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記憶が共感する音楽

「ドライフラワー」優里の表現力が呼び起こしたもの

音楽を聴いていると「こんなところに眠っていたんだ」と思いもよらぬ感情の蓋が開く。それは、たった一度だけ歌詞やメロディを耳にしたのでは到底辿りつかないほど、記憶の海を深く深く潜った先にある。


優里の『ドライフラワー』を聴いて呼び起こされたのは、恋の終わり、のはじまりを予感したあの日だった。


<多分 私じゃなくていいね
余裕のない二人だったし>


恋の終わり、とはどの地点を指すのだろう。
反省も後悔も数えきれないほどあって、一体いつ何月何日に戻ればこの瞬間を回避できたのかと意味もなく考えあぐねた。

一方で「さよなら」は、微量の清々しさもあった。終わりの気配に怯えながら相手と一緒にいるほうがずっと辛かったからだ。

やがて時間が経つにつれ浮かび上がるのが喪失感である。安堵の領域を空虚がじわじわと支配しはじめたとき、それは次第に輪郭を強めていく。

かつて鬼束ちひろが代表曲『月光』で「時間は痛みを 加速させて行く」と歌い、時間だけが薬である価値観を見事にぶっ壊してくれたが、なるほど本物の恋を知るにつれ真実なのだと知った。


<理由もちゃんと話せないけれど
貴方が眠った後に泣くのは嫌>


好きなのに、一緒にはいられない。

相反する気持ちを含んだ別れほど覚悟を必要とする。「まだ好き」も本音ならば「もう疲れた」も本音だ。
ぽたん、ぽたんと一滴ずつ水溜りに波紋を打つように広がった不安や違和が、あるとき足元を侵食しているのに気付く。

恋の終わりは、決意を相手へ告げた日ではなく、静かな幕引きを決めた日に訪れるのかもしれない。




別れの瞬間に揺れ動く女性の感情を綴った『ドライフラワー 』は、シンガーソングライター・優里のセカンドシングルである。

その昔、福山雅治が女性シンガーへ提供した楽曲を聴いて、なぜこんなに女心を的確に表せるのだろうと唸ったものだが、優里もまた新世代の名手だと思う。
別れた相手の一挙一動に揺れながらも徐々に未来への覚悟を強めていく様は、痛々しいほどにリアルだ。


<多分、君じゃなくてよかった
もう泣かされることもないし>

<ドライフラワーみたい
君との日々もきっときっときっときっと
色褪せる>


歌詞の中に幾度も出てくる「多分」「きっと」。
ディテールに込められたわずかな希望の類が別れの切なさを増幅させる。白か黒か、キッパリ振り切れたらどれだけ楽だろうと思う。
ところが私たちは長らくグレーの領域を漂うほかない。いつか出会う、より鮮やかな色を求めながら。


<声も顔も不器用なとこも
全部全部 嫌いじゃないの>

<声も顔も不器用なとこも
多分今も 嫌いじゃないの>

<声も顔も不器用なとこも
全部全部 大嫌いだよ>


5分弱の楽曲で3回繰り返されるサビはすべて歌詞が異なっている。
1回目は「好き」ではなく「嫌いじゃない」。2回目はほぼ同じフレーズだが「全部全部」が「多分」に変わる。そして最後は自らの未練を振り切るように「大嫌い」と言い放つ。

おそらく想いの強さは変わらなくて。一匙の強がりだけが、彼女にとって心のよりどころなのだ。


<赤黄藍色が胸の奥
ずっと貴方の名前を呼ぶ>

<好きという気持ち
また香る>


別れてもなお連絡をしてくる彼に対し、<都合がいいのは変わってないんだね>と言いながらも<でも無視できずにまた少し返事>をしてしまう。月灯りのもとに訪れた魔物のように表現される相手への未練。

最後のサビに入る直前、たった一度だけ漏れ出る本音が痛いほどに切ない。「嫌いじゃない」と「大嫌い」のあいだ、たしかに存在する本当の気持ち。


<まだ枯れない花を
君に添えてさ>

<ずっとずっとずっとずっと
抱えてよ>


どの答えが正しいかなんて誰にもわからない。自分がそうであるように、また相手が想いを残しているのも顕著で、ならば再び手を取り合うことだってできる。
しかし楽曲中の彼女は痛みを引き受ける覚悟をした。部屋に飾られた色とりどりの花々が朽ち果てる前に。

その姿に、いつかの私を重ね合わせる。




『ドライフラワー』を初めて聴いたとき、ひとつひとつのフレーズにここまで感情を込められるのかと、歌い手の技術やスキルを飛び越えた底知れない真髄を見せつけられた気がした。

ハスキーな声は哀愁が似合う。極めて抑えた声色で静かに始まる歌い出し。
好きな人と一緒にいながら、どうしようもないところまで追い込まれた「彼女」はさぞかし孤独を抱えていただろう。

一転、まるで自分に言い聞かせるように相手を振り切る様の歌声は力強く、そして繊細だ。別れに伴う痛みと叫びが強弱や裏声、ビブラートによって巧みに表現されている。

いや、表現なんて言葉も似つかわしくないほどに、優里が歌声にのせる感情は本物で、心そのものだと思う。

この楽曲は、ファーストシングル『かくれんぼ』のアフターソングとして知られている。彼視点で綴られたファーストでは、突如いなくなった彼女への戸惑いと心当たりに揺れる男性の姿が見える。
「花」というフレーズこそ出てはこないが、合わせて聴くと『ドライフラワー』はより立体感を持って胸に迫る。確実に刻まれていた二人の時間に息づかいを感じる。




一体いつ何月何日に戻れば二人はこの瞬間を回避できたのか。お互いを思いやる気持ちは嘘じゃなかったはずなのに。

色褪せた恋愛の代名詞として使われているドライフラワーには、生花にはない美しさがある。まだ愛でる余地があったかもしれない恋を、心に留めておくために自ら手をかけた。

無いはずの棘がチクチクと心を刺す。やがて傷口は自分と同化する。いつか忘れてしまっても、一生消えはしない。

二人の時間を結晶化させた先にある未来がどうか安らかな日々でありますように。別れはいつだって凛と冷たい。でも、瑞々しい花のまま捨て去るよりも、気付かないままに枯らすよりも、たぶん優しい恋だった。



今の私ではない、いつかの私が共感している。『ドライフラワー』を聴いているあいだ、そんな不思議な感覚に包まれていた。記憶と音色が時代を越えて結びつく。その瞬間に立ち会えるのも、音楽と生きる喜びの一つなのだと知った。
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