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75年がターニングポイント

宮本浩次カバーアルバム「ROMANCE」より

思わぬ諸事情があり、しばらく話すことが出来なかった宮本浩次カバーアルバム「ROMANCE」について語っていこう。すっかりと出遅れお恥ずかしい次第だが、想いは色あせなかったのでお話をしたい。

原則、宮本さんが生まれた66年から88年のエレファントカシマシデビューまでを宮本さんが選りすぐって選んだカバーアルバム「ROMANCE」全12曲の収録曲の発表をみて以来、わたしはこの「75年がターニングポイント」という主題が離れなくなった。
宮本さんより8ヶ月ほどお姉さんだが、彼が語る背景の歴史(例えば大阪万博‘70とか)や昭和の匂いはいつでもリアルに子供心に思い出される世代として、当時のヒット曲はSNSやらYouTubeやらサブクスなどでデジタルな優れものなどなかった時代にとって最大の娯楽であった。
だから、「ROMANCE」は、それはそれは懐かしき曲たちが勢ぞろい、耳に覚えあり!な名曲を選んでくれてありがとうと、まずはお礼を言いたい。

さて、何故「75年がターニングポイント」なのか。「ROMANCE」の収録曲(72年~99年)の中で通過する「75年」はわたしの母が亡くなった年。享年40歳。食道がんだった。わたしが10歳の時であった。なので、わたしには「ROMANCE」の曲たちには、母を拠点に想い出があるのだ。母がいたときと母がいなくなったときとね。
『二人でお酒を』は2番で梓みちよさんが胡坐をかいて歌うのか予想したり、『喝采』も『ジョニィへの伝言』(「ROMANCE」収録曲以外にも沢山想い出はある)も母の息づかいが聴こえるくらい、次女のわたしは姉が焼きもちを焼くほど、すっと母の膝の上に甘えて座ってテレビを観ていたから、母がいた頃のヒット曲は母の心臓と触れていたわたしの背中で生き続けているのだ。
小学校3年の頃に体調不良を訴え、1学期の終業式の日に母が教室に現れ担任の先生に入院することを告げていた。よく覚えている。母がいなくなるなんて、当時のわたしには想像もつかなかった。必ず帰ってきてくれると信じるも何も疑う余地もなかった。しかし、翌年大阪の天神祭りの日に母は旅立った。1年以上入院をしていたので、母の元気だった記憶は小学校2年辺りで止まったままだ。
そう、「ROMANCE」の曲が流れてくるとわたしの中で母がいた、母がいないと無意識に分けながら聴いてしまっている。そんな中、新たな情報に視線を注ぐ。2月8日放送「CDTVライブ!ライブ!」の生出演である。宮本さんは「ROMANCE」収録曲のうち『ロマンス』『白いパラソル』『あなた』の3曲を披露してくれた。

岩崎宏美さんの『ロマンス』は75年7月25日リリース。
驚いた。母の命日だ。最近知った。まさにターニングポイントの日の曲だ。そのことを知って初めて『ロマンス』を聴くこととなった。1975年7月25日、母が無言の帰宅をしたとき、じっと涙をこらえて大阪天神祭りのテレビを観ていたことを思い出していた。そんなしんみりとした前で、ロック調にアレンジした『ロマンス』をぴょんぴょん飛び跳ねて歌っている宮本さんを観てクスッと笑った。まるで、慰めてくれてるような気がした。

「お母さんの亡くなった日の曲だけど、そうして知り得たのも何かの縁、これからも『ロマンス』を大切にして欲しいな。」
本人に言われたわけでもないが、わたしの中で首を縦に振って受け入れていた。

そういえば、当時、テレビで観て歌っていた。けれど、母の膝の上ではない。確かに。その記憶はない。祖父母の家で暮らしていたわたしはテレビの前で普通の子供と同じように歌って踊っていた。大人になってからはカラオケのレパートリーの一曲だったなあ…。

続いて松田聖子さんの『白いパラソル』81年7月21日リリース。
当時わたしは16歳。実はこの頃はさほど歌謡曲には興味がなかった。けども、世間は「聖子ちゃんブーム」真っ盛り、市井何処へ行こうとテレビをつけても聖子ちゃんを見ない日はなかったから、全く覚えていないわけでない。けれど、今更だが、わたしが暮らしていた地から東へ約520㎞先では宮本さんが赤羽の地で6人のメンバーで「エレファントカシマシ」というバンド活動をしながら、大好きな歌謡曲も聴いていたのかと考えると、人の歴史それぞれ息づかいの聴こえる人々の生活日常が同時にそこにあったという実感が体中を包んだ。

最後に小坂明子さんの『あなた』73年12月21日リリース。
小さい時ベストテン番組でずっと1位だった記憶が強い。母の膝の上でいつも聴いていた想い出の中の一曲。そうして、わたしが社会人になってからは、カラオケで十八番(おはこ)にしていた。同級生の結婚披露宴で初めて歌った曲もこの『あなた』であった。
♪いとしいあなたは今どこに → ♪いとしいあなたと今幸せ
と、歌詞は変更したが、大トリで気持ちよく歌わせてもらった。なので、わたしの生きた歴史の中で『あなた』という曲は何物にも代えがたい思い入れがあるのだ。
「The Covers’ Fes. 2019」で宮本さんが『あなた』を披露したという情報だけで気持ちは高ぶり、わたしの幼少期から成人を迎えたヒストリーが頭を駆け巡った。まさか、40年以上の時間を経て大切な「推し」が息を吹き込んで歌ってくれようとは想像もしていなかった。だから、宮本さんと2019年夏に初めて出会うべくして出会った運命のひとつなんだと確信した嬉しさと宮本さんへの感謝の気持ちでこころがあたたかくなり号泣した。

そう、この3曲だけで『あなた』母は元気だった、『ロマンス』その日母が亡くなった、『白いパラソル』母がいない。と、いう母との拠点を感じていた。
また、この日2月8日は奇しくも宮本さんの亡くなられたお母さまの誕生日で、かつ直前にオリコンデイリーチャートで「ROMANCE」が1位に返り咲くニュースが飛び込んできた。偶然とは思えない導き!
カバーアルバム『ROMANCE』を語るに外すことのなかったお母さまとの想い出。
この日を宮本さんが忘れるはずがないだろう。
もしかしたら、『あなた』の中の“あなた”を宮本さんはお母さまと思って歌ったのではないだろうか。

例えば

♪家の外では坊やが遊び
♪坊やの横にはあなた あなた
♪あなたがいてほしい

「坊や」は宮本さん自身のこと?
「あなた」はお母さま?

僕の横にはお母さんがいてほしい

近くの幼稚園で掲げられているパパ・ママ・お姉ちゃん・私・ワンちゃんの絵の話(2019年10月31日J-WAVE RADIO DONUTS、婦人公論12/22・1/4号他)の「私」という幼稚園児のピュアなこころや全体を取りまく儚さ…小坂明子さんの乙女のピュアさと変わりがないとお話されていたが、一方、それは今は亡きお母さまの面影と自身の幼いもう今は帰れない想いも交錯しているのか…
その儚さとお母さまの誕生日と想いが重なって『あなた』を歌っていたとすれば…。宮本さんの想いはいかばかりかと。宮本さんのこころに熱いものがこみ上げたのだろうか。
わたしはわたしの今は亡き母のこととも合い重なり胸が熱くなった。

既に2019年に収録し何度も歌いこんでいる宮本浩次の『あなた』
「The Covers’ Fes. 2019」で初めて聴いたときは、小坂明子さんの原曲では高らかに歌い上げるラストの「♪あなたがいてほしい」に対して、宮本さんは最後の「ほしい」の「い」にはやわらかく静かに曲を終えた。それと、丁寧に特にエレカシではあまり使い慣れていなかったファルセットを大切に大切に歌っているように思ったが、何度か歌われているうちにファルセットとミックスボイスと地声とその時その時の色を付けていくようにされていたのかと思うようになった。そう、歌えば歌うほど自分色に染まっていく。だから、一つの集大成であったではないだろうか。お母さまへのプレゼントと共に。天国のお母さまはオリコン一位の返り咲きをプレゼントに送ったのかな?

カバーアルバム「ROMANCE」には『あなた』『恋人がサンタクロース』『異邦人』のようにスタジオ収録した曲以外に6曲をデモテープのまま採用されているが、宮本さんはカバーアルバムはもう出さないと言われている(JAPAN2020年12月号別冊付録より)
山崎さんが言われる≪宮本くんとソロワークとしてもひとつの到達点だと思う≫≪こんなに原曲に対峙して命を削って作ったカバーアルバムは存在しない≫それほどの勢いが込められている「ROMANCE」を≪カバーアルバムって、ある種肩の荷を下ろしたり、ちょっと違う船に乗るってニュアンスで作るケースが多くて≫の山崎さんの言葉に宮本さんは≪その感覚はまったくないね≫と返す。「宮本、独歩。」ほかにもやりたいこと、エレファントカシマシ、野音etc.宮本さんの頭の中にはたくさんのやりたいことがある。けれど≪もう50過ぎてさ、最後の私のラストスパートだよ。“冬の花”でも言ってるけど、《わたしという名の物語は 最終章》なんだよ。だからそういうやりたかったことをひとつひとつやっている中での最重要課題にこのカバーがあるということに、何かのタイミングで気づいたんだと思うんですよね≫いつだって本気で挑む宮本さん。カバーの原曲の凄さ=(イコール)曲を作るほどの大変さ、真正面から対峙して向き合う54歳宮本浩次の姿勢はいつにも増して大きく見える。あれこれ悪戦苦闘し、スタジオでも歌い直し、いつものとおり、全身全霊立ち向かったカバー曲たちに歌手・宮本浩次が言った。≪自分は気持ちいいけど、これを本人以上に歌うことって無理だと思った。だから途中から苦しくなってきたし(『化粧』をカバーして)。≫≪どうしても原曲を超えられないし、でも自分らしさを出したいっていうこともあって、いろんな欲が出てきちゃってるから。そうするといい歌が歌えないんだな。悔しかったけどね。どうしてもデモテープの歌を超えられない(敢えてデモテープに戻した理由として)。≫ただ素直に歌詞たちに忠実に想いを寄せて歌った。そこから感動した歌達に宮本魂でリスペクトしたのだろうか。感情からか声のかすれもうっすら涙声も、気持ちを溢れさせて歌うデモテープの仕上がりが、歌唱のテクニックにも勝ってしまうそういう『ROMANCE』であったと思う。
原曲には追いつかない、初恋のようなピュアな想いはいくらでも宮本色に変えられるけども、ひょっとしたらカバーの名曲たちはこのままそっとしておきたいのかも知れない。
先ほど『あなた』を“集大成”と触れたのも前行の考察があったからである。


わたしは15年前に母が亡くなった年齢を通過した。その時ほど感慨深かったことはない。40歳の母がガンとの痛みに耐えながら小さな子供たちを残して逝ってしまう運命に、もうそれは歯がゆく悔しく悲しくやり切れない、どんな思いでこの世を去ったんだろう。と想いを巡らした。
そして5年後、わたしが還暦の年に母の50回忌を迎える。ちょうど節目の5年前の今現在にまるで私自身に何か一区切りをつけるように「ROMANCE」と出会いちょっと思い出とも振り返りながら50回忌にお母さんとの区切りにも意識を向けることができた。偶然か必然か、それはわからないが、その時にありがたく胸にそっと抱いてみたくなる「ROMANCE」でありたい。

やっぱりわたしにとっては母と、昨年“ばあちゃん”の元に「初めまして」と会いに行ったワン!と鳴く相棒と、あらゆる想いが混在した忘れられないアルバムになろう。
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