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「推し」との距離感に思うこと

KAN「エキストラ」から再確認した私の幸せ

昨年11月頃にKAN「エキストラ」を初めて聴いてからというもの、定期的にこの曲を聴く。
この曲を聴いていると、私が思う幸せの一つを肯定し補強してくれる気がするからだ。
その幸せとは、「推し」との距離感を保って、「推し」そのものや「推し」の作品を楽しむことだ。
(なお、この文章では、自身の好きなアイドルやバンドのことを、作品のみならずアイドル・バンドそのものにも愛着を持っているという点から、「推し」と書くことをご容赦頂いたうえで、ここからの文章も読んでもらえたらありがたい。)

“私にとっては大切な一瞬でも あなたに気づかれることはなくて 話の筋には何ら影響しない私はエキストラ”
“あなたがいるシーンに少しでも 写り込んでいれればそれだけでいい”

歌詞の中の「私」という人物は上述した部分からも見てとれるように奥ゆかしい人物だ。そしてピアノと歌のみで曲の大半が構成されており、後半の間奏ではストリングスが入ってくるところも相まって、歌詞の中の「私」に対してセンチメンタルな気持ちになるところもある。
ただ私はこの楽曲に関して、「エキストラ」であるということが悲しいという風には捉えていない。むしろ「エキストラ」であることの幸せというものを感じられる楽曲だと思っている。そして私は、この歌詞の中の「私」のような奥ゆかしさが自分にあるとは思っていないけれど、この歌詞の「私」の、好きな人の「エキストラ」として存在するという点に共感を覚えた。「推し」にとってのある種「エキストラ」としてファンでいることの幸せを再確認することができた。

自分が音楽というものに関心を持ち始めた小学生の頃からを考えると、「推し」がSNSやブログをやっているという状況が当たり前になり、そのような状況が当たり前になる中で「推し」との距離感が近づいていると錯覚したファンの言動が増えたように思う。私はそこに違和感を抱いてきたし、今も違和感を抱いている。さも知り合いかのような言葉遣いや、「「推し」のためを思って」という枕詞つきの批評・助言。私が違和感を抱いてきたというだけであって、それが間違っていると言いたいのではない。十人十色のファンとしての在り方があるということは理解している。ただ、そうやって自身が違和感を持つ「推し」との距離感があまりに視界に入ってくるから、他人とのずれに臆病になることがある自分としては、違和感をもつ自分がおかしいのか、「推し」と確かな距離感を保ってファンでいたいと思うのがおかしいのかというもやもやが募っていた。
そんな中でこの曲を聴き、歌詞を聴き、自分の思う「推し」との距離感を肯定してもらえたように勝手に思った。そして他の人がどうあろうとやはり、確かな距離感をもって「推し」のファンでいることが私にとっての幸せなのだと改めて実感できた。

“決してこの思いが届かなくても 大好きです それだけ”
この言葉に尽きるのだ。

この曲に関して、「推し」とファンとの距離感というのはあくまで私自身がそう捉えたというだけである。ここまであまりに私自身の捉え方で書き過ぎてしまった気もするので、この文章を読んでくださっている方には、そこは意識しすぎず、このあたたかく素敵な曲をぜひ聴いてみていただけたらと思う。


“”で囲まれている箇所はKAN「エキストラ」より引用
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