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絶望みたいな凡庸な二文字

ヒトリエAmplified Tourに想いを寄せて

いつだったかは忘れた。
ただ、その日は名古屋クアトロのヒトリエワンマンライブの日で、私は奇跡的に整理番号一桁代のチケットを握り締めて、いそいそと現場に向かっていた。

いつも後方隅で、誰ともぶつからないような場所でライブを見る自分は、その日初めて、ライブハウスの最前列、センターに陣取りステージを見上げた。暗転後、登場したwowakaさんは、小柄な背丈も相まって、あまりにも近くて、息を呑んだ。見下ろす視線がかみ合った気がして、震えた。
マイク越しでなくとも届く声の距離に、感動して、呆然とした。
だが、その感動に打ち震える隙もなく、次の瞬間、後ろから雪崩れ込むように来た人の群れに159㎝の体はもみくちゃのぐちゃぐちゃにされた。
最前に設置されたバーと人波に挟まれ続けた体は、ライブが終わってみれば痣だらけだったし、足を踏まれ、肘をぶつけられ、乗車率150%の満員電車に居続けたような時間は、その時の自分にはとても楽しいとは言い難かった。あげく、せっかく自分の好きな曲を演奏してくれたのに、セトリどころか、「そんな曲やったっけ⁉」と記憶さえ朧気な始末。
もう二度と、二度と最前列などに行くものか、と。ぐちゃぐちゃの髪の毛と服を引きずりながらへろへろになって、友人と愚痴を言いながら帰宅した。
ただ、それでも、あの瞬間嚙み合ったwowakaさんの視線は、今でもずっと忘れられずにいる。

時は流れて、昨日。私は再び名古屋クアトロにヒトリエのワンマンライブのチケットを握り締めていそいそと現場に向かっていた。
新型コロナウイルスの猛威で、ライブハウスに足を運ぶのは1年半ぶり、クアトロ単体で言えばもはや2年ぶりという、何とも久しぶりのライブだった。
コロナウイルスの対策の為、ライブハウスは以前のようにスタンディングではなく、距離を保つために、椅子が置かれていた。先行で取れた自分の席は、2列目の8番。最前近くの、ほぼセンター。
奇しくも、あのもみくちゃになったワンマンライブと何とも似たような位置に、私は座った。

鳴り止まぬ拍手を従えて登場したシノダさんの、あまりの大きさに目を瞠った。wowakaさんと全く違う視線の位置。聳え立つ壁のような圧みたいな何か。そこから飛び出した透明な声で歌われたポラリスに、なんだかもう感情がぐちゃぐちゃになって、立ち尽くしてしまった。

ずっと、生で曲を聞きたかった。オンラインライブ、PC越しの薄い音源なんかでなく、内臓で低音を感じたかった。鼓膜を高音で震わせてほしかった。
それが、やっと叶った、っていう嬉しさ。これが聞きたかった、ここに来たかったっていう喜び。
ハイゲイン、curved edge、トーキーダンス、カラノワレモノ。ドラムに合わせて、足でビートを刻んで、腕を振る。振り上げた腕の先に視線を持ち上げると、ふと欠けたピースに気付く。あの日噛み合った筈の視線が無いことに気付く。歌うシノダさんの視線の高さに、違和感を覚える。そこで、急にアドレナリンが冷めていく。

ヒトリエのモバイルファンサイトで、シノダさんが、「うつつ」という曲に関して掘り下げていたブログ記事がある。そこで彼はこの曲を「毒」だと言っていた。REAMPというアルバムの他の曲を確立させるための毒である、と。
その表現はあまりにも的確で、これ以上あてはまる言葉を私は知らない、と思った。

うつつだね、ここはうつつなんだね
夢じゃないね 悲しいね

止まない雨なんて無いって嘘つかれた
僕ら今もずっと薄暗い雲の下
(ヒトリエ/うつつ)

薬は行き過ぎれば毒になる。だがその毒が無ければ、薬とは成り立たない。まさに私は昨日、毒と薬を交互に浴びた。自分の感覚を麻痺させるために、溺れるほどの薬を飲む、飲み過ぎた薬は毒になり、その苦しさにふと現実に返る。それでもまた、手を伸ばす。持ち上げた視線の先の空白に気が付きたくなくて。

そして今日もまた、私は毒を浴びに行く。
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