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粛々と

People In The Box

 『さよなら、物質(Ave Materia)』


「さようなら、こんにちは」におけるその歌詞が、2012年という年代において意味を持ったのは確かなことだと思う。波多野氏は自身のブログにて、2011年の東日本大震災と原子力発電所事故の際に、『一種のアイデンティティクライシスとでもいうべき状態におちいった』と語っている。それ以前に書いた自らの言葉が大きな問題を抱えてしまっていると。

 無邪気さや愚かさが、2011年のその事柄をきっかけに大きく形相を変えた。ありふれたロックバンドの子ども特有とでもいうべき純粋無垢な反抗心が、地中深くから掘り起こされた黒い大きな塊に押しつぶされてしまった。多くの欺瞞と不信の中で、僕らはただただ純粋なそれらを垂れ流すことの無意味さ、無価値さ、無感動さをイヤというほど叩き込まれた。それはもちろん限定された半径の話であって、そういった要素やアティチュードは、完全に否定をされて打ち捨てられたというわけではないだろう。けれどその限定された半径の中において、音楽と言葉は確かに形を変えた、形が変わった。

 それから9年、そして10年という歳月が経ち、人類はまたあのときと同じような状況に陥っているのかもしれない。無意味さ、無価値さ、無感動さが、多くの欺瞞が、不信が、どうしようもなく強大で抗えない圧倒的なまでの暴力が、怒りと恐怖とともにまた地上において再現されているのだろう。

 2021年1月15日、TSUTAYA O-EASTにておこなわれたPeople In The Boxワンマンライブは、「さようなら、こんにちは」にて幕を開けた。

 歌詞というのは流動的である、と考える。それらは固定されるものではなく、受け取り手の違い、時代の違い、状況の違いによって大きく形を変える。だからこそ、2021年における『さよなら、物質(Ave Materia)』という歌詞も、それは2012年におけるそれとは形を変えるのだろう。僕が2021年に受け取った、彼らが我々に投げかけた『さよなら、物質』も、また形を変えている。いや、形は変わってしかるべきである。だからこそ、彼らもまたこのライブにおいて、一曲目に「さようなら、こんにちは」を持ってきたのだ。

 きっと2021年のライブは、波多野氏が『さよなら、物質』を投げかけた2012年と同等か、それ以上に言葉が重要なファクターになりえる年なのだろう。だからこそ僕は、ただ粛々と進められるライブに少し面食らっていた。

 言ってしまえば、僕はある種の期待のようなものをしていたのかもしれない。言葉が重要なファクターになるであろう年の、このライブによって、そのある種の期待が形を持ってその場で発現されることを、僕は望んでいたのだと思う。それをバンドに、半ば強引に押しつけてしまっていたのだと思う。

 けれど、ライブはただ進んでいく。ウイルス対策によってライブ中に発言することが禁止され、ただ拍手のみによってバンドへの賛辞を贈る観客たち。途中ふわふわとしたMCが挟まり、また曲は奏でられ、時間は当たり前のように進み、そうしてライブもただただ、進んでいく。

 観客の口を覆う布を除けば、それは数年前、人類が気兼ねなくライブに足を運んでいた時代のそれとなにも変わりはなかった。そこに僕が想像していたような、ある種の期待の発現はなかった。バンドは演奏をし、言葉は紡がれ、箱庭は震えるだけだ。

 そこで形作ってしまう感傷こそが無意味なのだろう。僕が想像したようなある種の期待の発現こそが、無意味であるのだ。ただライブは粛々と進められる。まるでそうすることが当たり前であるかのように。それは一つの儀式に近かったのかもしれない。そこに余計な工程は必要じゃなかった。


 『忘れてしまうだろうね 催涙スプレーの昼も
  ヒトビトがどんな遠くからやって来たかも』


「懐胎した犬のブルース」のそんな歌詞も、それが作詞された2019年と現在で大きく形を変えている。それは「さようなら、こんにちは」とはまた別のベクトルでそうである。それはバンドも、波多野氏も分かりきっているし、観客も、そうして僕ももちろん分かりきっていた。けれどそれも、やはり全体の工程のうちの一つとして、適切に遂行された。当たり前に、淡々と。その段階で、僕はそれこそが、このライブにおける彼らなりの言葉への信用なのだろうと考えた。

 かつて波多野氏は、自らの言葉が大きな問題を抱えてしまっていると言った。けれど今回、曲の歌詞の強度と確度だけで、2021年という混迷の時代のこのライブにおける、言葉を確立させてみせた。


 『君の胸騒ぎが本当になるといいな 君の胸騒ぎが本当になるといいな
  君の胸騒ぎが本当になるといいな 君の胸騒ぎが本当になるといいな』


「ヨーロッパ」の最後。叫び、ギターをかき鳴らし、壇上を去る三人。もちろんその詞も、2008年の当時と大きく意味は変わっている。それはもう、「さようなら、こんにちは」や「懐胎した犬のブルース」とは比にならないくらいにそうであろう。それでも彼らはそれを観客に投げつけ、1時間40分に及ぶすべての工程を遂行した。

 熱狂もなく、気づきもなく、衝撃もなかった。ただただ深い納得、それだけだ。すごくそうしたことが、そうであったことが、感慨深い納得だ。

 ただライブは始まり、ただライブは終わった。

 粛々と。
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