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「夢は終わった」と唄ったジョン・レノンの影響力

時代の終焉を想わせる1975年とロスト・ウィークエンド

1970年代ジョン・レノンの"ロスト・ウィークエンド"の時期、関わりのあったリンゴ・スターのアルバムを聴いている。

リンゴ・スターの1973年作品「RINGO」には、元ビートルズのジョンにポールにジョージが参加しているという話題がある。その何処かが強く「ビートルズ」を意識し彷彿とさせるわけでもないのに、それでもこれは誇らしい名作だと思える。楽しげに作った雰囲気が伝わってくるからかもしれない。多くの有名人が集った「ロックスター」の饗宴。

リンゴ・スターを「ロックスター」に仕立てプロデュースしたのはリチャード・ペリーという人だ。彼はその数年前はニルソンのアルバムを2作続けて手掛けていた。さらにさかのぼると1970年にリンゴが唄った"Sentimental Journey"の編曲はリチャード・ペリーだ。また、人脈を探ると面白いことが見つかる。リチャード・ペリーのプロデュースという繋がりでみれば「RINGO」のアルバムに参加しているのが、かつてモータウンソウルの名歌手マーサ・リーヴス(マーサ&ザ・ヴァンデラス)である。
彼女のソロ初作品74年の「Martha Reeves」はリチャード・ペリーのプロデュースであるだけでなく、この時期の"ロスト・ウィークエンド"周辺のバンドメンバー、ジム・ケルトナーにクラウス・フォアマン、トレヴァー・ローレンスらが協力しているのだった。その制作費は実に25万ドルもかけられたらしい。それだけの期待があったのだろう。リンゴ・スターの「RINGO」も同じように制作費をかけて作られたものだと思う。豪華メンバーが参加しているだけでなく、レコードジャケットから、付属のブックレット、クラウス・フォアマンによるイラストまで、凝った作りになっている「RINGO」。「Martha Reeves」とは、多種のソングライターの作品が取り上げられているという点でも共通する。

「Martha Reeves」のアルバムのなかでも注目するのはジミー・クリフの"Many Rivers To Cross"のカバーがあることだろう。リンゴ経由リチャード・ペリー繋がりマーサ経由で、ここから後ハリー・ニルソンが彼のアルバム「PUSSY CATS」で"Many Rivers To Cross"を取り上げて唄った経緯も想像がつく。またそのあとの75年、リンダ・ロンシュタットがアルバム「Prisoner In Disguise(哀しみのプリズナー)」のなかでこの曲を唄っているが、これも繋がりかもしれない。このアルバム内では1960年代マーサ&ザ・ヴァンデラスの代表曲"Heat Wave"もカバーしているのだから、明らかにリンダ・ロンシュタットはマーサ・リーヴスの74年作品にインスパイアされたのだろう。

また繋がりで考えていくと、リンゴ・スターのアルバム「Goodnight Vienna」で唄われていた"No No Song"はハリー・ニルソンがバックヴォーカルで活躍する楽しいトロピカルサウンドの作品だったが、その作者であるHoyt Axton(ホイト・アクストン)がマーサ・リーヴスのアルバムにも曲提供し演奏でも参加しているというところを見つけることもできる。

そして見落としがちなところ、1970年代のリンゴのアルバムでは、フィル・スペクターのソングライターとしても活動していたヴィニ・ポンシアという人が、曲の共作者で関わっているのだった。彼は70年代ポップスのプロデューサーとしても活躍しているが、かつて60年代はアンダース&ポンシアのコンビでアメリカンポップスのヒット曲を作った人だ。彼ら自身のシンガーソングライターアルバム、1969年に発表した「The Anders & Poncia Album」という作品がある。さかのぼれば、これもリチャード・ペリーがプロデュースしていたのだった。
このアルバムには60年代オールドタイムポップスの完成された世界観がある。それはニルソンが60年代にやっていたこととも通じる。哀愁も漂い内省的な雰囲気もある。そのなかでもとりわけ楽しい曲は"Make A Chance(To Something Better)"だと思う。ビートルズの"オブ・ラ・ディ、オブ・ラ・ダ"みたいなスカのビートが心地いい。ニルソンもきっとこれを聴いていたと思う。
ニルソンが70年代にリチャード・ペリーを自身の作品のプロデュースに起用したのも実はかつてのフィル・スペクター繋がりで、同じくソングライターだったアンダース&ポンシアへの意識かもしれないと思った(実際はタイニー・ティム作品からの繋がりという事らしい)。人脈を見ていると気になるところは際限ない。

話題作「RINGO」に続くリンゴ・スターのアルバム74年の「Goodnight Vienna」ではまたもジョン・レノンが参加し、豪華メンバーが協力しているからリンゴは人望が厚い。彼の音楽人生はまさにビートルズの名曲"With A Little Help From My Friend"と同じだとよくいわれているが、それは現代2000年代になっても続いてきているから友情の広さ、持続力も凄いものだ。
「Goodnight Vienna」は前作「RINGO」とは少し変わって、どことなく派手さや弾けたところが抑えられた気はする。しかし良い曲、見逃せない音楽は少なくない。曲中で、ひとつ気になるところはアメリカの奇才ヴァン・ダイク・パークスがかつて1972年に自身のアルバムで取り上げていたアラン・トゥーサンの作品"Occapella"をリンゴが唄っていることだった。これはニューオーリンズの歌手リー・ドーシーの歌として知られる。そういえばジョン・レノンはこの同じ時に自身のアルバムで、リー・ドーシーの歌、"Ya Ya"を取り上げていなかったかと気づく(実際にはカバーしたのも事情がある)。ジョン・レノンのインタビューでリー・ドーシーの"Everything I Do Gonh Be Funky"という曲が話に出てきたこともあったと思う。

1960年代から活動しているリー・ドーシーは70年代にあまり作品を残していないが、アラン・トゥーサンとミーターズの仕事としても知られる1970年作品「Yes We Can」を、当時のロックミュージシャンたちがみんな注目して聴いていたかもしれないと想像してみる。実際にザ・バンドのロビー・ロバートソンの自伝(TESTIMONY)を読んでいるとその記述を発見する。

思うとジョン・レノンやリンゴ・スター、ハリー・ニルソンらのオールディーズ回帰志向の当時のサウンドでは、「ロックンロール」の性質に滲むニューオーリンズサウンドをどこかで意識していたのだろうか。同じ頃にポール・マッカートニーがアラン・トゥーサンの設立したシー・セイントスタジオで録音していた事も思い出す。75年のウイングスのアルバム「Venus And Mars」でのホーンアレンジの重厚な響きはニューオーリンズ風味だ。ビートルズの"Oh! Darling"を引き合いに出すように印象的な熱唱を効かせるポールの"Call Me Back Again"。これもいわば古き佳きロックンロールのソウルバラードの風体だが、そのうえでニューオーリンズサウンドの再びの流行と回帰傾向は、その時期のロックのキーワードではなかったのか。

ポールのバンド、ウイングスの1975年作品「Venus And Mars」はファンキーな時代を意識しつつ、ビートルズ時代のコンセプトアルバムのように素晴らしい傑作だ。バンドとしての演奏の完成度、洗練されたコーラスハーモニーも波のように押し寄せてきて美しい。
聴いていてまたひとつ気になった。ニューオーリンズ風ファンクの分厚いヘヴィーサウンドが効いているウイングスの"Letting Go"は、かつてジョン・レノンが71年にポールを攻撃した曲"How Do You Sleep ?"のダウンテンポなファンクサウンドととても似ていると思う。ユーモアとウィットだ。こういう遊び心がポール・マッカートニーだと思う。
ポールはビートルズ解散後、ウイングスとして活動し成功したけれども、ロックミュージックに関わる者としての疲弊を感じてはいなかっただろうか。この時期は彼も、ビートルズ時代にも、ジョンに対してもノスタルジックだったかもしれない。だからこそウイングス時代のビートルズ風コンセプトアルバムへの再挑戦とジョン・レノンに向ける度々の音楽メッセージなのだろう。ビートルズ解散以後この時期にジョンとポールがスタジオで唄ったラフなセッション音源が残されている。


ロックミュージシャンが1970年代にニューオーリンズのアラン・トゥーサンと関わるきっかけでその舵取りになったのは、たとえばリトル・フィートやザ・バンドといった影響力を持つ話題のバンドだったのだろうか。ここではザ・バンド当時の傾向としてのニューオーリンズサウンドの影響かもしれないと考えてみている。リンゴ・スターのアルバムにはザ・バンドのメンバーが実際に参加しているところもあるし、1973年の作品「RINGO」での演奏と音の響きはザ・バンドを意識しているとも受けられるだろう。ここでいま思い出しているのは、同じ73年の作品でザ・バンドのオールドタイムロックンロール回帰アルバム「Moondog Matinee」の作風と抜けのいい音響だ。ザ・バンドがオールディーズの感覚に戻った意味は何だろう。同じ響きを見いだすなら、「RINGO」と「Moondog Matinee」は通じるかもしれない。
そしてリンゴ・スターだけでなくあるいはそこに関わっていたジョン・レノンも、ザ・バンドの方向性に影響を受けていたと考えてみる。そうすると素直にジョン・レノン作品「ROCK "N" ROLL」の雰囲気が、後々どういう感覚で作成されていったのか想像できるともいえないだろうか。
オールディーズの黄金時代人、フィル・スペクターの影響によるオールディーズポップス、ロックンロールへのジョンの回想、とは別面の、ザ・バンド経由のロックンロールルーツへの回帰。ザ・バンドもリー・ドーシーによるアラン・トゥーサン作品"Holy Cow"を取り上げていたという共通点はある。なおこの時のザ・バンドによるエルヴィス・プレスリー(ジュニア・パーカー)のカバー曲"Mystery Train"のサウンドが74年のローリング・ストーンズ"Fingerprint File"の曲想に影響を及ぼしているのは見逃せないと思う。

60年代後期から時代の潮流ともなったルーツロックバンド、アメリカのザ・バンドを、同時代のローリング・ストーンズやビートルズの面々が意識していたというのも当然だが、ジョン・レノンとザ・バンドとの接点は、録音としてはリンゴ・スターのアルバム以外ではあまり見いだしにくい。そう思っていたが、実は交流関係がないようにみえて「Moondog Matinee」とジョンの「ROCK "N" ROLL」には通じるところがあると思って聴いている。ザ・バンドのロビー・ロバートソンの自伝には、73年にジョン・レノンと会って、制作中の「ロックンロール」の話をしたとあるから、ジョンもザ・バンドを意識したと思う。


思うにジョン・レノンと同じように、時代を生きたザ・バンドも「ロックンロール」に関わる生活の犠牲を払っていたのだろう。ちょうど同じ時期、音楽共同体としては破綻していたザ・バンドは、彼ら自身の"ロスト・ウィークエンド"を過ごしていたかもしれない。だからこそ彼ら自身のバンドの初心とルーツに立ち返るためのカバー曲集「Moondog Matinee」の制作だったのだろう。そうしたのち、ザ・バンドがバンドとしてほとんど最後に取り組んだ作品は1975年の「Northern Lights , Sourthern Cross(南十字星)」だった。ここでの演奏は今までになく洗練された響きをもって充実しているが、しかし聞こえる音楽のムードは翳りを描いているように思える。そしてこれを完成させたザ・バンドは解散に向かっていくのだった。この時期はいわゆるロックの、熱狂のあとの時代の終焉を想わせる作品が多い。

ロック時代の破綻とは裏腹に音楽の傾向には、再起的なニューオーリンズサウンドの流行とファンキーミュージックの浸透がある。74年辺りからジョン・レノンとハリー・ニルソン、リンゴ・スターのアルバムにも、音楽に演奏にサックスなど管楽器の導入によるファンキーな要素がみられるが、彼らの連なる作品のホーンサウンドの、その共通する人物と言えるのはボビー・キーズ、トレヴァー・ローレンスという人たちだ。そのボビー・キーズはローリング・ストーンズのホーンセクションの一人として有名だろう。
話が腰折れするが、ここで気になるところがある。レノンとニルソンと、彼らがホーンセクションを導入するその一方では、同じ74年からのローリング・ストーンズのアルバムに管楽器の演奏が入らないようになっていくのだった。まるで移し代えられたかのように、というと大げさだが、この対比はどういうことなんだろうと思う。74年以降75年辺りからのストーンズのギタリスト交代。ミック・テイラーに代わる新しいメンバー、ロン・ウッドが加わったストーンズはギターロックンロールバンドになっていくという面はある。その転換期を考えると、そこにはまだロン・ウッドがいないにせよ、きっかけは74年作品の「It's Only Rock 'N' Roll」だろう。ここにはまったく自然にもきっぱり、あのファンキーだったストーンズのホーンサウンドが消えている。これからのストーンズが取り組んでいくのはギターとキーボード中心による演奏だった。ギターバンドとしてシンプルにサウンドを追究しようと試みたのか、それともホーンサウンドには飽きたのか、流行にも敏感でブラックミュージックに長けている彼らがニューオーリンズの旬なファンキーブラスサウンドには目もくれず、あくまでバンドの生み出すグルーヴとギターサウンド追究の道を選んだ。ストーンズが次の時代に向けて潔さをもっていたのだと感じる一端だと思う。
「It's Only Rock 'N' Roll」でのストーンズの音の響きは明るいものが多いだけに、やはりタイトル通りの「ロックンロール」のアルバムだと捉えるのも自然だ。けれども何度も何度も聴いてみて感じている。音楽の所々に潜むのは7番街裏通りの哀しみか。そして何処かで夢の終わりを滲ませる雰囲気がある。ストーンズが単に分かりやすく「ロックンロール」をやろうとしただけではない異種混合のエキゾチシズムも節々に染み出ている。アルバムには、ストーンズにしては初めてのレゲエ風ブルービート、あるいはカリビアン風なサウンドによる"Luxury"という曲想もある。音楽のムードは明るいが、歌詞に描かれる、家族を養うため必死に働く男の悲哀は切ないと思う。これを「ロックスター」であるミック・ジャガーが唄うことの皮肉な視点は見逃がせない。
またミック・テイラーのギターソロの名演として知られる"Time Waits For No One"の作風は一転してストーンズらしからぬ異色のフュージョンラテンサウンドだが、ミック・ジャガーの描く無常感漂う詩世界は、ジョン・レノンと同じ、悟りの境地のような感覚だと思ってしまう。ストーンズの歌詞を見直すと実は深いところもあるのかもしれない。
このアルバムの"Till The Next Goodbye"の歌詞にある「watching the snow swirl around your hair and around your feet and I'm thinking to myself she surely looks a treat」の表現は詩的にも美しいと思う。(舞い散る雪がきみの髪に、きみのあしもとに落ちるのを見て、俺は彼女の美しさを想った)。
(誤訳かもしれません)

考えてみると、「It's Only Rock 'N' Roll」に滲む雰囲気が、実相を描くとするならば、それはギタリスト、ミック・テイラー脱退の予兆と、ドラッグ問題によるキース・リチャーズの不安要素、バンド存続の翳りか。だからこそミック・ジャガーはこの時期にソロ活動を視野に入れて、ジョン・レノンプロデュースによる"Too Many Cooks"を録音した。ストーンズもまた、この同じときに時代の終わりを意識したかもしれないが、多くのミュージシャンが停滞していく時節にも、彼らは流行を踏まえ、転石苔を生ぜずと、時代にうまく乗ってゆくのだろう。70年代ストーンズは勢いを止めることなく駄作もないといえる。


ハリー・ニルソンの話に戻りたい。
ニルソンの音楽の1975年辺りにはカリビアンミュージックへの傾向が幾つもでてくるが、それは協力したヴァン・ダイク・パークスの音楽性からの参考かもしれない。ヴァン・ダイク人脈からスティールパン奏者ロバート・グリニッジの参加もある。70年代にはカリプソに入れ込んでいたヴァン・ダイク・パークスだ。そして彼の、音楽による批評精神。ニルソンが同じくカリビアンサウンドを導入した意味を深めていくのもいい。ニルソンは60年代からのロスアンジェルスポップ、バーバンクサウンドの精神を持ち続けた人だと思う。同じくその界隈の重要人物はプロデューサーであるレニー・ワロンカー、ソングライターであるランディ・ニューマン、サウンドメイカーであるヴァン・ダイク・パークスだったと言われている。彼らが1960年代ロックとサイケデリックが主流の時代に、堂々と取り組んでいた古き佳き音楽の再現は時代への単純な懐古趣味ではなかったのだろう。音楽が溢れるように存在する現代では、これらの意味は伝わりにくいのかもしれない。
しかしノスタルジックに伝わる音楽性のなか、その顕し方にはロックの時代を反映した別の実現性があったのだと思う。完成されすぎるよりも綻びあるほうがスリリングだ。美しく壊れ、乱雑にも調和する。これが「ロック」の影響力かもしれない。ハリー・ニルソンが「ロック」に憧れを抱いていたにせよ、彼自身の音楽は、いまだアメリカンポピュラー音楽、ティン・パン・アレーの伝統に根差していただろう。70年代におけるニルソンのその表現法は完成より未完成でさらに分裂気味にも取れるが、それ自体が夢の終わりを体現していたのだと想うと、これはそのままその通りの儚さとして受け取るべきものなのかもしれない。

また、ヴァン・ダイク・パークス自身のアルバム75年の「Clang Of The Yankee Reaper」は当時のジョン・レノンから続くニルソン人脈のミュージシャンが協力したものでもある。ジム・ケルトナー、クラウス・フォアマン、ジェシ・エド・デイヴィス、ボビー・キーズが居るし、ニルソンのアルバムで活躍したトレヴァー・ローレンスがここでは編曲を担当しているのだった。
音楽を聴くかぎり華やかさも感じられるが同時の言い知れない哀しみもあるような気がする。祭りの後の侘しさ。あるいは祭りのさなかに在る静寂。美しさに翳りを読み取るのはかなしいものだ。ヴァン・ダイク・パークスもこの時期にドラッグの問題を抱えていたらしい。実はこれも夢の終わりを告げる"ロスト・ウィークエンド"の産物といっていいかもしれない。そんなことは感じさせもしない陽気なサウンドの「Clang Of The Yankee Reaper」の音楽が、やけに現代的な音使いをしているのは気になる。カリビアンミュージックをいなたい感触に聞かせることなく、そのリズム感覚は70年代流行のファンキーなグルーヴだといってもいい。ジム・ケルトナーのドラムも冴えているし、存在感あるクラウス・フォアマンのベースも渋い。そして多用されるシンセサイザーの音色に70年代中期のモダンポップを想ってしまう。 カリプソ音楽はエキゾチックだという印象だった前作「Discover America」からここに来ての変化は、ブラックミュージックであるカリプソの強靭さを印象付ける意図もあったのかもしれない。
ヴァン・ダイク・パークスは元々多作の人ではないが、このアルバムから次の自身の作品まで8年のブランクがあるのだった。

ジョン・レノンの話とは遠のいていってしまった。もしも1970年代の"ロスト・ウィークエンド"というところの続きで関係性を見いだしていくのなら、ジョン・レノンが1980年の復帰作「ダブル・ファンタジー」で何故にスティールパン奏者ロバート・グリニッジを連れてきたのかというところは、ヴァン・ダイク・パークスとの又々の関係から繋がっていると想像してしまうのは安易かもしれない。しかし「ダブル・ファンタジー」の音楽にもカリビアンフレーバーはあるだろう。ジョンもヴァン・ダイク・パークスを聴いていただろうか。
ジョンが5年の活動休止を経てもう一度初めからやり直す音楽にも、実は以前からのしっかりとした音楽性の繋がりがあったのだと思う。話がこじつけかもしれない。


ジョン・レノンがビートルズの後に「夢は終わった」と言った。そのひと言は、ポップミュージック、ロックに携わる人たちに重いものを受け止めさせてしまったかもしれない。「ジョン・レノン」には、彼自身にも思い及ばぬ影響力があったと考えてみれば、ジョンが"ロスト・ウィークエンド"で夢の終わりを感じていた時、同じように時代を生きた歌手や音楽家たちがその方向を見つめ、夢の終わりを体現していたのは興味深いと思う。
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