4673 件掲載中 月間賞毎月10日発表
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

過去と現在と未来を結び続ける桜の花

BUMP OF CHIKIN"pinkie"と私

「未来の私が笑ってなくても あなたとの今を覚えてて欲しい」
─pinkie



四年前、私の人生が変わった。
たしか、藤くんの誕生日の3日前くらいのことだと思う。



突然だが、私ははじめて救急車に乗った。

その日の一日のことは、朝から晩まで全部鮮明に覚えている。
残酷な出来事ほどリアルに覚えている。
楽しかった記憶はどんどん消えていくのに、苦しいことは目の前で色彩豊かに描かれていくのは、なんとも人間の不思議だ。


その日、朝起きて、なんか哀しそうな曇り空だったこと。
洗濯ものを外に干したけど、やっぱりすぐに雨降りになりそうなので出かける前に考え直して室内に入れたこと。
そして、桜が散り際だったこと。
今にも空が泣きだしそうで、傘が必要だったこと。

それから、夏にとある高原に行く為に母にトレッキングシューズをプレゼントしてもらったこと。
お気に入りのファミレスで父母私でパスタランチしたこと。
いつかあの高原に泊まりで行こうね、このシューズでって約束したこと。
そのためにも、って近所の有名な公園にちょっとの時間だけ散り際の桜を見ながら散歩したこと。
雨が降ってたのに迂闊な私は傘を忘れて、母と相合傘であるいたこと。
人生で最後の母との相合傘になったこと。



どんな天気だったかもどんな表情だったかもどんな気持ちだったかも、私は今でも鮮明に覚えている。
鮮明過ぎて、脳内を映画化できたらどんなにリアルだろうと思うくらいだ。

そう、すごく元気だった。
私も、彼女も、夕刻までは。


夕飯の時効、母はちょっと疲れてるから今日はごはんつくらないでもいい?といった。
勿論いいよ、といったし、まれにある事だったし、その日は出来合いのお寿司で済ませた。
別に普通のことだった。

おいしくもまずくもない、普通のお寿司と普通のビールで夕飯にした。
私はさっさと自室に戻っていつもどおりぐだぐだしていた。
何も変わらない普通の日曜日だったのに、全部覚えている。

そして藤くんの誕生日(4月12日)が近いのでお祝いのイラストを描かなきゃ、今日こそ向き合わなきゃ。と思っていた。
普通の日常の夜。


後に聴いたことだが、そうしていた間も、何回も母は「あたまがいたい」と言っていたらしい。
そしてずっと横になっていたらしい。


私は、何も知らなかった。
その頭痛の正体を、苦しさを、我慢していたことを。


22時半頃、父の大声が聴こえた、
「(私の名前!)救急車!救急車!!今すぐ!早く!!」


駆けつけたら、悲惨だった。
詳細は、状態は、ちょっとだけ憚られるので伏せておく。
すぐに119に電話した、姿勢を楽にした、頭を下にした、戸をあけて救急隊員が入りやすいように準備した。
でもそれ以外何もできなくて。当時の幼さに怒りたくなってしまう。


23時半に、私一人の同乗で、母の貴重品ケースを抱えて救急車に乗った。
というのも、その日唯一アルコールを飲んでなかった私しか、救急車に乗れなかったからだ。


人生初めての救急車だった。
救急隊員さんにきかれた。
朝やお昼の様子とか、夕方の様子とか。病歴とか、仕事とか。
半分は答えられたし、半分はわからなかった。
でも大体私は答えたと思う。

頭の中には散り際の桜の花びらがずっと待っていた。

そんなふうに聴かれている中で母の意識は半分あって、半分なかったように見える。

半分あった、って確信したのは、救急車に乗ったのが父ではなく娘だって母が確信してくれたからである。

「(私の本名)ちゃん」

そのときは、私の名前を呼んでくれてたから。

そして救急隊員さんはすごく頼もしかった。
的確に状況と病床を判断していたし、受け入れ病院へ1時間で着いた。
そのあと、救急病院に運ばれ、26時半頃、手術が行われた。

全部が人生初めての経験だった、
怖かった。

しんじゃうんじゃないかと思った、
いや、もちろん、私のノミの心臓がだよ。

慌て過ぎて、私はお金ももってなかったから、手術で待っている間に水も買えなかった。
落ち着く方法なんかなかったのに、鳴き声も涙も嗚咽も何も出なくて、干からびた。
心が干からびるのを感じた。
相合傘で桜の花が降る雨の公演を歩いた記憶だけが何度もリフレインした。

12時間前まで一緒に桜を見て元気に歩いていた人が突然こんなふうになるなんて、意味がわからないのは当然な気がする。
全然心の準備なんか出来てなかった。

それに、こんなの嘘じゃん、すぐ治るじゃん、みたいな気持ちがどこかあった。

だからだと思うんだけど、しばらく涙ひとつ出なかったんだ。
手も肩も震えてたけど、どこかで軽いものだと思っていたのだ。
明日には会話できると思ってたし、夏には高原に行けると信じていた。

正常性バイアスってほんとこわい。


「嘘じゃん」「大丈夫じゃん」「明日には日常じゃん」

それは全部、ただの願望でしかない。
願望は時に残酷だ。


想えばその前の日まで、というか、数年間、週六あるいは多ければ週七で母は働いていた。
夜遅くに帰ってくるときも多かった。

私だって疲れてるのに、なんて思いながら、私が家族の夕飯を作る時もあった。
もっと疲れてたはずの母は「夕飯、ありがとう」って言ってくれた。
倒れる前の土曜日もそうだった。


なんで気付かなかったんだろう。





医師に告げられたのは脳出血だった。

幸い、倒れた瞬間を家族が見ていて、発症後早く救急車に乗れたため、命には
別条はなかった。
だが、勿論予断を許さなかった。

月曜日、面会に行くと母は
「ここはどこ」
ってずっと言ってた。

「○○市の病院だよ」って言っても、全く理解しなかった。
聡明で、人助けが特技で、仕事熱心で、頭脳明晰で、記憶力が良かった母が、記憶を失ってた。

「私が誰かわかる?」
と言ったら
「○○ちゃん(私)はいないの?」と言われた。

何も言えなかった。


ここに居るよっていっても、通じえなかっただろうし、
私が私と認識されないのが辛くて。
何も言葉がでなかった。

さらに
「ここは○○市(母の生まれ故郷)?おかーちゃんは?」
と何度も確認された。
おかーちゃん、母の祖母は18年程前に他界している。


だけど変わり果てた母を見ても私は涙ひとつ出なかった。
なんて薄情なんだろう。


救急車で運ばれたのが日曜日。
親族や諸々に伝えて入院手続きしたのが月曜日。

月曜日、私ははじめて仕事を休んだ。
父と一緒に母の入院手続きをするため。

何しろ、なんかこういういろんな手続きは母に全部任せていたので、私も父も何もわからなかったものだから。二人がかりじゃないと無理。

脳出血の範囲はそう大きくはなかったらしいが、そう小さくもなかったようだ。

一昨日まで一緒に傘をさして桜を見ていたその人は、今までとは同じようにはいかなくなった。

まず、前述のとおり、NCUに居た時は記憶が殆どもどらなかった。

私が誰なのわからない、父が誰なのわからない、唯一その場にいなかった兄の名前と亡くなった祖母の名前を呼ぶ、そんな感じで変化がなかった。


度胸も勇気も経験値も少ない、めちゃくちゃ不器用な私と父がなんとか、母の入院手続きを済ませた。
月曜の夕刻、父の運転する車で、真っ暗な家に帰った。

帰り際の病院の窓からは、満開を少しだけ過ぎた桜が咲いていた。
「明日に望まなくなったのは 今日がその答えだから
 諦めて全部受け入れて でもはじっこに隠して持ってる」
─pinkie

「pinkie」が教えてくれたように、その日、今日がそれからの明日の、母の答えだった。
一昨日約束した全部を諦めて、でもかくして持っていた。



未来の私が笑える自信は、なかった。

日曜日から一滴も出なかった涙。
夕方、部屋で一人になったとたんに堰を切って溢れ出した。
嗚咽が止まらなくなった。

そのあと、3時間くらい泣き続けた。
嗚咽が止まらなくて頭が痛くて、よくわからないけど、桜と相合傘とトレッキングシューズが頭の中から離れなくて、余計辛かった。


母が私のことを忘れたこととか、
初めて救急車に乗ってしんじゃうんじゃないかって怖さとか、
前日まで一緒に歩いてたこととか、
高原に旅行以降って約束したばっかりだったこととか、
それを全部ぬぐい捨てるように点滴やあらゆる管に繋がれた姿とか。


泣き続けたら火曜日が来た。
私は仕事に行った。
まもなく藤くんの誕生日もきた。

その日のSNSは「おめでとう」で溢れていて、そのおめでとうの言葉が今一番苦しい言葉だった。

私だって、多少なりとも無理した。
おめでとうムードは当たり前のことだ、素敵な誕生日の日。

誕生日のイラストはちょっと前に描きあげていたので、おめでとうって言葉とともにUPした。
勿論当時、祝福ムードが辛かった、とは言えなかった。


世界には私の家族のことは何も関係ない。

上手に馴染んで平和な飲みこなれなければいけない、心は飲みこまれずに。
それからというもの、桜を見るのが毎年こわかった。

あの日はたまたま桜の時期が重なっただけなのに。

桜の花は過去と現在と未来を結ぶ。
それはBUMPの「pinkie」と同じだ。

「明日に望まなくなったのは 今日がその答えだから」

「未来の私が笑ってなくても あなたとの今を覚えてて欲しい」

─pinkie

病室から桜吹雪が舞い散るころ、ようやく母は私の名前を想い出してくれた。
休日の度に病室にいっていたら、いつしか寝てたはずなのに顔を上げた。
そして、いつしか喜んでくれた。

○ちゃんが来てくれた、と泣いていた。

「何回も来たよ、入院する日も桜が咲いていたし、今は桜が散り始めてるけどその間ずっと来てたよ
ずっと来てたんだよ。泣かないで」

そう言いながら、それ以上に泣きたいのはこっちだよ、
あの高原に一緒に行くって倒れた前の日に約束したじゃないか、と。
思ったけど何も言えなかった。


結果的には、それはもう、二度と適わない。


私はいつも、毎年、桜を見るとすこし苦しい。
春も、そこから長く苦しみ続けた夏も嫌い。

早く秋桜や雪の時期にならないかなあ、そして寒い冬が訪れないかなあと今からぼんやりと思っている。

そう思いながらも、桜が咲くころの華やかさに、桜が散る頃のせつなさに、四年前感じた戸惑いと苦しさと一生忘れないであろう体験は、桜の花が中心となって結んでくれている。



今年も桜が散り始めた。
この時期、必ず聴こえる音。



「未来のあなたが笑ってないなら 歌いかける今に 気付いて欲しい」
─pinkie
あの時の私が2021年のイマの私に言った。

「未来の私を思い出せたら あなたとの今を忘れなくていい」
─pinkie
今の私が2017年の私に言った。


桜の花が紡ぐ過去と現在、そして未来。
私は「pinkie」を通して、一生背負って生きていくのだろう。
それもまた、いいか、と今は思える。



桜は美しい。
  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい