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『 斜めにまっすぐ伸びていく 』

—小山田壮平のひこうき雲—

 andymoriの楽曲に「おいでよ」という曲がある。決して長くはなかった活動期間に数多くの作品を発表した彼らの曲にはステージでしか演奏されなかったものも多く、この曲もそのひとつだ。軽やかで力強い演奏と、清新な歌が印象的なこの楽曲は、終盤で唐突にこう歌われる。

「時はなぜ 悲しみを連れてくる 僕はなぜ 君のことを見失う
    確かめよう 夕食のテーブルで 沈黙は何よりも激しく愛を語る」

 この一節は、そのまま小山田壮平の音楽を象徴している。なぜなら、彼にとって「歌う」こととはすなわち「問いかける」ことでもあるからだ。そして、その問いかけは必ずしも疑問詞や疑問符を必要としない。言葉がメロディーに紡がれ歌われるだけで、彼の歌は自然と問いかけに変わる。
 
 私たちの日常生活は「答え」で溢れかえっている。ソーシャルメディアでは正義の主張と悪の糾弾が常に飛び交っているし、音楽にしても「君は正しい」あるいは「こんな世界でも君と出会えた」といった「結論」にふれない日はない。それは、誰もがそれぞれに持っている問いに対する「答え」を見つけたいという、すがるような欲求を持っているからだ。だからテレビの画面も新聞の紙面も、数え切れないほどの「答え」で塗りつぶされている。 
 では一方で、なぜ誰もが持っているはずの「問い」についてはあまり誰も問おうとせず、「答え」だけが溢れかえっているのか。それはつまるところ、ほとんどの人はそういった問いかけに返ってくる答えなど本当はないことを知っているからではないだろうか。だから、ときに野放図で声の大きい者の言うことを信じてみたくなったりするのも、無理のない話なのかもしれない。

 音楽の場合もおそらく同じように、誰にでも当てはまるような「普遍の答え」などないことを知っているからこそ、「君は間違ってない」と歌い、「こんな世界でも君といられれば幸せ」というメッセージを「当面の答え」として掲げるのではないか。私はこれを否定するものではない。実際、この世の中を生きていくためには、すがれるものが必要だし、何より、音楽を聴いて励まされるというのは健全な現象であると思うからだ。また、「こんな世界でも君がいればいい」という、ある種の感情のピークは、作品の世界観を高揚させやすいという側面があるということもできる。
 
 とはいえ、たとえば「僕と君対世界」のような、いわばポップカルチャーにおける永遠の命題は、繰り返されるうちに摩耗し、形骸化するという危険性も秘めている。そればかりか、「世界は自分をわかってはくれないものだ」という図式を既定事実として受け手に受け入れさせもする。その刷り込みは、世の中を疑問に思う力を奪い取る。私たちは「君がいればそれでいい」と思うことだけにかまけて、この世界がどうして「こんな世界」なのか問いかけることを忘れがちではないだろうか。
 

 小山田壮平の音楽がフォーカスしているのは、根本的には「君がいればいい」というピークに潜む影のような感情だ。小山田の中にも「すがるものを見つけたい」という感情はあるはずだし、それがなければ、そもそも問いかける必要すらないだろう。また実際、特にandymori後期の彼の楽曲にはそういったものを「見つけた」と歌う曲は多い。しかし、どれだけシンプルなロックンロールで騒いだとしても、その早口なリリックの中に「結局全部なくなるけど」と身もふたもないような皮肉を吐き捨てるようなさめた目線が、ことバンド初期の音楽には通底していた。
 
 ときに諦観や絶望感に振り回されながらも、彼は問いかけることをやめない。それが顕著に結実しているのが、バンドの第二作『ファンファーレと熱狂』だ。今作は多くの人々に愛されている作品で、個人的にも発表当時から今にいたるまで、思えば十年間愛聴している(アナログレコード化熱望)。私はここに収められた楽曲を聴くにつけ、おそらく多くの人と同じように、ほかでは感じることのない解放感をおぼえる。それは多分、特にこの作品が私たちの生きる「日本社会」を完全に相対化しているからだ。

 今作での小山田は、ある意味では日本のインディーバンドの宿命であるといえる「中央線に揺られる生活」をあえて歌いながら、その目線を高円寺からタイランドへ、渋谷スクランブルからバグダッドへ、所沢からベニス、ケアンズの空へとほとんど無軌道に思えるほど広げていく。
 猫もシスターも車椅子の死刑囚もハクビシンもセレブリティーも白も黒も(もちろん黄色も)クレイジーもガラガラのフロアーで歌うシンガーも天使も悪魔も豚も人間も、そしてカボチャのおばけもいる「この世界」に自分もいるのだということを、今作は教えてくれる。そして、それらすべてが「君」として歌われるのだ。

 ともすれば近視眼的にドメスティックになりがちな日本の大衆文化の中において、小山田の歌声は伸びやかに海を越え空を渡る。その目線はごく個人的なもので、特に何を糾弾するわけでも、告発するわけでもないから、そこに社会批評性を認めることは難しい。とはいえ、ひとりの人間の視点をそのまま歌った作品であることこそが、『ファンファーレと熱狂』を優れたポップミュージックたらしめているということもできる。彼は自分の生活圏内で起きていることを「しょうがない」と割り切ることを拒み、「正解」になじめない人々に語りかけ、世界に問いかける。だから、「クレイジークレーマー」で

「クレイジークレーマー そんな目しないで 世界で一番お前が正しいんだよって俺が歌ってやる みんなの前で」

と肯定する歌声はより切実に響く。

 そしてこの一節はもうひとつ、小山田壮平の音楽の異端さを象徴している。それは、彼の歌はすべからく「他者のために歌われている」という点だ。第三作『革命』に収録された「Peace」や「ユートピア」といった代表曲の、私情的で真正直なイメージとは裏腹に、大方の彼の楽曲には自我や主張といった要素が意外なほど希薄だ。とはいえ、それは慈善や憐憫とも異なり、ときには傍観者の目線で歌われることもあれば、逆に何かもっと切実な希求のように聴こえもする。かといって、神聖で敬虔なものとも何かが決定的に違う。小山田の歌を「祈り」のようだと評する声もあるが、彼の音楽は宗教とは根本的に異なる。なぜなら、宗教が「祈り」の先に神という絶対的な「答え」を見つけるのに対し、彼の「問い」はどこにもたどり着くことがないからだ。

 もし、彼の歌う「問いかけ」の先に見えてくるものがあるとすれば、それは「自分自身」ではないだろうか。世の中に問いかけることで自分の輪郭をつかむことができ、他者とつながることで自分を確認し安堵できるからこそ、彼の歌は生まれる。だから、ときにそこには「全部知ってる」と背伸びしてみせようとするズルさや下心も見え隠れする。絶対的なものに倚りかからない、あるいは倚りかかれないから、そこにはいつも疑念や不安がある。だから、彼の作品を聴いて感じる解放感や安堵は、はなはだ不安定で虚しさといつも隣り合わせで、ときに芸術の域からはみだしてしまうほどの切実さがある。

 andymori後期は、逆に楽曲の持つ「まっすぐさ」や「儚い美しさ」にとらわれてしまった感もあったが、去年発表された初のソロ作『THE TRAVELING LIFE』にはどこか肩の力が抜けた雰囲気がただよい、それが目線を広げさせているようにも思う。
 特に「君の愛する歌」の「君の愛する歌を歌いたい」という一節は、たとえば「君を愛してる」というよりももっと多くの感情を、雄弁に語る。なぜなら、この短い一節のなかから、「君を愛している」こと、それを歌うことによって「愛されたい」こと、またこの歌もつまるところ、愛する人の愛する歌を「知りたい」という「問い」から生まれている、ということがわかるからだ。
 また、ソロでの音楽活動のひとつの特徴として、ドラマや映画の主題歌を手掛けているということが挙げられる。作品の主題歌を書くということもまた、作品にふれる者、また作品自体という「他者」の存在を前提とする。自分のことではなく「誰かのために歌う」ほどに彼の歌は「自分」を見出し、また聴く者の心にまっすぐ響く。

 「世界と自分」や「君と僕」の間に起こる葛藤というのは若者特有の悩みであると考えるのなら、それは大間違いである。おそらく大人もみな、折り合いをつけたふりをしながら、悩みを抱えている。その葛藤は子供の頃から変わらないものもあれば、その時代ごとに異なるものであったりする。この先の人生にも幾多の「疑問」が用意されているだろうということは、毎日をぼんやり過ごしていたってひしひしと感じられる。
 
 「時はなぜ 悲しみを連れてくる 僕はなぜ 君のことを見失う」という、究極の問いをあえて問いかける彼の歌に、私は答えや救いを求めようとは思わない。ただその問いかける姿、歌う姿から、「この世界は問いかけるに足るものである」ということを確認したい。そして、この先の行く先々に待つ様々な疑問もまた、問いかける価値があるものだと理解することは、「答え」を知ることよりもずっと、私の心を自由にする。小山田壮平の「問いかけ」というひこうき雲が、たとえ行くあてがなくとも斜めにまっすぐ伸びていくのを、この先も見ていたいと思う。
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