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米津玄師が歌い続けるのは「愛」

人を愛さずにはいられない人間の性(さが)

 最近、休日にApple Musicでいろいろな音楽を聴くことが私の楽しみになっている。今は、「J-Pop Now」というプレイリストで最新の楽曲をチェックし、お気に入りの曲を見つけるのにはまっている。米津さんのプレイリストも複数あって、テーマ毎に曲がセレクトされている。米津さんの場合、アルバム1枚1枚に、侵すことのできない完璧な世界観と素晴らしさがあるので、どのアルバムが一番いいかなんて、決して決められない。私の場合、米津さんの音楽はアルバムごとに聴き込む傾向があったのだが、Apple Musicでの、アルバムの垣根を越えたプレイリストで聴く米津さんの楽曲は、すごく新鮮だった。アルバムとは違う角度から米津さんの楽曲に光を当てることで、新たな輝きが見える気がした。それぞれ米津さんの別のアルバムに収められた曲が集まっているのに、プレイリスト自体がまるでひとつの美しい物語のようなのだ。そのApple Musicの中にあるプレイリスト「米津玄師:ラブソング」の紹介文があまりにも秀逸で、私はハッとさせられた。

「誰かを愛し、心が大きく揺れ動く時。米津玄師は、その心の行方を丹念にたどり、その先に広がる世界を見つめて歌う。星や花火、新しい季節を告げる空模様など、文学的な比喩を用いて生き生きと描かれる心象風景は、胸が痛むほど切なくも美しい。喜びだけではなく、心がすれ違う時の悲しみや、恋が終わりゆく瞬間の痛みも、大切な人と出会った証。米津玄師が紡ぐラブソングは、死ぬまで人を愛さずにはいられない人間の心理を深く描き出す。」(Apple Musicより引用)

それを読んだ瞬間、私の中で稲妻のように閃きが走った。それはある種の啓示のようだった。

 米津さんは『diorama』から現在に至るまで、常に、一貫して愛を歌い続けている。米津さんの音楽は、全部愛に帰結する。もしかしたら米津さんは愛しか歌ってないんじゃないか、と思うくらいに。人は誰かに愛されたい。それと同じくらい、いや、それ以上に、誰かを愛したい。愛さずにはいられないのだ、きっと。愛されたいより先に、愛したいが来る。愛されたいのは、やっぱり愛しているからなのだ。それは、人間の性(さが)であり、無意識の中にある紛れもない真実なのではないか。

 米津さんの楽曲の中で、「愛」に関わる言葉が出てくる曲を探すと、枚挙にいとまがない。

《回る発条のアンドロイド
僕の声と頭はがらんどう
いつも最低な気分さ
君に愛されたいと願っていたい》
(“ゴーゴー幽霊船”)

《愛してるよ、ビビ
明日になれば
バイバイしなくちゃいけない僕だ
灰になりそうな
まどろむ街を
あなたと共に置いていくのさ

言葉を吐いて
体に触れて
それでも何も言えない僕だ
愛してるよ、ビビ
愛してるよ、ビビ
さよならだけが僕らの愛だ》
( “vivi” )

《病熱を孕ませ夢を見ていた
盲いた目にみえた落ちていく陽
愛していたいこと 愛されたいこと
望んで生きることを 許してほしい》
(“恋と病熱”)

《愛されたいならそう言おうぜ 思ってるだけじゃ伝わらないね》
( “LOSER”)

《痛むことが 命ならば 愛してみたいんだ 痛みも全て》
(”ナンバーナイン”)

《影しか見てねえあんたらを
愛してるぜ 心から》
(“ララバイさよなら”)

《心根だけじゃ上手く鍵が刺さらない
愛し合いたい 意味になりたい》
(“Moonlight”)

《これが愛じゃなければなんと呼ぶのか
僕は知らなかった
呼べよ 恐れるままに花の名前を
君じゃなきゃ駄目だと》
(“馬と鹿” )

《愛したくて 噛み付いた 喉笛深く
その様が あんまりに美しくてさあ》
(”ひまわり”)

《「千年後の未来には 僕らは生きていない
友達よいつの日も 愛してるよ きっと」》
(“迷える羊”)

私が思い浮かべた限りでもこれだけある。他にも、“MAD HEAD LOVE”の歌詞には数え切れないほどの「愛」という言葉が出てくるし、『かいじゅうずかん』封入のCDに収録された”love”......米津さんの曲たちには、宝石のような愛の歌がまだまだ沢山ある。ここで挙げた以外にも、米津さんの楽曲には「愛」と言うワードが出てくるものがまだまだあるし、「愛」という直接的な言葉は出てこなくとも、愛としか言いようのないものを歌っている曲が沢山ある。もしかしたら、米津さんは、自身のすべての曲で愛を歌っているんじゃないか、とすら思う。

 米津さんの音楽における愛について考えていると、今から24年前、自分が小学生の頃に大ヒットしていたKinki Kidsの “愛されるより 愛したい”という曲が私の頭の中に、ものすごく鮮やかに浮かび上がってきた。この曲は、大人っぽい曲だったこともあるが、当時11歳だった私には何だかしっくりこなかった。この曲のサビの

《愛されるよりも 愛したい真剣(マジ)で》

というフレーズがとても印象的で、今でも頭の中に鮮明に残っている。自分は子供ながらに、「愛される方が幸せじゃありませんか?」と、とても不思議だった。でも今は、すごく腑に落ちた。《愛されるよりも 愛したい》というこのフレーズは、人間にとって、ものすごく普遍的な事実を歌っているのだと気づかされた。人はどうしようもなく「愛されたい」生き物だけれども、やっぱり、愛されるだけでは駄目で、自分も「愛したい」のだ。きっと、「愛されたい」以上に「愛したい」のだ、ということを感じずにはいられない。それは論理や理屈ではなく、人間の心の奥底から無意識に湧き上がってくるものなのかもしれない。

 「愛とは何か?」という問いに対する十全な答えを持っている人なんて、この世界にいるのだろうか。それは、「生きるとは何か?」「死とは何か?」と同じくらい、永遠に答えの見つからない問いだ。愛について言葉で説明しようとすればするほど、愛そのものからはかけ離れていく。愛とは、永遠に切り取ることのできないドーナツの穴のようなものなのかもしれない。その途方もない、言葉では語り尽くせない、言葉では表現し切れない「愛」を、米津さんは音楽で表現している。ポップソングという、言葉とメロディと音による表現で、愛という言葉にできないもの、でも、愛そのものであり、愛以外の何物にも他ならないものを歌っている。

 人は、完全には分かり合えないからこそ、相手のことを愛おしく思うのではないだろうか。離れているからこそ、距離があるからこそ、相手に思いを馳せ、大切に思うことができる。完全には分かり合えないからこそ、人は人を愛さずにはいられないのではないだろうか。

 相手のことを愛おしく思うからこそ、時に人は相手のことをすべて分かりたい、相手に近づいて同一化したい、と願うのかもしれない。でも、その試みは破綻する。それは、どれほど願っても不可能なことだ。なぜなら、人はそれぞれ別の人間であり、互いに異なるという紛れもない事実があるからだ。人と人とは決してひとつにはなれないのだ。完全に同じ人間なんて、どこにもいない。そもそも、もし人と人との間に距離がなく、互いに100%分かり合うことができたとしたら、人は人を愛することすらできないのではないか、という気がする。互いに100%分かり合えてしまったら、人を愛する時の痛みや寂しさ、切なさにも気づけないのではないか。人は、分かり合えない時、心がすれ違う時、ずっと側にはいられない時、どれほど願っても通じ合えない時、どうしようもなく孤独や悲しみを感じる。それは、痛みであると同時に、美しさでもある。人は互いにどうしても分かり合えない部分があるからこそ、自分とどうしても違う部分があるからこそ、越えられない距離があるからこそ、人を愛することができるのではないだろうか。その距離は、時に人をひどく孤独にし、悲しくさせる。でも、互いの間にある距離を見つめないと、人は愛し合うことすらできないのではないか、ということに、米津さんと米津さんの音楽は気づかせてくれる。

 話は変わるが、そうやって思いを馳せる日々を送るなかで、自分にとってちょっと不思議な巡り合わせを感じる、うれしい出来事があった。3月2日に発売予定の、米津さんと親交のあるTHE ORAL CIGARETTESの山中拓也さんの著書『他がままに生かされて』の帯に、米津さんがコメントを寄せたとのニュースを見て、私はその本にとても興味を持っていた。私はもちろん山中さんやTHE ORAL CIGARETTESを知ってはいたけれど、よくは知らなかった。でも、その本のタイトルから、熱い思いや大切なメッセージが込められた本にちがいないと感じて、ぜひ読んでみたいと思っていた。2月26日金曜日、仕事帰りの電車で山中さんのその本の情報をスマホで調べていると、Twitterで、タワーレコード新宿店の

「【#山中拓也】初フォトエッセイ『他がままに生かされて』サイン本が入荷いたしました。只今より7Fにて販売開始いたします。」

というツイートを発見した。「只今より」という文字を見て私はドキッとした。しかも、それがツイートされた時刻は、わずか3分前だった。発売日前に入荷していることも意外だった。「ここから新宿まで3駅、今だったら間に合うかもしれない。」私は焦る気持ちを抑えながら、心の中で呟いた。「まだ残っていますように。」仕事終わりに輸入食料品店に寄って買い込んだ食べ物とワイン2本の入った袋と、重たい鞄を肩に掛けながら、金曜日で疲れた体にも関わらず、7階にあるタワレコ新宿店のフロアまでエスカレーターを歩いて登る気力が、私にはまだ残っていた。20時の閉店まであと30分ほどのタワーレコード新宿店には、緊急事態宣言による影響なのか、思ったほど人はいなかった。レジカウンターのすぐ側に、山中さんの『他がままに生かされて』のサイン本が並べられており、私は迷わず手に取った。あの時、電車の中であのツイートを見ていなかったら、自分がまさに今手に取っているこの本と出会えなかったかもしれない。ここにも一期一会を感じて、私はすごく嬉しかった。

 私は家に帰ってすぐ、その本を読んだ。そこには、ものすごく前向きで、誠実で、勇気づけてくれる言葉が沢山あった。沢山の短い章の集まりによって構成されたその本には、山中さんが米津さんから受け取った大切な言葉について書かれたページもあって、感動的だった。おふたりの哲学や生き方、自分自身と他者に対する真摯な向き合い方、音楽に対しての熱い思い、そして何より、人間への強い愛に、ものすごく共通するものを感じた。やっぱり、愛がないと、人の心を打つものを生み出すことなどできないのではないか。愛があるから、美しいものを創り出すことができるのではないか。創作には、愛が不可欠なのだということに気づかされた。クリエイションとは、作り手の愛の発露なのかもしれない。

 やらなければならないことがいっぱいある慌ただしい日々の中で、人生において、人はどれくらい愛について考える時間があるのだろうか。自分が与えられている愛や、自分自身の中にある愛に気づかないまま日々を過ごしていくのは、とても味気ない気がする。米津さんの音楽はどんな時でも、聴く人に、愛を伝えてくれている。人を愛さずにはいられない、人間の性に気づかせてくれる。愛が、人間の最も普遍的な事実であるということに。これからも、米津さんの音楽は、聴く人ひとりひとりの人生が、彩り豊かでかけがえのないものなのだ、という大切なことに気づかせてくれるだろう。
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