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生きよう、声高らかに

THE YELLOW MONKEYが「Live Loud」で響かせる、30年の境地

 ライブはコミュニケーションの場である。
 コミュニケーションとは一般的に「意思疎通すること」、つまり互いが互いに気持ちを伝えて受け取るという双方向で行う営みとされる。
 ライブやコンサートは、アーティストが披露した音楽を観客が聴きに行く場だ。一見すると、投げかけているのはアーティスト側のみであり、「疎通」すること、つまり双方向で行うものとは違うように思われる。しかし、観客はアーティスト側が発信するものを聴くことで心を動かされた場合、何らかの感情を発出する。それは声であったり、身振りであったり表情であったり、時にはごくわずかな(しかし、集まれば大きな)空気のゆらぎとして表に現れる。そんな「反応」がアーティスト側に伝わった場合、まさにそこにはコミュニケーションが成立していると言えるだろう。
 
 THE YELLOW MONKEYが2021年最初にリリースしたのは、ライブ・アルバム「Live Loud」だ。
 再集結後の彼らのライブ音源はこれまでも、2016年のシングル「砂の塔」の特典という形で(とはいえアルバムといっても過言ではない曲数が)収録されていたり、配信でリリースされるなどしてきた。しかし、きちんとしたアルバムという形で世に送り出されるのは、実に20年ぶりのことである。
 収録されているのは、彼らが2019年から2020年にかけて行った3つのドーム公演の音源。その中からファン投票で選ばれた曲がピックアップされて並べられている。
 しかし、実はこのアルバムがリリースされた約1ヶ月後、同じ3公演の映像が収録されたブルーレイ・DVDが発売される。映像でライブの様子が、しかもセットリストの順を追ってほぼすべて見聞きできるのである。
 だとすれば今回、わざわざ音源だけを形にした意味とはいったいどういったものなのであろうか。一介のファンには推し量ることしかできないが、とはいえこのアルバムを通して聴いたとき、その意味がわかったような気がした。
 単純に、音楽としてとても格好よく、胸躍らされるものであったからだ。

 THE YELLOW MONKEYはライブ・バンドであり、ライブを通じて成長してきたバンドだ。これは、メンバーあるいはスタッフによる、各所のインタビュー等でもよく口にされていることだ。
 もちろん、リリースされたままの原曲も素晴らしく心を揺さぶってくるものばかりではある。しかしそれがライブで披露されたとき、彼らの生のパフォーマンスをもって発されたとき、その威力は計り知れないものと化す。人間であるがゆえ、コンディションとして最高ではないときもあるのだろうが、それでも彼らはひとつひとつのライブを通して、彼らの音楽を、そして彼らのバンド像を作り上げてきたのだろう。
 もちろん、衣装や映像などの効果、仕草といった見目に訴えるものも表現のうちであり、ブラッシュアップされてきたものではある。しかし、バンドとして核となるのはやはり聴覚に訴えるもの、つまり音楽だ。それが聴き手に届かなければ、心を動かすものでなければ、ライブの本質の一つともいえる「コミュニケーション」は成立しない。
 そのコミュニケーションの核となるもの、すなわち音楽のみを切り取って形にしたということ。それはおそらく、再集結後にも数々のライブを通して成長してきた彼らが、音だけを出したとしても十分勝負できるという自負ができたということの表れなのかもしれない。
 実際、このアルバムに収録されている曲たちは、解散前と再集結後のものとに関わらず、すべてが「今」の彼らの音になっている。ただ過去の演奏や音源が再現されているのではなく(それだとしても十分すごいことではあるが)、ここまでミュージシャンそしてバンドとして進化してきた彼らの実力が如実に表れているのだ。一言で言えば、文句なくかっこいい。映像がなかったとしても、血が湧くような興奮をおぼえるほどに。
 聴き手の心をこれだけ動かせるものを作り上げたということ、キャリアを長く持ちながらなお音楽的にも成長し続けているということ。そんな彼らの凄味を味わえる、ある意味集大成的なアルバムなのだ。

 さて、とはいえ昨今、ライブを開催するということに関しては困難な状況が続いている。
 先に挙げたような「コミュニケーション」としてのライブ、つまりひとところに大勢の人を集め、大きな声をあげ…といった活動は、感染症の予防という観点からするとかなり厳しいものがある。そもそも遮るものなしに対面でしゃべるだけで容易にうつし合ってしまう病気だ。ライブにとどまらない「コミュニケーション」というもの、それ自体の機会が社会全体から格段に削られている。
 そんな中、THE YELLOW MONKEYは2020年11月3日、東京ドームでライブを行った。
 演者こそマスクをせず(パフォーマンス上、途中で一度する場面もあったが)普段と同じようなステージングではあったものの、収容人数は満員の約半分で観客は全員マスクを着用し声は出さない。そのような状況下で行われたライブは、とはいえそれまでのライブと同等、またはそれ以上の盛り上がりをもって終幕した。
 ライブ・アルバムというと、観客の歓声や歌声が収められていることも多い。絶妙な音量やタイミングとともに差し込まれるそれは、今作でもライブの盛り上がりがダイレクトに伝わり臨場感が得られる一因となっている。
 とはいえ、東京ドームのライブには前述した制約があり、観客の盛り上がりを音で伝えられる術はない…はずであった。ところが音源には、メンバーのパフォーマンスに呼応するような、観客の歓声や歌声が収められているのである。
 これは、その場にいた観客が出したものではない。事前にファンから募集した歓声や歌声を演奏に合わせて会場で流したものだ。
 広い会場特有の声のずれや、メンバーのアドリブに合わせたイレギュラーなコールアンドレスポンスはない。けれどアルバムとして聴いていると、まだ声を出すことへの制限がなかった他の二つのライブと遜色がない盛り上がりが伝わってくる。アルバムの中に収録されている中でも東京ドームの音源は、「バラ色の日々」や「JAM」といった、彼らの代表曲であり、ライブでは観客とのシングアロングが定番となっている曲も選ばれている。それでも、クレジットを見なければどれが録音された声であったかといったことが気にかからないほどに、バンドと観客の熱量が肌で感じられるのだ。これはおそらく、その場にいた観客の表情や身振り、その場で出されたものではなくとも演奏とともに流されるものとして届けられた声、それらがライブパフォーマンスへのレスポンスとして成立したということの証左であろう。
 コミュニケーションは双方が行おうと思わなければ成立しない。逆に言えば、双方に意志があれば、手段が変わってもそれを乗り越えて行うことができる。おこがましいかもしれないが、それが成功した暁には、観客の心が沸き立たされるばかりではなく、バンド自体や演奏のテンションも上がっていくはずだ。
 発信したものが好意的に受け入れられ、ダイレクトな反応が起きる。それらが一体となって、時間や空間そのものがそれぞれにとって強烈な体験となる。会話のような直接的な方法ではないが、心を通わせられるものに出会うという体験。たった数時間、または曲の中のほんの一瞬であっても、そういったものが人生の中にあるということは、コミュニケーションを駆使する生き物、つまり人間らしく生きるということの根源に近いものがあるのではないだろうか。
 東京ドームのそれに限らず、その場に居合わせたくともできなかった人たちの思いものせて展開される熱いステージの記録。コミュニケーションという体験を得ることすら難しい時代に今作がリリースされたことは、ライブが単に音楽を聴く場であることにとどまらず、自分たちにとってどういうものであったか、改めて振り返る機会ももたらしてくれたのである。

 アルバムタイトルの「Live」は、読んで字のごとく「生きる」という意味だ。そして「Loud」は「騒がしい」「派手な」の他に「大きな声(音)で」という意味もある。つまり直訳すれば「大声で生きろ」となるだろうか。
 もちろん「ライブ」の音源を集めたアルバムだからという意味がこめられているのだろうが、それでも「Loud」になれない時代にこの言葉を掲げるのは、彼らが今までのライブで、発信し、受け取ってきたものを表しているように感じられる。ライブの中に巻き起こる熱を、音だけでもって聴き手の胸に沸き立たせられるということ。それは彼らの歩んできた30年の経験と音楽への愛の強さに裏打ちされてこそ成し得たことだろう。
 今は胸の内でだけでも、大きな声で歌っていたい。そしていつかまた、ライブという空間に浸りながら、その熱に身を任せたい。
 そんな希望を持ち続けていくことは、つまり人間らしく生きたいという欲求に他ならない。困難な時代や人生を歩んでいく中で忘れかけそうになるそれを、このアルバムはこれから何度でも思い起こさせてくれるに違いない。
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