには感謝しかなかった。
認知症を疑ってからここ数年の対応はこの上なくスピーディだったし、思いつく限りの対応は全て取ることができた。
それでも…私は心の奥で、どうしても抱えきれない気持ちを抱えていた。

どうして父は「独り」だったのか、と。

それを口に出した瞬間、誰かを傷つける。
どうしようもない事だと分かっているのだから、言ったところで何も変わらない。
それでも、どうしても、この理不尽にずっと胸の奥がドロドロしていた。
見舞うことができていれば、ここまで急激に悪化しなかったんじゃないか。
誰かに会えば、身体を起こそうという気になったんじゃないか。
そんな呆れるほど醜い気持ちを抱えたまま、私は冒頭の12月30日を迎えたのだ。

12月30日、父は死の淵をさまよっていた。
もう長くないから最期の挨拶をと、改めて面会が許された。
父はうまく呼吸ができていないようで、血中酸素飽和度が70%を切っていた。
繋がれたパルスオキシメーター(血中酸素飽和度を測定する機械)を眺めながら「この機械ってこの渦中でよく聞くやつだ」と思った。
もう目が合うこともない父に声をかけたが、泣き叫びたい衝動を抑えるのに必死だった。

もう嫌だ。

「独り」なんて嫌だ。

どうして、なんで、こんなことに。

…ところが、父はそんな死の淵からひょいっと戻ってきた。
妻や子、そして孫達の声かけが続くうちに、どういう訳か症状が落ち着いてきた。
理由は全く分からないが、父はここに来て医者も看護師も驚くほどの回復力を見せたのだ。
もちろん全く予断は許さないはずなのだが、これを書いている今も、父の血中酸素飽和度は100%を維持している。
最期だと思って集まった家族の声が、父に届いたとしか思えない出来事だった。

そんなドタバタ劇を繰り広げているうちに、12月31日になった。
そう、言うまでもないが「うちで踊ろう(大晦日)」が紅白歌合戦で披露された日だ。
忙しすぎてもはや茫然自失で紅白歌合戦を観ていたが、それでも源さんが言う「初披露となる2番の歌詞」は楽しみだった。
弾き語りで始まった「うちで踊ろう」に、ようやく肩の力が抜けた。
と思った瞬間、私は凍りついた。

>>常に嘲り合うよな 僕ら

ずっと心の奥底に持ち続けていた、うんざりするようなドロドロした心。
それを見透かすような歌詞だと思った。
もちろん、嘲るという意味は見下したりバカにする意味だから、直接的には違うのだが…けど、嘲り合う人達と自分はさして変わらない、そんな思いに駆られた。

>>変わろう一緒に

変わる。
変われるだろうか。
そう、この1年は星野源という人も色々な心の内を吐露してくれた1年でもあった。
ファンとしては聖人君子もいいけど、そんなマイナスな気持ちを聴けるのもまた嬉しかった。
その思いを聴きながら「もっと吐いてくれてもいいんですよ」と心の底から思った。
それは…自分にも当てはまるのだろうか。

>>まだ動く まだ生きている

>>あなたの胸のうちで踊ろう ひとり踊ろう

>>変わらぬ鼓動 弾ませろよ

>>生きて踊ろう 僕らずっと独りだと

>>諦め進もう

父が、思い浮かんだ。
「独り」である父が、鼓動を弾ませたあの朝が。
今も動かない身体で死と戦っている、父の顔が。

>>生きて抱き合おう いつかそれぞれの愛を

>>重ねられるように

父は、生きている。
目を動かすこともできない父はたくさんの声を聞いて、鼓動を取り戻した。

私は、生きている。
父に会うことは叶わなくても、父の言葉や思い出を誰かに伝えることができる。

この1年、溜め込んだ思いが涙になって決壊した。
生きていてくれてありがとう、お父さん。
お父さんが頑張ってくれたからこそ、私はまたその手を握ることができました。
どこまで走れるかは誰にも分からないけど、私達は「独り」のままでも走れるはず。
だから。

>>生きてまた会おう 僕らそれぞれの場所で

>>重なり合えそうだ

おかげさまで、父はまだ生きている。
もちろん予断を許さないのは相変わらずだが、悪いなりに安定している。
それが本人にとって良いことなのか悪いことなのかは、誰にも分からない。
安定したおかげで面会はままならなくもなった。
そこは正直、ちょっと悔しい。
それでも「うちで踊ろう(大晦日)」のおかげで何かが吹っ切れた。

最低最悪な2020年だった。
けど、私達は「独り」のままで2020年を突き進んで来られたのだ。
それはもしかしたら、結構頑張れた2020年だったのかも知れない。
だって、生きているのだから。

2021年もまだ「独り」が続きそうだ。
けれども、私達には音楽がある。
重ね合える環境と、誰かの声がある。
私にとってそれは星野源だし、それぞれを支える誰かがいることだろう。
皆がこの渦中を乗り越えていけますように。
音楽が寄り添う日々を過ごせますように。

さあ、2021年も前を向いて、踊ろう。
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