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『 椿の赤、心の様 』

—新感覚派としてのカネコアヤノ—

 寒さが和らぐちょうど今頃の季節、ポケットから手を出し、うつむきがちに歩いていた視線をあげてみると、家々の軒先に咲く椿の赤の色鮮やさにおどろくことがある。

 四月にカネコアヤノの新作『よすが』が発表される。今作に収録予定の既発曲「爛漫」は、椿について印象的に歌った作品だ。この曲は彼女の曲のなかでも特異な魅力を放つ作品でありながら、同時に彼女の音楽の魅力を端的に伝える曲のひとつでもあると思う。

 彼女の作詞というのは押し並べて、「よくわからないけど確かにわかる」とでもいえるようなもので、「理解」よりも先に「感覚」に訴えてくるような不思議な力をもっている。それは、「爛漫」においては《自暴自棄よりも早く走るしか 明るい部屋はないんだよ》という一節にみてとれるものだ。
 比喩に比喩を重ねたようなこの一節が、あいまいなものとしてではなく、むしろ痛いほど確かな感触をともなって聴くものの耳に響くのは、特にこの曲が「抽象」と「具象」という、「相反するものの間(あわい)」を描き切っているからではないだろうか。


 《こないだ夜道をあるいていた
  発光してる 赤いみのり
  熱でうなされて見た夢は
  東京の空 ピノキオの星》


 という歌い出しにも、このように「夢と現」あるいは「架空と現実」という「抽象と具象」の相反が歌われている。
 そして、この曲のもつ特異さは、こうした「抽象と具象」を描くことで、「相反」するもののあわいを行き来していながらにして、そこにはっきりとした命題を照らし出しているという点にこそある。
 その命題とは、繰り返される主旋律で歌われる「相反」にあるように思う。


 《お前は知るのか
  季節の終わりに散る椿の美しさを
  身体が火照るような赤、赤、赤い色
  ぼくの心の様》


 ここでは《お前》と《ぼく》が「相反するもの」として歌われている。それはすなわち、「散りゆくもの」と「生きているもの」の相反のことだ。そして「爛漫」の命題とはつまり、その相反から「生を見つける」ことにあるのではないだろうか。

 「爛漫」における「生」は、たとえば「輝く朝日」のような活力に満ちたものではなく、「夜道に散っていく椿」という、むしろその相反へと移ろっていくものによって認められる。そして、その命題は、散りゆく花びらの《赤い色》を《ぼくの心の様》に重ね合わせることによって取り出されているのだ。
 したがって、この曲は「生きている」ことについて歌うために、ほとんど不可避的に「生きていない」状態についても歌っているのだということもできる。



 ところで、「相反するふたつの事柄のあいだを行き来する」というのがカネコアヤノの音楽の特徴であるとするなら、それは川端康成をはじめとする、いわゆる「新感覚派」の文学に通じるものがあるといえる。
 川端はこのように「新感覚派」を説明する。

 《これまでは、眼と薔薇とを二つのものとして「私の眼は赤い薔薇を見た。」と書いたとすれば、新進作家は眼と薔薇とを一つにして、「私の眼が赤い薔薇だ。」と書く》
(「新しい感覚」『新進作家の新傾向解説』)

 この特徴は、有名な『雪国』の冒頭などにも顕著だ。そして、この記述はそのままカネコアヤノの作詩を説明するものにもなりうるのではないだろうか。
 それは「爛漫」においては、《ぼくの心の様》という一節が、「ぼくの心のようだ」という直喩ではなく、それよりもさらに対象と同化することを要求する「様(さま)」という言葉によって、「ぼくの心」と「椿の赤」をひとつのものにしているという点に顕著であるといえる。

 カネコアヤノの音楽を聴くと、川端の小説を読んだあとと同じように、やるせなさや儚さを感じることがある。ただし、彼女の音楽には常に、その儚さの先に、生きることを希求し、自分を律しようとする強い意思がある。それは「爛漫」にも、たとえば同じく新作に収録される「閃きは彼方」にもみなぎるものだ。


 軒先に咲く椿は美しい。近づいてみると、とても自然のものとは思えないほどの完璧な造形で咲いていることがよくわかる。しかし、その足下には必ず無数の花びらが落ちている。冬に咲き、春を待たず、まるで生きているかのように完璧な造形のまま落ちているのだ。その様は見るものに、「生きているもの」と「そうでないもの」の違いとは一体何なのかと問うているかのようでもある。

 幾時代もの人々が感じてきたように、カネコアヤノも、夜道に落ちた真っ赤な椿の花に、無常を見たのかもしれない。
 それでも彼女は、「落ちていく花びら」と「心の様」を《赤い色》という媒体で結び付け、ひとつのものとして歌うことで、去りゆくものを自分のなかに生かそうとする。


  《生まれてしまった そのせいで
   ぼくにはできる お前を守る》


 というのは、去りゆくものへの祈りであり、生きているものとしての決意でもあるように聴こえる。だから「爛漫」に宿る静かな熱とは、生きている人間を流れる血潮のあたたかさによく似ている。
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