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奏でることの意味

「君がいるから」――スキマスイッチが示すその理由

 何のために歌うのか。
 何のためにライブをするのか。
 新型コロナウイルスの流行と、それに伴う緊急事態宣言。不要不急であるという言葉とともに、音楽をはじめとするエンタメが苦境に立たされた2020年以後の世界。おそらく多くのアーティストが自分は何のために表現をするのかを自問自答しただろう。
 同様のことは2011年の東日本大震災のときもあった。音楽で直接人の命を救うことはできない。怪我を治したり、瓦礫を消したり、などという魔法の力は残念ながら音楽にはない。けれど誰か聞いてくれる人がいるならば、それで少しでも心が癒されることがあるならば。そう思って表現を続けたアーティストは多かっただろう。
 しかし今回は少し事情が違うと思われる。音楽が人の命を救うどころか、それを聞くために集まった人の命を、その周囲の人の命さえも奪いかねない状況。音楽そのものの力ではなく、いちアーティストには制御できるはずもないウイルスの力によって、音楽が、ライブをすることが「不要不急である」と、もっと言ってしまえば「悪」になってしまった。
 表現することで生きていた人間は、そして表舞台に立つ彼らを支える沢山の裏方たちは、誇りと生業をほとんど奪われたに等しかった。それでも何とか音楽を届けるために模索したアーティストは多かった。無観客ライブの配信など、この状況でもできることを必死に探していたように思う。
 その中で彼らはきっと自らに問いかけていただろう。
 何のために歌うのか。
 何のためにライブをするのか。
 こんな状況に追い込まれては、楽しいから、だけではもう説明がつかない。ライブをすることのリスクは十分わかっている。それでもライブをしたいと思うのはなぜなのか。金銭面だけでは説明できない、湧き上がってくるこの衝動は何なのか。
 その答えはアーティストによって違うだろう。そもそもはっきりと答えが出せる問いでもなければ、正解がある問いでもない。それでも私は、これが彼らの答えなのだろうというもの見せつけられた。

 2021年1月29日。
 スキマスイッチ TOUR2020-2021 Smoothie。コンサートプロモーターズ協会(ACPC)のガイドラインに沿った感染予防対策を行った上で開催されたツアーの千秋楽・名古屋公演。私はこの、二人の地元である愛知県でのライブに参加した。
 私にとっては、何より会場で楽しむライブが久しぶりだった(最後に行ったのは同じくスキマスイッチの、緊急事態宣言発令直前に行われていたツアー「POPMAN’S CARNIVAL vol.2」の名古屋公演だった)。2020年は楽しみにしていた他のアーティストのライブは延期の末に中止になり、配信ライブを見漁っていたものの、やはり本物のライブを味わいたいと悶々とした日々を送っていた。ツアー中に緊急事態宣言が再び発令されてしまう中、それでもどうしてもその音を味わいたくて、ライブ会場に足を運んだ。
 ひとつずつ開けられた座席。「おかえり」と客席から声をかけることはできないので、拍手に全ての思いを込める。彼らの強みのひとつであるミディアムからバラード中心で構成されたセットリストに沿ってライブが進んでいる。

「歌うと終わっちゃうから」

 ボーカル・大橋卓弥はツアー終盤によくそう口にするが、今回ばかりはそこにいつも以上の思いが込められているような気がした。その証拠とも言える30分越えのMC。普段と違う部分もありつつ、終わってしまえばあれだけ喋っていた本人さえ内容を忘れてしまうような他愛のない話。「いつも」とは違うけれど、相変わらずの姿に、少しばかり張り詰めていた気持ちも和らいでいくような気がした。

 ライブは終盤に差し掛かり、本編最後の曲の前に大橋卓弥が語り始めた。毎公演違う、おそらくそのときに考えて出た言葉で紡がれたのは、この状況下で歌う意味はあるのか、音楽をやる意味はあるのか、と自分自身の存在意義さえ見失いかけた話。そしてこのツアーをやることが正解だったかどうかはわからない、という正直な言葉。それでも聴きに来てくれる人がいるのなら。そんな言葉とともに本編最後の曲――「SF」が始まった。
 「SF」という曲は、スキマスイッチが初めてセルフタイトルを冠したアルバム「スキマスイッチ」を締め括る曲だ。
 久しぶりに聴いたその曲の歌詞を噛み締める。驚くほどに否定の言葉が並ぶ曲だ。凄くネガティブだ。

  自由に大空も飛べやしない
  君がいる場所にすぐ行けない

  強い力で君を守れやしない
  喜ばせるような手紙も書けない

 自分には何も出来ないんだ。そんなことをあまりにも正直に吐露する歌詞。けれどこの曲の姿は沢山の楽器が掻き鳴らされる間奏を機に変化していく。歩き続ける人間の足音のように、あるいは鼓動のように流れ続けるピアノの奏でる音はほとんど変わらないが、楽器が増え、和音が変化し、世界が広がっていく。

  何も出来やしない
  不思議なポケットなんてないけど
  大切な人の涙を僕が
  止められたなら

  君がいるから
  今日もギターをかき鳴らして
  歌う

 「けど」という二文字がそれまでの全てを上書きしていく。それ以降の、歌詞だけを見ればたった3行の言葉がこの曲の核だ。
 何のためにライブをするのか。
 何のために歌うのか。
 人によって答えが違うこの問いの、スキマスイッチの回答がここには書かれている。来てくれる人だけではなく、どこかでその音楽を求めている人がいるなら歌い続ける。それは彼らの音楽家としての決意表明のようにも感じられた。

 思えば、「SF」が彼ら自身の名前を冠したアルバムの最後の曲として収録されたことも、もしかしたら偶然ではないのかもしれない。元々「1曲目」にするために作られたが、最終的には最後を飾ることとなったこの曲。彼らが奏でる理由は、既に過去の自分たちがはっきりと示していたのかもしれない。
 アーティストはしばしば過去の自分の作品に助けられることがあるという。もしかしたら、彼らが奏でる理由を見失いそうになったそのときに支えとなったのは、過去の自分たちが作りあげた「SF」というこの曲だったのかもしれない。全ての楽器が掻き鳴らされ、音圧で痺れそうになりながら、私はそんなことを思っていた。

 彼らの音楽を求める「君」に直接音を届けに行きたい。
 彼らの中にはその意識がずっとあるのだろう。だから人の密集が制限される中でもツアーをやる方法を模索した。
「僕たちは沢山のものをもらってばかり」
 どのツアーでもそんな言葉が彼らから発されるが、客席にいる誰もが「こちらこそ沢山のものをもらってばかり」だと思っていただろう。
 客席から直接声をかけることは叶わないが、彼らが「君」のために奏でようと思い続ける限り、私は「君」の一人であり続けよう。
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