4401 件掲載中 月間賞毎月10日発表
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

にじ色である必然性

MONOEYES・“Iridescent Light”に寄せて

9月23日にリリースされたMONOEYESの3rdアルバム『Between the Black and Gray』。

その4曲目には、英語で「にじ色の光」を意味する名前が付けられた楽曲“Iridescent Light“が収録されている。

《As we hold on/To the memories that we've made/Out from the snowfall/A cityscape aligns,in iridescent light》
(対訳:しがみついてた/昔の思い出に/雪景色の向こうには/街並みが広がる にじ色の光を浴びて) (“Iridescent Light”)

この曲の作詞・作曲を手懸けたスコット・マーフィー(Ba&Cho)に、ただの「光」ではなく「にじ色の光」にしたワケを訊ねたら、「なんでにじ色かって?深い意味はないよ」と優しく笑われそうだが、そこに降る光がにじ色でなきゃいけなかった理由というのを、誠に勝手ながら、自分なりに考えてみた。

まず最初に触れたいのは、バンドの結成経緯と、メンバーの関係性だ。

細美武士(Vo&Gt)を中心として、2015年に結成されたMONOEYES。今でこそひとつのバンドではあるが、当初は彼自身が陣頭指揮を執る他のバンド・the HIATUSの作品をより良いものにするために、「自分の中にあるものを全部吐き出したい」「誰の力も借りられないところで一から作りたい」という強い思いから、アルバム1枚限りのソロプロジェクトとして動き出そうとしていた。

だが、実際に曲を作っていくうちに「これは1人では録れないな」と感じた細美は、バンド形式にするために、自分の頭に思い浮かんだ他の3人へ声をかけたそう。これでようやく本格的に始動したと思えた彼のソロプロジェクトだが、ただサポートとして迎えるだけでは終わらず、本当にバンドへと姿を変えるきっかけとなったのは、初めて4人揃ってスタジオで音を出したときのことだった。本人たちは当時を振り返り、「最初にポンと音を出した瞬間に決まった。そういうスイッチになったよね」と話していたが、初めて4人で“Cold Reaction”を鳴らしたあの瞬間から、彼らの目には私たちもまだ見ぬ未来のバンドの姿がはっきりと見えていたのだろう。そう思うだけで、今でも鳥肌が立つ。

《Send me to the site in action/Deep inside the wild obsession/We live in a world in motion/Who gives a shit about your position》
(対訳:今起きてる現場に送ってくれ/野性的な熱狂のど真ん中へ/俺たちはめまぐるしい世界に生きてる/誰がお前の地位なんか気にかけるかよ)(“Cold Reaction”)

このとき、戸高賢史(Gt)とスコット・マーフィーは、自身のバンドがちょうど活動休止になったタイミングで、スコットに至っては、当時住んでいたアメリカのシカゴに新しいマンションも買ったばかり。ソロを手伝うつもりで来ただけのはずが、まさかこんなことになるなんて。きっと誰よりスコット本人が1番驚いたに違いない。でも、彼は新しいマンションも、そこに置いてきた家具も、車も全部売って、日本語もままならない中、単身日本へ来る決意をしたそうだ。もし自分だったらと思うと私には絶対に出来ないが、それはきっと彼も同じだったと思う。本来なら出来ないはずのことをそうして自分の人生を賭けてまでやってしまおうと思えたのは、いや、彼にそう思わせたのは、他でもない、細美武士その人なのである。

もちろん、他の2人も例外じゃない。一瀬正和(Dr)は、こうして細美に声をかけてもらえたこと自体、これまで音楽を続けてきたご褒美だと言っていたし、戸高には、初めてのツアーの際、「細美の横に立つんだったら」と言って、実は誰にも言わず陰で鍛えていたという、ちょっと笑えるエピソードもある。私にはバンドで食べていく人たちの覚悟なんて一生分かりっこないのかもしれないが、こうして細美のもとに集まった3人の姿を見ていると、とても偶然とは思えないひとつの大きな運命に、彼らがちゃんと然るべきときに引き寄せられたようにしか、思えないのだ。

だが、当の本人たる細美もまた、楽曲制作のために滞在していた沖縄での出来事を思い出して、インタビューの中でこんな風に話していたことがある。

「海でみんなで泳いで、メシ食って、スタジオまで1キロぐらい歩くんだけど、歩いてるみんなの後ろ姿見てると、それだけで泣きそうになってくるんですよ。素晴らしい人生だなあって」

そのとき気持ちをそのまんま乗せて作ったという楽曲“Interstate 46”のサビには、《Don't tell me I'm the only one》(対訳:僕だけだなんて言うなよな)という象徴的なフレーズが形を変えて何度も登場しているが、これ以上に4人のすべてを物語る言葉を、私は他に見たことがない。それだけ、この曲は彼らの繋がりを示す上でなくてはならない存在なのであり、4人を結ぶ信頼関係というのは、微動もしないものであるのだ。

《I was on the 46/Looking back the way we came/Don't tell me I'm the only one to feel this way now》
(対訳:46号線を走ってた/僕らが来た道を振り返る/こんな気持ちになってるのが僕だけだなんて言うなよな)(“Interstate 46”)

次は、ある魔法の言葉についての話をしたい。

ご存知の通り、細美武士は2018年に活動再開したELLEGARDENのボーカルでもある。数々の偉業を成し遂げたバンドが、人気絶頂の中、なぜあのような決断をしなければならなかったのか。再始動を果たしてもなお、どうしても考えてしまうことがあった。

だが先日、3rdアルバムの発売を機に、『ROCKIN'ON JAPAN』2017年7月号で行われた彼のソロインタビューを読み返してみたとき、その中に気になる発言を見つけた。

「『誰の命令も一度も聞いたことがない』っていうのが自分の誇りだったけど、それでうまくいかなかった出来事があって」

彼自身、明確にその出来事を指し示していた訳ではないものの、私はそこに、活動休止に至るまでのことがぎゅーっと詰まっているような気がしてならなかった。もし本当にそうであれば、翌年に新たなバンドを結成したとはいえ、彼の背中にあまりにも重くのしかかった責任、それから続く自己否定の毎日というのは、到底計り知れないものがあったに違いない。しかも、読めない空気を必死に読もうとして、それが出来なきゃダメなんじゃないかと、そう思いながら過ごしてきたんだそうだ。彼自身も話しながらグッと涙を堪えていたように、もう、何と言うか、そんな風にたくさんのことを気にして過ごさなきゃならない毎日というのは、どれほど苦しいものなんだろうか。

しかし、そうした日々を送る中で、彼は『東北ライブハウス大作戦』の本部長を務める西片明人氏からあるアドバイスを貰ったという。

「おまえ、周りに気遣ってんじゃねぇよ」

私はこの言葉を初めて知ったとき、正直、意外だった。えっ、あの細美武士が、周りに気を遣ってる?そんな姿なんてこれまで一度も想像したことがない上に、本人だってずっと、「もっと気遣えないのかよ」としか言われたことがなかったと、同じインタビューの中で明かしている。

でも、そうやって本人を含めた誰もが思いもしなかったというところに、この言葉の本当の凄さはあると思う。細美すら気づかない、むしろ、それが欠点なんだと思い込んでいたからこそ、全員の想像とは真逆をいく言葉に、彼は本気で心の底から救われたんだ。一体、どれほど気が楽になったんだろう。どれくらい自分を許してあげることが出来たんだろうか。他人が救われた経験を目で測ることなんて出来ないけれども、ひとつだけ言えるのは、あの言葉がなければ間違いなく、MONOEYESが生まれることはなかった。だから、彼は自らが救われた経験をもってして、今もなお自分を掴んで離さないあの言葉を「魔法」と、たったひと言呼んだんだ。そう思った。

だが今回、かくいう私もまた、彼らのとある曲に大きく救われる経験をした。

《Outside is gloomy/I'm standing in the hallway/Between the black and glay/I can only see the outlines》
(対訳:外は薄暗い/僕は黒とグレーの中間の廊下に立っていて/部屋の輪郭だけが見える)(“Nothing”)

冒頭で、アルバムタイトルにもなっている言葉が歌われているこの曲。

名前を日本語に訳せば、「何もない」。

まさに、その言葉どおりの1年だった。

僅か0.1ミクロンという極小の新型コロナウイルスに、私たちのこれまでの当たりという当たり前はすべて、いとも簡単にかっさらわれていってしまった。たった数ヶ月でまさかここまで変わってしまうなんて、初詣で神様に一年の健康をお祈りしながら、誰が予想し得ただろうか。幸いにも私は仕事への影響はほとんどなかったので、これまで通りの生活を送ることが出来ていたが、ひとたび外へ目を向けると、そんなかつての当たり前すらおぼつかない人たちで溢れている。とてもじゃないけど、手放しで喜ぶなんて、出来るはずがなかった。

だが、何より辛かったのは、世の中で音楽が不要不急のものとして扱われるようになってしまったこと。

3月以降のライブは軒並み延期や中止を余儀なくされ、スケジュール帳の中で一際目立つようにオレンジのマーカーを引いていたライブの予定に、シャープペンシルで真っ黒の線を引く日々が続いた。ライブがひとつ、またひとつと無くなる度にホームページ上に載せられるアーティストのお詫びと無念の言葉も、嫌というほど目にした。もう何度、胸が張り裂けそうになったことだろう。いつもお互いの今後のライブ予定を話していた職場のバンド好きの後輩とも、話すといえば、予定が次々と無くなっていくことくらい。こうなる前は実際に行くライブが被ったことも何度かあったが、ついには会場でばったり会うこともなく、「うちらもいつかロックバンドに飽きる時が来ちゃうのかな」と縁起でもないことをボソッと言っては、ほぼすべてを音楽にかけてきたお互いの将来を冷静に憂えてしまえるくらい、私の感覚は完全に麻痺していた。

《I'm melting slowly/Mixing up with the background/I just don't feel the pain as I did/Nothing matters now》
(対訳:僕はゆっくり溶けていく/背景と混ざり合って/さっきまでの痛みはどこかへ消えた/今では全てがどうでもいい)(“Nothing”)

そんな中、昨年の8月下旬のある日。バンドの公式Instagramにメンバー4人の近影が投稿され、彼らの新しいアルバムが完成したことを知った。すっかり記憶から抜け落ちてしまっていたが、そういえば、昨年末のツアーファイナルでアルバムを作っていると言っていたっけ。私はこの日初めて、行くはずだったライブのチケットの払い戻し期限も、たくさんのアーティストの新譜のリリース日すらも、自分がいつの間にか記憶することを止めてしまっていたことに、ようやく気が付いたのだ。

それから1ヶ月後、手元に届いたCDの封を開けて、この“Nothing”を初めて聴いたときのことを、今でもはっきりと覚えている。

まるで瞼を優しく撫でるように始まるイントロ。目を閉じた私の脳裏にパッと浮かんだのは、ちらちらと降る雪の中、木に囲まれた森の真ん中でひとり、呆然と立ち尽くしている自分の姿だった。決して真っ暗闇ではなく、歩くべき道も何となくあるようだけれど、ここが一体どこなのか、そして自分が今どこに向かっているのか、全く分からない。まさに今の自分の姿とぴったり重なった。
だが、長く続いた鬱蒼とした林冠が突如として途切れ、ようやくサビに辿り着いた瞬間、私の頭にこれまでの思い出が走馬灯のように蘇ってきたのだ。

《Though it's not today/If you're calling up again/I'll always be right there,you know》
(対訳:今日じゃなくてもさ/また呼んでくれるなら/いつだって飛んでくぜ ほら)(“Get Up”)

彼らの存在こそデビュー当時から知っていたものの、英詞で歌われるパンク系の音楽が苦手でずっと聴けていなかった2年前の春。何を思ったのか、初めてYouTubeで観た“Get Up”のライブ映像に、一瞬にして心奪われた。

スピーカーにもたれながら、まるでこのフロアの景色に敬意を示すように乾杯の仕草をするスコット。この上なく幸せそうに、溢れんばかりの笑顔を振りまく一瀬。何かを訴えかけるようにエモーショナルな音をぶつける戸高。相変わらず、英語で何を歌っているのか、私には分からなかったけれど、この人たちの言葉なら、知りたい。信じてみたい。その真ん中に立って、身振り手振りを加えながら歌っている細美の姿を見たとき、そう心から願った。

ようやく初めて彼らのライブに行けたのは、一昨年12月の『Interstate 46 Tour 2019』ファイナルだった。

《そういう世界があるなら/行ってみたいと思った/ここは風が吹いていて/いつか明日が終わるなら/今日はここですごそう/外は白い朝だ》(“グラニート”)

なんせ1年も前のことなので多少あやふやなところはあるが、この日、“グラニート”を披露する際、「今度のアルバムは日本語の歌詞を多めに書こうかと思ってて。そのとき思い出す景色があるんだ」と前置きして、彼はこの曲に寄せる思いをこんな風に私たちに語ってくれた。

「地元にいるとき、中学生の頃、毎日学校遅れたらやばいと思って駅まで自転車かっ飛ばして行ってて、その時乗ってた電車の映像が流れんのね。で、相変わらず田んぼばっかで。ほんとうに何も無いような田舎だったから、暴走族入ったり、シンナーすったりする奴がいたり、車いじったり、バイクいじったりするくらいしかすることなくて。でも、おっきい川が4本流れてて、俺はその土手に座って『向こう側に見える街にいってみたいな』『きっと俺が見たことないような世界が広がってるんだろうな』って、本当にここから抜け出したかったんだよな。でも、貫いてなんぼじゃん。それが上手くいくかどうかは俺もわかんなかったけど、それしか出来ないじゃんって。それで40すぎて俺らが組んだバンドがまさかこんなことになるなんてな……」

時間も、場所も忘れて、ただただ、彼の言葉に夢中になった。細美がひとつ、またひとつと口にするにつれ、知らないはずの土地の風景が、次から次へと目に浮かんでいく。田んぼも、4本の大きな川も、すべてがずっとそこにいて、あるがままに、こうして呼ばれる時を待っていたかのようだった。

そして、その直後に彼はこう言った。

「……行きたいとこがあるんだろ?」

「だったら、そこに行こうぜ。そんなことを歌った曲です」

《If it feels like I've been missing,just don't look too far/You can find me doing nothing but standing right here/If it feels like there's nothing that is left for us/You can take anything you find on the way》
(対訳:僕の姿が見えなくても 遠くを探さないで/僕はここで何もせず ただ立ってるだけだから/もしも僕らに残されたものはもう何もないと思うなら/ここまでに見つけたものは全部持って行っていいよ)(“Nothing”)

こうしてゆっくりとたくさんの思い出を指でなぞり終えると、“Nothing”のサビにはまさに、4人に見送られて「行きたいとこ」へとそれぞれが旅立っていく出発の場面が描かれているように、私は感じた。

日頃の生活の中で彼らの曲を聴いたとき。仕事前の景気付けのためにライブDVDを流しながら過ごす朝の時間。もう随分前のことのように感られるのが何より悔しいけれど、ライブを終えて会場をあとにしたときの何とも言えない清々しさ。そして、今回は幸いにも未遂で終わったものの、日々のやり切れない思いから解放されて、そつなく毎日をこなせるようになって、彼らの音楽を聴かなくなってしまうかもしれない、まだ見ぬ未来まで。もう思いつく限りの自分なりの「出発」を、頭の中にずらりと思い浮かべてみた。

だが、そのサビの後に何度も繰り返される《Alright,alright》(対訳:いいんだ いいんだ)という言葉に後押しされたようにして、4人が最後に残したのは、こんな言葉‪だった。

《I've been missing/Don't look too far/Standing right here/It feels alright 》
(対訳:僕の姿は見えない/遠くを探さないで/ここに立ってる/大丈夫だよ)

だめだ、何度聴いても、この思いもよらない優しさに泣きそうになってしまう。これまで生きてきて多くの人に励ましてもらってきたけれど、その中に、慰めではなく、こんなにも心に響き、身体中に本当の生きる力となって漲る《It feels alright》(対訳:大丈夫だよ)という言葉は、果たしてあっただろうか。コロナ禍が収束するまで、雪がちらちらと降り続ける冬はもうしばらく続くことになりそうだが、この言葉が付いてくれている限り、私は未来の自分の帰る場所を見失わないでいられそうだ。無い知恵を絞り出して悩み、理不尽に怒り、路頭に迷ったなら、かつての思い出を抱きしめながら、《Standing right here/It feels alright》(対訳:ここに立ってる/大丈夫だよ)と言ってくれる彼らのもとへ、またいつでも帰ってこよう。だって、自分には帰る場所があり、そこで帰りを待ってくれている人がいるということ。何の余韻も残さずに呆気ないほどスッと終わるこの曲の最後が物語るように、案外それだけで、私たちの人生というのは十分すぎるくらい満足に繋がっていくはずだから。
“Nothing”は、救いのない暗い歌だけれど、自分にとっては救いの歌だと、そう細美が言っていた意味が、私にもよーく分かったような気がする。

さて、昨年の10月からスタートした『Semi Acoustic Live Tour 2020』。

約8ヶ月ぶりのライブハウスへと向かうため、その仙台公演の1日目に足を運んだが、ツアータイトル通り、そこで披露されたアコースティックアレンジの曲たちは、終始、驚きと発見の連続だった。アコースティックとはいえ、ライブ顔負けのアグレッシブさを残したままの曲もあれば、しっとりと聴かせることに特化したような曲もある。そのバリエーションはまさに目からウロコだったが、何より脱帽だったのは、そうしたアレンジの数々によって、MONOEYESのすべての曲の根底にあるエモーショナルな感情体験が、いつも以上に大きなものになっていたこと。

そして、その中で最も私の心に残ったのが、冒頭に少しだけ触れた“Iridescent Light”だった。

辞書で「光」と引くと、そこには実にたくさんの意味が出てくる。

暗がりの中、微かに見える灯りを頼りに車を走らせたあの時間。真っ暗では全く分からなかったものが、パッと電気を点けた瞬間、はっきりと見えたとき。憧れるものや心惹かれる何かに対して、自分にとってはこれだけが光なんだと、ひとり涙をながしながら痛感したことだってあった。

だが、こうして改めて考えてみれば、ありとあらゆる「光」はどれも、自分の今居る場所が暗がりに見えたり、もしくは、そこよりずっと明るく思えるものを見つけて初めて、認知できる存在だと言えるものばかり。

それを思えば、ここが暗がりであること、そして、ここよりも向こうの方が明るく見えることを認めた上で、一人一人が様々な場面でたくさんの「光」に救われてきた歴史——そう、まさに「にじ色の光」こそが、MONOEYESというひとつの偉大なロックバンドを絶えず形作っている張本人なのではないだろうか。

あの日、“Iridescent Light”を披露する際、細美が「多分ね、この日1番笑えるよ」といたずらっぽく笑って、4人のアカペラで幕を上げた最初の部分には、こんな言葉がある。

《One night turning into dawn/Scratched our names into the walls/Of this catastrophic town》
(対訳:ある夜が夜明けへと向かう/この激動の街の壁に/僕たちの名前を刻み付けて)

このかつてないほど厳しい冬を乗り越えた先に《街並みが広がる》とき、彼ら4人と私たちは、一体、どんな「光」に導かれながら、ぎゅうぎゅうのライブハウスを超えた美しい空間を、そこに作り上げることが出来ているのだろうか。

今から楽しみでしょうがない。
  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい