奥田民生の今
この1年の活動とともに伝えたい、今の奥田民生の魅力
2021年2月19日
130
「奥田民生のどこが好きなの?」と聞かれ、「優しさ」と答える。
ほとんどの人にはうまく伝わらないのだけど、このもどかしさは、どこか優越感でもある。
ライヴが、音楽が変わろうとしている今こそ、奥田民生の魅力を伝えたい。
2020年、もう二度とライヴを見ることはできないんじゃないかという不安に苛まれた日々。久しぶりに見たステージは中野サンプラザのイベントだった。
ストレイテナーがはじまって、久しぶりに聞く生音はそれはとても感動した。
でも、流れた涙の意味は、一つ空けの客席、声を出せないオーディエンス、これまでのライヴ空間はもうないのだと、悔しさや、悲しさが勝った。
自分のことを棚に上げて言うのもあれだが、この状況下でライブを見に来ている人ってのは相当の強者だ。友達に誘われたから来ちゃいました、のような人はまずいないだろう。
他の全てを我慢して、この場所に来ている。全員が手探りのこの空間は、ステージの上とそんな客席との、お互いの信頼関係があるからこそ、かろうじて成り立っていたようだった。
民生さんがステージに出てきた時、姿を見てホッとし、声を聞きハッとした。
ものすごく緊張していたのだ。
調子が悪いわけでは決してない。緊張しているのだ。
おそらくその場にいた全ての人が感じたはずだ。
今までに見たことのない姿に、とんでもなく奥田民生の人間らしさを見た。
客席の私たちも、どう楽しめばいいのか、正解がわからないまま緊張していた。声を出してはいけない状態でライヴを楽しむということがはじめてだったからだ。
ギター1本で歌が始まり、ここから会場の一体感は増した。増しに増した。何百回と聞いているはずの「さすらい」がとても新しいものに聞こえた。
今できることで最高の時間を、私にとっても吹っ切れたというか、覚悟のような瞬間だった。
その後、弾き語りツアー「ひとり股旅」が発表された。
誰もがライヴの開催に足踏みをしたくなる中でとても嬉しいことだ。
行われたライブは驚くほどのアイデアと愛で溢れていた。空席には手書きパネル、最前列にハバレロくん(ボタンを押すと空気で暴れる人形)、全公演配信有り、そのため全公演セットリスト変更。その臨機応変な動きに感服する。
私は誰にも言わずにライヴに参加していた。もともと一人で参加することは多かったが、このワクワクを誰にも伝えずに会場に行って帰ってくることは、なかなか辛い。
チケットを買ってライヴに行くことを、後ろめたく思うのははじめてだった。それくらい世の中の価値観はどうかしてたし、私もそれに負けていた。圧倒的な世間の目を無意識に気にしていたのだ。
でも、この状況の中で、今までにはできなかったことをやろう、という前向きな姿。
それでも変わらない普遍的な歌声。
私は間違ってないと思わせてくれる安心感。
明日からも頑張ろうと思う生きる気力。
そして、全てを包み込む優しさ。
そのギターと歌は暗い毎日を明るくしてくれる。
年が明け、バンド編成MTRYツアー。ここでも同じく、全公演配信、そしてセトリ変更、スゴいとしか言いようがなかった。ベテランの本気。
強弱のあるセットリストは奥田民生の陽も陰も感じることができ、新旧織りなす産み出してきた名曲の多さに、今更ながら驚きを隠せない。
事前にSNSで募集したご当地写真をバックに演奏したり、グリーンバックで配信鑑賞へのアニメーション演出。本来なら現場で見ているものにとっては、物足りない演出なのだが、この場所だけがライブ会場ではないんだと気づかせてくれ、隣の席のハッピーちゃんをリアルにとても愛おしく感じてしまうのだ。
どうしてそこまで貪欲に頑張るのか。
レジェンドと呼ばれるくらいの奥田民生はそれでもまだ頑張るのか。
“頑張る”という言葉は少し違う気もする。
もっとナチュラルに行動的だ。
民生さんは「今、ミュージシャンがすべきこととは?」の質問に「腕を磨く」と答えた。
そのシンプルな答えは奥田民生の魅力を凝縮していた。自分のできること、するべきことがわかっているのだ。
MTRYツアーで見た民生さんの姿は、今本当に好きなことをしているように見えた。もちろん、楽しいだけではないだろうが、1番大切にするものをわかっているのだろう。
多くの人が、自分の存在価値や意味に、もがき苦しみ、人生とはつまりそういうものなのだが、その先に見つけた物の輝きはこっちに伝わっている。その輝きこそ、私がライヴに行く理由だ。
家で鑑賞できる配信はとても便利だ。大声で歌っても迷惑じゃないし、お酒を飲みながらソファでゆっくりしててもいい。遠くて行けない場所でも参加できる。それでも、やっぱり私はその場所にいたい。聞きたい。感じていたい。
奥田民生の「優しさ」について伝えたかったが、届いただろうか。時には厳しく、押しつけがましくなく、とても大きな優しさ。
そして、
老いることは、劣ることでは決してない。
20代からの色んな映像を毎日のようにビデオやDVDで見るのだが、いつの時代も、ため息がでるほどかっこいい。
それでも、いつでも、今が1番かっこいいのだから、とんでもない。
55歳の奥田民生が1番かっこよくて、きっと56歳の奥田民生はもっとかっこいいのだ。
ほとんどの人にはうまく伝わらないのだけど、このもどかしさは、どこか優越感でもある。
ライヴが、音楽が変わろうとしている今こそ、奥田民生の魅力を伝えたい。
2020年、もう二度とライヴを見ることはできないんじゃないかという不安に苛まれた日々。久しぶりに見たステージは中野サンプラザのイベントだった。
ストレイテナーがはじまって、久しぶりに聞く生音はそれはとても感動した。
でも、流れた涙の意味は、一つ空けの客席、声を出せないオーディエンス、これまでのライヴ空間はもうないのだと、悔しさや、悲しさが勝った。
自分のことを棚に上げて言うのもあれだが、この状況下でライブを見に来ている人ってのは相当の強者だ。友達に誘われたから来ちゃいました、のような人はまずいないだろう。
他の全てを我慢して、この場所に来ている。全員が手探りのこの空間は、ステージの上とそんな客席との、お互いの信頼関係があるからこそ、かろうじて成り立っていたようだった。
民生さんがステージに出てきた時、姿を見てホッとし、声を聞きハッとした。
ものすごく緊張していたのだ。
調子が悪いわけでは決してない。緊張しているのだ。
おそらくその場にいた全ての人が感じたはずだ。
今までに見たことのない姿に、とんでもなく奥田民生の人間らしさを見た。
客席の私たちも、どう楽しめばいいのか、正解がわからないまま緊張していた。声を出してはいけない状態でライヴを楽しむということがはじめてだったからだ。
ギター1本で歌が始まり、ここから会場の一体感は増した。増しに増した。何百回と聞いているはずの「さすらい」がとても新しいものに聞こえた。
今できることで最高の時間を、私にとっても吹っ切れたというか、覚悟のような瞬間だった。
その後、弾き語りツアー「ひとり股旅」が発表された。
誰もがライヴの開催に足踏みをしたくなる中でとても嬉しいことだ。
行われたライブは驚くほどのアイデアと愛で溢れていた。空席には手書きパネル、最前列にハバレロくん(ボタンを押すと空気で暴れる人形)、全公演配信有り、そのため全公演セットリスト変更。その臨機応変な動きに感服する。
私は誰にも言わずにライヴに参加していた。もともと一人で参加することは多かったが、このワクワクを誰にも伝えずに会場に行って帰ってくることは、なかなか辛い。
チケットを買ってライヴに行くことを、後ろめたく思うのははじめてだった。それくらい世の中の価値観はどうかしてたし、私もそれに負けていた。圧倒的な世間の目を無意識に気にしていたのだ。
でも、この状況の中で、今までにはできなかったことをやろう、という前向きな姿。
それでも変わらない普遍的な歌声。
私は間違ってないと思わせてくれる安心感。
明日からも頑張ろうと思う生きる気力。
そして、全てを包み込む優しさ。
そのギターと歌は暗い毎日を明るくしてくれる。
年が明け、バンド編成MTRYツアー。ここでも同じく、全公演配信、そしてセトリ変更、スゴいとしか言いようがなかった。ベテランの本気。
強弱のあるセットリストは奥田民生の陽も陰も感じることができ、新旧織りなす産み出してきた名曲の多さに、今更ながら驚きを隠せない。
事前にSNSで募集したご当地写真をバックに演奏したり、グリーンバックで配信鑑賞へのアニメーション演出。本来なら現場で見ているものにとっては、物足りない演出なのだが、この場所だけがライブ会場ではないんだと気づかせてくれ、隣の席のハッピーちゃんをリアルにとても愛おしく感じてしまうのだ。
どうしてそこまで貪欲に頑張るのか。
レジェンドと呼ばれるくらいの奥田民生はそれでもまだ頑張るのか。
“頑張る”という言葉は少し違う気もする。
もっとナチュラルに行動的だ。
民生さんは「今、ミュージシャンがすべきこととは?」の質問に「腕を磨く」と答えた。
そのシンプルな答えは奥田民生の魅力を凝縮していた。自分のできること、するべきことがわかっているのだ。
MTRYツアーで見た民生さんの姿は、今本当に好きなことをしているように見えた。もちろん、楽しいだけではないだろうが、1番大切にするものをわかっているのだろう。
多くの人が、自分の存在価値や意味に、もがき苦しみ、人生とはつまりそういうものなのだが、その先に見つけた物の輝きはこっちに伝わっている。その輝きこそ、私がライヴに行く理由だ。
家で鑑賞できる配信はとても便利だ。大声で歌っても迷惑じゃないし、お酒を飲みながらソファでゆっくりしててもいい。遠くて行けない場所でも参加できる。それでも、やっぱり私はその場所にいたい。聞きたい。感じていたい。
奥田民生の「優しさ」について伝えたかったが、届いただろうか。時には厳しく、押しつけがましくなく、とても大きな優しさ。
そして、
老いることは、劣ることでは決してない。
20代からの色んな映像を毎日のようにビデオやDVDで見るのだが、いつの時代も、ため息がでるほどかっこいい。
それでも、いつでも、今が1番かっこいいのだから、とんでもない。
55歳の奥田民生が1番かっこよくて、きっと56歳の奥田民生はもっとかっこいいのだ。
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