ザ・ハイロウズのレコードを聴く休日
「何かをしなければならない」という固定概念の行方
2017年5月30日
23
THE ↑HIGH-LOWS↓ 「休日は何してるの?」
よく聞かれる質問である。
休日何をしているか、というのは、その人の人柄を知るのに有効な質問だ。
僕は考える。休日何してるんだろう。
せっかくの休日を無駄に過ごしてはいけない、という感覚を誰もが持っている。お昼頃までぐっすりと寝て、部屋でダラダラしていると、「こんなことでいいのか?」と、もう一人の自分が問う。
大人にとって、「何もしない休日」というのは、逆にストレスに繋がることもある。
さて、ザ・ハイロウズが歌う「プール帰り」という曲がある。
西陽が強い夏の夕方にぴったりな、隠れた名曲だ。
「プールの帰り アイスクリーム
青空の下 はしゃぎすぎてる」
「泳ぎつかれた 風が吹いてる
西陽がつよい もう少し遊ぼう」
子供の頃の夏休み。それは永遠に続くような時間だった。
お母さんがつくった焼きそばを食べていると、決まって友達が誘いに来る。真っ黒に日焼けした友達は自転車に乗りながら、遊びに行こうよ、なんて言う。
カブトムシをとりに行ったり、河川敷で野球をしたり、陽射しがどれだけ強くても、どれだけ汗をかいても、どれだけ転んで泥だらけになっても、先生にも怒られない。
僕が育った街には、小さな市民プールがあった。入場料は子供50円。田舎町の古いそのプールは山の中にあって、ほとんど人がいない。
蝉がしゃんしゃんと大きく鳴いていて、薄汚い更衣室は蛍光灯もまともに点いていなかった。監視員はたった一人の老人で、僕たちがプールに飛び込んで遊んでいると、「危ないからやめろ!」と激怒する。プールには誰一人いないのに。
水面に浮かびながら見上げる夏の青空は、とても濃い水色で、入道雲は僕たちを捕まえようとする大男のようだった。僕たちは夏の太陽に黒焦げにされながら、どれだけ潜っていられるかを勝負したりした。
「鳴ってる踏切り くぐりぬけたら
アイスクリーム 落としちゃったよ
みんな笑ってる」
「プール帰り」を聴いていると、あの頃の夏休みの情景が目に浮かび、ノスタルジックな気分になる。ゆったりとしたリズムは、懐かしい夏休みを思い出させるし、なぜか涙腺を緩ませる。
そうだ。子供の頃は「何かをしなければならない」と考える必要がなかったのだ。
ザ・ハイロウズの音楽というのは、前向きで元気であるというのが一般的なイメージである。「月光陽光」では、「今だけが生きてる時間 なのになぜ待っているのだ」と歌うし、「フルコート」では「待ってたんじゃダメなんだよ」と歌う。
しかし、「プール帰り」という曲は、決してそうではない。
子供の頃の夏休みを思い出すような歌詞が続いた後、曲は後半に続く。
「今夜も明日も 何もないから
100%くつろげるんだ
背中をのばそう」
人生は短い。時間を有効に使わなければならない。ダラダラしている時間は無い。そんな言葉って、いつから脳みそに植え付けられたんだろう。
「眠くなったら 眠ればいいし
腹が減ったら 何か食べよう
どうにでもなるよ」
よくよく考えてみれば、僕の脳内は固定概念に縛られている。ごはんは朝昼晩に食べなければならない。夜は眠らなければならない。休日は何かしなければならない。
果たして本当にそうなんだろうか。
最後の「どうにでもなるよ」というヒロトの歌声が優しい。
「おととい買った レコードを聴こう
ねころがりながら ダラダラしながら」
僕はダラダラと寝転がりながらザ・ハイロウズのレコードを聴いている。
そうだ。それだけでも十分充実した休日なのだ。
もうすぐ夏が来る。
あの市民プール、久しぶりに行ってみよう。
ame
よく聞かれる質問である。
休日何をしているか、というのは、その人の人柄を知るのに有効な質問だ。
僕は考える。休日何してるんだろう。
せっかくの休日を無駄に過ごしてはいけない、という感覚を誰もが持っている。お昼頃までぐっすりと寝て、部屋でダラダラしていると、「こんなことでいいのか?」と、もう一人の自分が問う。
大人にとって、「何もしない休日」というのは、逆にストレスに繋がることもある。
さて、ザ・ハイロウズが歌う「プール帰り」という曲がある。
西陽が強い夏の夕方にぴったりな、隠れた名曲だ。
「プールの帰り アイスクリーム
青空の下 はしゃぎすぎてる」
「泳ぎつかれた 風が吹いてる
西陽がつよい もう少し遊ぼう」
子供の頃の夏休み。それは永遠に続くような時間だった。
お母さんがつくった焼きそばを食べていると、決まって友達が誘いに来る。真っ黒に日焼けした友達は自転車に乗りながら、遊びに行こうよ、なんて言う。
カブトムシをとりに行ったり、河川敷で野球をしたり、陽射しがどれだけ強くても、どれだけ汗をかいても、どれだけ転んで泥だらけになっても、先生にも怒られない。
僕が育った街には、小さな市民プールがあった。入場料は子供50円。田舎町の古いそのプールは山の中にあって、ほとんど人がいない。
蝉がしゃんしゃんと大きく鳴いていて、薄汚い更衣室は蛍光灯もまともに点いていなかった。監視員はたった一人の老人で、僕たちがプールに飛び込んで遊んでいると、「危ないからやめろ!」と激怒する。プールには誰一人いないのに。
水面に浮かびながら見上げる夏の青空は、とても濃い水色で、入道雲は僕たちを捕まえようとする大男のようだった。僕たちは夏の太陽に黒焦げにされながら、どれだけ潜っていられるかを勝負したりした。
「鳴ってる踏切り くぐりぬけたら
アイスクリーム 落としちゃったよ
みんな笑ってる」
「プール帰り」を聴いていると、あの頃の夏休みの情景が目に浮かび、ノスタルジックな気分になる。ゆったりとしたリズムは、懐かしい夏休みを思い出させるし、なぜか涙腺を緩ませる。
そうだ。子供の頃は「何かをしなければならない」と考える必要がなかったのだ。
ザ・ハイロウズの音楽というのは、前向きで元気であるというのが一般的なイメージである。「月光陽光」では、「今だけが生きてる時間 なのになぜ待っているのだ」と歌うし、「フルコート」では「待ってたんじゃダメなんだよ」と歌う。
しかし、「プール帰り」という曲は、決してそうではない。
子供の頃の夏休みを思い出すような歌詞が続いた後、曲は後半に続く。
「今夜も明日も 何もないから
100%くつろげるんだ
背中をのばそう」
人生は短い。時間を有効に使わなければならない。ダラダラしている時間は無い。そんな言葉って、いつから脳みそに植え付けられたんだろう。
「眠くなったら 眠ればいいし
腹が減ったら 何か食べよう
どうにでもなるよ」
よくよく考えてみれば、僕の脳内は固定概念に縛られている。ごはんは朝昼晩に食べなければならない。夜は眠らなければならない。休日は何かしなければならない。
果たして本当にそうなんだろうか。
最後の「どうにでもなるよ」というヒロトの歌声が優しい。
「おととい買った レコードを聴こう
ねころがりながら ダラダラしながら」
僕はダラダラと寝転がりながらザ・ハイロウズのレコードを聴いている。
そうだ。それだけでも十分充実した休日なのだ。
もうすぐ夏が来る。
あの市民プール、久しぶりに行ってみよう。
ame
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