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孤独とは、「ひとりで生きていないこと」の証明

SUPER BEAVER『ひとりで生きていたならば』を聴いてたどり着いた、失恋の果ての孤独観

深夜、凍えたワンルームの中心で膝を抱えながら、パソコンから流れる音楽を聴いている。
首筋に血管を浮き上がらせて震えるように歌う彼の声に圧倒され、硬直したまま動けない。明かりの消えた部屋の中でひとり、感動を全身にたぎらせる。

孤独。ゆえに、この感動は存在するのだと知る。


それはまさに青天の霹靂だった。
月曜日の夜中に、しかもたった一本の電話で、別れを告げられることなど想像もしていなかった。前日に過ごした濃密な時間などなかったかのように、彼はあっさりと「別れた方がいいと思う」と言った。
食い下がるほどの気力が私にもなかったのがいけなかったのかもしれない。その一言によってもたらされる虚脱感に声が出なかった。ただ深く息を吐き、彼の主張を受け入れた。

なぜフラれたのだろう。彼の仕事が多忙になったことが原因か。
「時間を割いてまで会いたいと思わなかった」。
そんな余計なひとことを言わせてしまうほどに、彼を取り巻く環境は大きく変化していた。

ため息とともに喪失感が襲う。
以前は存在したものが、今はもうないという状態に違和感があった。当たり前のように毎日きていたラインが、今日はこない。

彼と過ごした日々を思い返しながら、どうせ別れるなら出会わなければよかったと思ったりもする。彼を知らなければ、こんな悲しみは感じずに済んだ。虚しさも、胸の痛みも、彼がいなければ知らずに済んだことなのに。


そんな時だった。YouTubeから流れてきた音楽があった。SUPER BEAVERの『ひとりで生きていたならば』だった。


<ひとりで生きていたならば こんな気持ちにならなかった
 ひとりで生きていたならば 理不尽も許せたかもな
 ひとりで生きていたならば ひとりで生きていないから
 悔しさ込み上げるほどの 「大切」に出会えたんじゃないか>


彼と出会うまでの私は、ずっとひとりで生きてきた。自分で自分の幸福を満たす方法を知っていた。
けれど、彼と出会い、共に時間を過ごして、人と生きることの喜びを知った。そこには、決してひとりでは感じ得ない幸福が存在していた。

映画を観た後、感想を述べあった高架下の居酒屋。運動が苦手な私を何度も振り返って立ち止まってくれた登山道。遅刻魔の私を怒りもせずに待ってくれていた改札前の柱の陰。記憶の端々に残る光景とともに、彼の優しさが思い起こされる。

抱きしめた時に伝わる鼓動、滑らかな肌、ハゲかれた額、じょりじょりのあごひげ、笑うとむき出しになる白い歯、平熱の高い体温、汗くさい首筋。すべて、彼によってもたらされた感覚。それらに対する「愛おしい」という想い。

別れ話が理不尽だと感じた。「別れたい」って、相手に拒否権のない宣言のよう。「YES」以外に返答の余地がない理不尽さにいら立った。
彼との別れに虚しさを覚えるのは、それほどまでに私にとって彼が<大切>な存在だから。

これらすべて、ひとりで生きていないから出会えたものだった。

 
<ひとりで生きていたならば ひとりで生きていないから
 予想を遥か超えていく 嬉しさを知っているのさ>


彼がいたから得られた喜びは確かに存在していた。
ただの公園が、彼と眺めているだけでとてつもなく愛おしい光景だと気づいた。

凧揚げを追いかけて転んで泣き出した女の子。膝くらいの背丈しかない子供とボールを蹴って遊ぶ金髪のパパ。花が開き始めた梅の木を見上げながらガラケーを掲げるおばさん。
それらを眺めながら、微笑みあって感想を述べる。
「あーあ、あの子大丈夫かしら」「あのパパ、ファンキーだな」「ああやって花を撮るおばさんって、なんかいいよね」。
日の光をたっぷり受けて、人々がキラキラと輝いて見えた。

世界はこんなにも幸福が溢れている。

彼がいたから気づいた世界がそこには存在していた。私ひとりでは知り得なかった幸福が、彼でなければ得ることのできなかった喜びが、確かにあった。
ひとりで生きるのも十分に幸せだと思っていたのに、私の知らない幸せってまだあったんだと気づいた。


「人は生まれながらにして孤独」。
先日観たテレビ番組で、そう言った人がいた。
そうか。だから人は人を求めるのかもしれない。寂しさを感じて伸ばした手が触れる温もりに、孤独は紛らされてしまう。

彼の存在によって私の孤独は隠されていた。そして彼を失った今、再びの孤独を感じている。


照明の落ちた部屋の中、凍えた体を抱きしめて『ひとりで生きていたならば』を聴いている。
結局、私はひとりで生きるしかないという諦めが、眠れない夜にさえた脳をさらに醒めさせる。
しかし不思議なことに、もう二度と人を好きになったりしないとは思わなかった。

ひとりで生きることは楽。楽だし、それだけで十分に幸福。
でも、人と生きているからこそ感じられる幸せが存在することを、私はもう知ってしまった。知らなかったころには戻れない。そして、人と生きる選択をしたいと思う。

理不尽で、苦しくて、虚しくなる未来があるのだとしても、人と生きるという選択をして、再びの<大切>に出会いたい。
<大切>を愛して、ひとりでは知り得なかったような<予想を遥か超えていく、嬉しさ>を感じたい。


立ち上がって電気をつけた。暗闇になれた目を細め、時間をかけて部屋の輪郭を把握する。
ピンクのカーテン、グレーの座椅子、ベージュの布団カバー。
世界はこんなにも色を帯びていた。ため息まじりの笑みがこぼれる。

明日は部屋の掃除をしよう。そして新しいカーペットを仕入れて、ピカピカに磨いた床にふわりと広げるんだ。その上に寝転んで、上の階の住人の足音をBGMにしながらマッチングアプリを始めよう。
ひとりで生きていない人が、この世にはたくさんいると知るだろう。そして私もそのひとりに加わる。人と生きるという選択をした人たちと出会って、願わくば<大切>と出会いたい。


<こだわって生きると 今一度 言い切るよ
 原動力はずっと ひとりで生きていないこと>


こうやって行動することの原動力も、ひとりで生きていないから。人が永遠に孤独であるならば、こんな風に人を求めたりはしないだろう。

孤独とは、はたして、ひとりで生きていないから存在するものではないだろうか。
誰かと時を過ごす喜び、それは恋人に限らず友人や家族でも、人と生きているという感覚のうちに孤独は湧き起らない。人といない時、ひとりで時間を過ごすときに孤独感が襲う。
ならば、孤独は「ひとりで生きていないこと」の証明だ。人が人と生きていることを逆説的に孤独と呼ぶのではないだろうか。

彼といる時に孤独を感じなかったのも、彼を失って自分が孤独であると気づいたのも、すべて、私はひとりで生きていないことの証。
私は孤独だ。そして、人と関わって生きている。


「今までありがとう。あなただったからこそ知り得た喜びがあったよ。あなただったから、また『大切』を求めたいと思えたよ。あなたと生きられてよかった」


ベッドの中に潜り込む。冷えた体には、羽毛布団によって蓄えられた熱が次第に伝わってくる。ぬくぬくと、丸めた体の温度に安心しながら瞼を閉じた。
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