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弱さを認めて光る強さ

RADWIMPS『螢』に重ねる、京本大我のアイドル像

私が応援するアイドルは、カラオケで『螢』を歌うのだという。
このことの重大さに気が付いたのは、情報を得てしばらく経ってから。何気なく歌詞を検索した時だった。

端正で中性的な顔立ちから「美しい」「綺麗」「可愛い」と称されることの多い京本大我は、世間の印象に反してゴリゴリのロックを愛する男だ。十八番はSUPER BEAVERの『東京流星群』、自身のソロ曲でスタンドマイクを振り回しシャウト、深夜の冠ラジオ番組SixTONESのオールナイトニッポンサタデースペシャルでは、「僕が寝る前にほぼ毎日聴いていると言ってもいいくらい大好きな曲です」とマキシマム ザ ホルモンの『予襲復讐』を流すくらいにロックに浸かっている。

そんな彼がある時、カラオケプレイリストの一曲としてRADWIMPSの『螢』を挙げた。(DAM CHANNEL公式サイトより)ロックの知識が乏しく、この曲を知らなかった私は、ともに選曲されたMr.Childrenの『NOT FOUND』、マキシマム ザ ホルモンの『ぶっ生き返す!!』との並びを見て「邦ロック好きの彼らしいプレイリストだな」という感想に終わっていた。

しかし数日後、邦ロック好きのSixTONESファンが静かに騒ついていることを知った。どうやらアイドルを生業とする彼の『螢』という選曲が“ヤバイ”らしい。仕事に向かう電車に揺られながら、何の気なしに「RADWIMPS 螢」と検索。ヒットした詞と音に強い衝撃を受けた。光を求める蛍の描写は、ファンの目に映る京本大我の姿と重なった。


<虹の始まる場所を探したんだよ
余った光をもらいに行ったよ

光ってないとね 誰も僕を見ないんだよ
分かったフリでもいいから>

曲の冒頭で描かれているのは、光ってこそ脚光を浴びること自覚し、虹のふもとへ光を探しに行く蛍。それはまるで、緊張しいで「自分はアイドルに向いていない」と語りつつも、スポットライトを浴びるに値する芸を身に付け、14年間表舞台に立ち続ける彼を指しているように思えた。


<あの火の鳥を僕は探したんだよ
余った羽をもらいに行ったよ

でもね僕には どれも大きすぎて
求める理由(いみ)は小さすぎて>

螢が光を求める背景にあるのは、「脚光を浴びたい」という想いだけ。大それた理由なんてない。自分一人では生きられないからこそ、誰もがそんな想いを抱いてしまう。

アイドルとして生きる彼のエネルギーの一つにも、他人の存在があることを強く感じる。「ファンの存在」「求める人」「需要」。そんな言葉が雑誌やブログに度々登場するのだ。

もしかしたら「応援してくれるファンのおかげで」なんて言葉は、芸能人の常套句なのかもしれない。「単なるファンの思い上がり」と鼻で笑う人もいるだろう。それでもあえて、今ここで「ファンが原動力になっている」と断言したのは、彼のライバル心がファンに向けられているから。そこがアイドル・京本大我の一種の個性だと感じるからだ。


<光って消えるただそれだけと知りながら
光る僕はきれいでしょう?

濁って見えた明日が晴れるその理由は
もう誰にも聞かないから>

「ファンのみんなとはライバルでありたい。生きる上でのライバルね」。(「月刊TVfan 2020年3月号より)それが彼の常套句だ。緊張しい、メンタルが弱い、ネガティブ……そんな弱さを持つ自分が表舞台に立ち続けることで、ファンに「負けていられない」と感じてもらいたいのだという。

だからこそ、「一生懸命に光る姿はきれい」と一方向的に伝えるのではなく、「きれいでしょう?」と問いかける野田さんの歌詞に胸が震えた。「僕」を見て、きれいであることを知ってほしい。「僕」と聞き手の関係が横並びであることを感じさせる一文に、京本大我とファンの関係性とのシンパシーを感じざるを得なかった。


<いいよ 僕には名前はないけど
僕が消えるときはちゃんと泣いてよ
そのとき 一番眩しかった星に
僕の名前つけてほしいな>

1番でいう「光」とは、周りを惹きつけるための手段だった。脚光を浴びたい、一人では生きられない、そんな理由から光を求めていたはずである。しかし2番に入ると「光」は「一番眩しかった星」になり、誰かにとっての希望・憧れ的な存在へと変わる。他人を惹きつけるにとどまるのではなく、最後は何かを残して終わりたいという願いを表しているのではないだろうか。

京本大我が表舞台に立つ上で一番の武器にしている芸、それは歌である。他にも多くの魅力はあるが、彼の歌こそがファンを惹きつける大きな要因であることは間違いない。そこでふと思い出したのは、「『上手い』で終わらせたくない」という彼の言葉だった。(「SODA」2020年5月号より)惹きつける手段としては上手いでも十分だろう。しかし、彼の中には人の心に響かせる歌を届けたいという想いがある。その点に、「僕」と京本大我の接点を見た。


<嬉しいこと 悲しいことはいつも半分こずつなの
だからそう 最期はゼロになれるの>

<光って消えるただそれだけ信じながら
歌う僕はここにいるよ
作ってみせるその笑顔も愛しいから
もう昨日を探さないでよ>

人に与えられた平等は生と死だけであり、どんな生き方を選ぶのかは人それぞれ。数多の選択肢の中から「僕」は「歌う」ことを選び、京本大我もまた同様の選択をした。

ファンが得られる情報、見える姿だけで判断しても、彼は決して順風満帆なアイドル人生を送ってきたとは思えない。何しろデビューの切符を掴むまでに14年もの下積み時代を過ごしてきたのだ。「歌う」という選択、つまるところアイドルになったことを後悔していないかと疑問に思うことも多々ある。

しかし彼は『螢』を、「歌う僕はここにいるよ」というフレーズを、歌っている。それが全てであり、過去の悲しみ・苦労を詮索し、他人の勝手な物差しではかるのは違う。2サビを通じて、そんなメッセージを野田さん・京本大我から送られているような気がした。


<光って消えるただそれだけと知りながら
光る僕はきれいでしょう?

だからね 痛む胸に光る種を乗せて
幸せだねって言えるまで 光ってたいの

奪って逃げるただそれだけの命なら>

1サビと全く同じ問いかけの一文。しかし力強い歌声だった1番とは違い、若干の儚さを感じる。もしかすると、ここではきれいさを伝えているのではなく、きれいであることを再確認しているのかもしれない。

その結果、今が「幸せだね」と言える未来に繋がっていることを確信でき、たとえこれから胸の痛む苦しみがあろうとも、光り続ける意味になるのだろう。

京本大我が表舞台に立つ姿は、この上ないほど美しい。自らの弱さを認める強さを持つ彼の歌は、何よりもきれいだ。

だからこそ、もし彼がこの先も「光っていたい」と願うなら、きれいであることを伝え続けていきたいと思う。ファンの一人、そしてライバルの一人として。
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