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米津玄師がみんなを乗せて運ぶ「音楽」という「船」

2019年3月10日・11日『脊椎がオパールになる頃』幕張メッセ公演—記憶の断片

 2019年3月10日。その日は、米津玄師のライヴ『脊椎がオパールになる頃』幕張メッセ公演が開催された日だ。その日、私はスマホの電子チケットを握りしめ、外で寒さと花粉に堪えながら、今か今かと開場を待っていた。入場番号R1の600番台が呼ばれ、私は小走りでだだっ広い会場の中に入っていった。私は真っ先に、花道の方へ向かったのだが、そこはすでに観客が密集していて、背が高くない私にはきつかった。やはり、花道のそばから米津さんを近くで観たい、真ん中でステージ全体を見渡したい、というのが人間の心理なのだと思った。「どうしよう。」とふと前方に目をやった瞬間、最前列がスカスカに空いていることに気づいた。しかも、最前列の一番ステージ寄りの角に女性が1人いて、その隣がなぜかちょうど1人分くらい空いていて、その隣に大学生くらいの男性2人組がいた。私はその1人分の隙間に向かって、スーッと吸い寄せられるように歩き始めた。そこから私がその隙間へ真っしぐらに近づいて行っても、その男性2人組は嫌な顔をせず、そのまま場所を空けておいてくれた。気づいたら、自分は幕張メッセの最前列のめちゃくちゃステージのそばにいた。

 針の穴大、一升瓶サイズ等を経て、ついにほぼ等身大の米津さんを拝める日が来るなんて、感無量だった。きっと、ライヴの座席や入場番号も、ある意味ではバイオリズムと同じなのではないだろうか。ステージからめちゃくちゃ遠い時もあれは、思いがけず近くなったりもする。いい時もあれば悪い時もある人生のバイオリズムと似ている気がする。もちろん、ライヴに行けること自体がありがたいことだけれども。近づいたり離れたり、上がったり下がったりを繰り返しながらも、どこかのタイミングで必ずよくなる時が来る。誰もが、人生において、めちゃくちゃ近い席からライヴを観るチャンスを持っている。だからこそ、ライヴはわくわくするのかもしれない。

 こんな場所から米津さんのパフォーマンスを観る機会はそうそうないので、米津さんの姿をしかとこの目に焼き付けようと、私は意気込んでいた。ライヴが幕を開け米津さんがステージに登場すると、米津さんはやっぱり背が高かった。私の場所からは、米津さんの横顔がずっと見えていた。衝撃的だったのは、”砂の惑星”のパフォーマンスの時に、米津さんが歩いて観客たちの目の前に来てくれたことだ。米津さんの目の前で、カメラマンが撮影していた。あれだけ「しかとこの目に焼き付けよう!」と思っていたのに、いざ目の前に来られると、私は米津さんを凝視できず、米津さんが履いていた鮮やかなレモンイエローのパンツを凝視していた。米津さんは曲の合間合間で、観客たちに目を向けていた。米津さんは、長い前髪で目は隠れていたけれど、確かに観客たちのことをちゃんと見ていた。米津さんは観客のみんなが楽しめているかちゃんと見てくれている、と私は感じた。

 “ピースサイン”の演奏中に、大量のキャノンテープが勢いよくプシューっと頭上高く、絶対に自分の手には届かない高さを飛んで行くのが、スローモーションのように見えたのを、私は今でも覚えている。キャノンテープが飛んで行くのを切なく眺めることしかできなかった前方の観客たちにも、スタッフの方がステージの下に落ちていたテープを一枚ずつ配ってくれたので、幸運にも私ももらうことができた。そのテープをガチャガチャのカプセルに入れて、今でも大切にしまってある。

 その日は米津さんの28歳のお誕生日だったので、私は何かあるんじゃないかとわくわくしていた。すると案の定、米津さんがバック・ステージにはけたタイミングで、スタッフの方々が用意した、LEDのろうそくが立てられたお花バースデー・ケーキがステージへと運ばれてきた。米津さんがステージに戻ってきたタイミングで、観客たちみんなでハッピー・バースデーを歌った。その光景を、米津さんは笑顔で、すごく嬉しそうに眺めていて、何だか妖精みたいに見えた。「よくできたファンだこと。」と米津さんが呟いたのを、私は今も覚えている。

 『脊椎がオパールになる頃』幕張メッセ2日目、私はR3の一番後ろにいた。そこからは、さすがに米津さんを肉眼で確認することはできず、私はモニター越しに米津さんのパフォーマンスを観ていた。前日はあんなに近くで米津さんを観ることができ、なおかつ米津さんのお誕生日祝いに意識がすべて持って行かれてしまい、めちゃくちゃ楽しかったけれど、夢心地すぎて、記憶がピンポイントでしかない。だから、2日目は落ち着いて、米津さんの歌声や言葉にじっくりと耳を傾けることができた。2日目で特に印象的だったのは、ライヴ終盤での米津さんのMCだ。米津さんは10分以上に渡り、自身の思いを、オーディエンスの1人1人に、自分の音楽を聴いてくれる人たち1人1人に、丁寧に語りかけてくれていた。

 米津さんは、「誰一人この船から落としたくない」と言う。それと同時に、「それはどだい不可能なことだと分かっている」、「でもやりたいんだからしかたがない」とも言う。「誰一人落とさない船」とは、言い換えると「普遍的なもの」になるのではないだろうか。「普遍的」とは、「全ての人に当てはまる」という意味だから。でも、人はそれぞれ別の人間で異なる以上、「全ての人に当てはまる」ものなんて、「ない」に等しい。様々な異なる人間たちが共感することのできる、共通する何かを見つけ出し、それを形にするのは、きっと、針の穴をその10000分の1くらい小さくした穴の中に糸を通すくらい難しいことだ。米津さんは、その「どだい不可能な」ことを、ポップ・ソングという普遍的な表現方法によってやろうとしているのだ。米津さんの言う「船」とは、きっと、自身が創り出す「音楽」のことではないだろうか。不可能なことを不可能だと諦めてしまったら、前に進むことはできない。不可能なことを不可能だと認める謙虚さは持ちつつも、それでもやろうとする心意気がなければ、万人の心を打つ音楽を生み出すことなどできないのではないか。そして、誰一人船から落とさないように、普遍性と真摯に向き合おうとするそのこと自体が、誰かをすくう(救う/掬う)ことに繋がっているのだと感じる。米津さんの言う「船」とは、一見抽象的に思われるが、実は、「音楽」という、ものすごく具体的なものを指しているのではないかと、私は思う。

 記憶とは無責任なもので、時間が経てば経つほど朧げになり、どんどん形を変えて行ってしまう。覚えていたいのに、どんどん忘れていってしまう。また、知らないうちに余計なものを足したりもしてしまう。記憶とは完全じゃないからこそ、儚くて大切でもある。今こうして2年前の米津さんのライヴについて書いている間も、年を重ねるごとに、自分があの瞬間の大切な記憶をどれほど失っていってしまっているのかに気づく。それはとても寂しく、悲しいことだ。でも、それと同時に、自分にとって大切なことは、時間が経っても、心の中に記憶の断片としてちゃんと残っていることにも気づく。時の流れとともに忘れていく中で、それでも忘れない何かがちゃんとある。私がこうして文章にしているのは、忘れたくないことを忘れないためなのかも知れない。
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