4729 件掲載中
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

エレファントカシマシ「悲しみの果て」に出会って見つけたもの

ライブを待つ日々に思うこと

 音楽を聞いて気持ちが明るくなることがある。一瞬のこともあるし、心を照らし続け生活を変化させることもある。そして、細い糸を繋ぐように、偶然が繋がって自分を取り戻す道が開けることもある。つくづく音楽には不思議な力がある。

 結婚して以来、多忙な夫、ある種の特性を持って生まれてきた子ども、転勤による慣れない土地での生活、自分の体調不良…音楽を聞く心の余裕も時間もあまりなかった。それでも子どもが中学生になる頃には少しずつ自由になる時間が増え、持ち運びの出来る楽器を習うようになった。音が一つずつ充実して曲になっていくのは、子どもの頃、ピアノを習った時には感じたことのない喜びだった。生活に音楽が加わったことでクラシックだけでなく少しずつPOPSも聞くようになり、好きなアーティストも現れた。さらに子どもの生活が安定してくると、私はアルバイトをする時間も持つことができるようになった
 一方でその頃から、自分は育児にしろ何にしろ、最善を尽くしてきてたのだろうか、という疑念が心に芽生た。あの時私が別の選択をしていれば、と悔やむことが度々あった。さらに前述したような事情から、社会との関わりが何年にもわたって希薄になっていたことにアルバイトを始めたことで気がついた。社会の変化に自分を合わせていくには若い頃のような心身の柔軟性を失っている、という現実も突きつけられた。それらのことは悲しみとして徐々に心の中を占めるようになり、やがて心の中は悲しみで一杯になってしまった。子どもの頃のように泣けたらその悲しみから解放されそうな気がするのに、一粒の涙も流れない日々は苦しかった。好きになったアーティストは今でも大好きだけれど、その頃の私は、この人のように一生懸命生きてこなかった、と思うばかりでかえって悲しみは増した。
 自分の精神状態は何かおかしい、このままではいけない、と思ってはいたけれど、どこから手を付けたらその状態から抜け出せるかの見当も付かないで、ただ手をこまねいていた。

 ちょうどその頃、ある音楽サブスクサービスが3ヶ月無料で試せるチャンスがあると知り、とにかく知らない音楽を聞いてみたい、と利用してみることにした。心をほぐす何かの変化がほしかった。音楽を聞いて泣けるなら、泣きたかった。
始めてみると、まずどんな傾向の曲が好きかのアンケートがあり、中学生の頃ビートルズが好きだった事と、POPSをよく聞くようになってから、自分はベースギターの低音や歪んだエレキギターの音、総じてバンドの音が好きなのかもしれないと、何となくロックを選んだ。そして、CMで流れた一節の声に引きつけられて覚えていた「エレファントカシマシ」というバンドを、好きなミュージシャンの1つに選んだ。
 あなたへのおすすめ曲にエレファントカシマシが出てきて、最初に流れたのが『悲しみの果て』だった。
出会いは不思議だ。何事にも巡り合いの「時」というものがある。バンド最大のヒット曲「今宵の月のように」を知らなかったのは、楽曲提供したドラマの放映期間中ずっと入院していたからだ。CMで聞いた声が忘れられなかった、というだけで好きなアーティストの1つにこのバンドを加えた。そして、もしこの時、別の曲が流れたなら話はまた違うものになっていたかも知れない。

 とにかく「悲しみの果て」は、訳のわからない悲しみでいっぱいだった私の心の奥底にまで差し込んだ、色も温度もない一筋の美しい光だった。歌詞が、メロディーが、というわけでなく、曲そのものが光だった。今まで聴いたどんな音楽にも、こんな感覚を持ったことはなかった。決して大袈裟でなく本当に。悲しみが消えたわけではなかったけれど。
それからの毎日、何度もこの曲を繰り返しては聴いた。この「エレファントカシマシ」というバンドの他の曲も聴いた。30年以上にわたってボーカルの宮本浩次が大量の曲を作詞作曲しており、バンドは活動し続けていると知った。偶然耳にしたあのCMの曲は「俺たちの明日」という曲だったということもわかった。バンドの名前を覚えてから10年近くが経っていた。

 やがて私は、彼らのライブに行きたくなった。音源ではなく、目の前で「悲しみの果て」を聞いてみたいという欲が出た。ロックバンドのライブなど行ったことがなかった。そもそも、これほど突き動かされるように聞きたいと望んだ音楽はなかった。ほんの少し、私の中で石が転がったのだ。
 会場の雰囲気を知りたくて、その時点で最新のライブ映像だった「バンドデビュー25周年」のDVDを買った。短時間のアルバイトしかしておらず収入は少ないけれど、自由になるお金があるのはこんなに嬉しいことなのかと思った。働くことに少し楽しさが加わった。
映像で確認したのは曲やステージよりむしろ客席だった。男性ばかりで、女性が参加しにくい雰囲気だったらどうしよう。揃いの服を着ないと居心地が悪いのだろうか。かつては声援禁止と言っていたと読んだけれど、今はどうなのだろう
 心配など要らなかった。気をつけるとすれば、曲をきちんと聴く、ということだけだった。曲の始まりから最後にシンバルがパシッと止められるところまで、よく聞いていれば良いのだ。自分にとって好きな雰囲気で良かったと、ますますライブに行くことが楽しみになった。
 生まれて初めてファンクラブというものにも入った。いつかはライブに行くのだと決めて、その日が来るのを待つことと、好きな曲が増えてゆく毎日は楽しかった。聞くほど好きな曲は増える一方だった。悲しみを少し忘れるようになっていたけれど、そのことに気づくより彼らの音楽を聞くことに夢中だった。
 半年ほど待った後にチケットが手元に届いて、私は望み通り「悲しみの果て」を聞くことができた。この端正で美しい曲をライブで聞くことができれば、それだけで自分は満足できると思っていた。
 それなのに、一度ライブを体験してしまうと全ての曲をライブで聞きたい、全てのライブに参加したいと思うようになっていた。それほど彼らのライブはエネルギーに満ち、私の心を高揚させ解放させるものだった。

 その後、いくつかのライブに参加することができた。いつのライブでも、宮本は楽曲提供者であり演奏者であり、バンドのフロントマンとしてメンバーやスタッフと共に聴衆に対して最高の演奏を行う責任を負っている。だからこそライブ全てに目配りを欠かす事がないのだ、と思う。ライブは演奏する側も聴衆側も宮本の考えたセットリストと彼の作り出す空気によってコントロールされていて、例えば曲の始まる前には(ライブの始まる前ではない)ステージを歩く宮本の足音が聞こえるほど会場が静まる時もある。宮本のカウントで曲は始まり、バンドはその合図に従って最後の音をミュートする。拍手はバンドの最後の音が消えるまで待つ、というようなこともある。奮い立たせられるようなうねりや、染み入るような静けさを繰り返して、やがて自分を解放せざるを得ないほどの熱い曲が畳みかけられる。
 そして、ライブの醍醐味というのは、演奏の素晴らしさに応える聴衆の熱さ、そんな聴衆にバンドがさらに熱い演奏を返すことによって、演奏者のコントロールを越えて想像以上の素晴らしい空間と時間を作り出すことだ。2度と同じことは起こらない。その体験が、バンドや聴衆をまた次のライブへと向かわせるのだと思う。

 宮本がソロ活動も始めた矢先、コロナという疫病が蔓延し、全てのライブは止まってしまった。宮本の場合に限らず、今もまだ以前の状況には戻れそうもない。ライブに枯渇しながら、ライブは「不要不急」の存在なのだろうか、と考える。
 私にとっては、悲しみから抜け出す細い糸を繋いだ先にあった存在がライブだった。ほんの少しずつ、夢や希望をそして自信を取り戻して、たどり着いた場所だ。その場所で演奏する彼らは、私の形代(かたしろ)ではなく、私の生き甲斐というのともまた違う。彼らは私の代わりに何かをしているのではなく、自分自身の生活のため、自分自身のために生きている。私がいなくても彼らは変わらず演奏する。であるけれど、彼らの音楽は、私になんらかの影響を与える。
 私もまた、誰かのために生きているのではなく、まず自分自身のために生きているはずだ。
自分はいつも、良い子、良い妻、良い母、良き同僚と見られたいと、常に他者の目を通した自分の評価を気にしていた。誰かにとって、「欠かせない人」であると言われたい見栄っ張りな人間だ。だから他者に影響されず自分の判断基準を持つ人、その基準が揺るがない人が羨ましくもあった。例えるなら、その人たちは、流行の色に流されることなく、自分の好きな色・似合う色を選べる人たちで、一方私は、自分では似合う色を見つけられず、見つける努力もせずに、他人に選び続けてもらっていたようなものだ。「理想の自分」でいようと自分を演じてきたけれど、役の終わりが見えてきた時、何も残っていない本来の自分に気がついて苦しかったのだと思う。いつか見栄っ張りの自分をやめて、自分を愛おしく思えるようになるのだろうか。最後の日までに間に合うだろうか。

 家にいるこの日々、エレファントカシマシや宮本浩次の楽曲を聞いている時間は長い。あの時、心の暗闇に届いた一筋の光は、今は「心」という部屋を眩い光で満たしてくれているように感じられる。
光を見れば誰でも光とわかる。けれど、口に出して光を説明する時、人それぞれ表現が違うことだろう。そして光源自体は光とも違う形をしていて、発する光が強ければ、その形を見ることさえできない。
愛はそれに似ている。「愛」という存在の本当の姿を「俺は知らない 見たこともない」(※1)。「悲しみの果て」は、愛という言葉を使わずに、愛という存在が確かにあることと、人はその存在を直接目にすることはない、と歌っているようだと思うようになった。
 空腹を覚えれば食事し、眠ければ眠り、愛を交わす、その糧を得るために働く。それが生活だ。怒りだけ、悲しみだけがその人を支配する時、生活は失われている。自分がそういう日々を送ったからわかる。私が音楽によってエレファントカシマシというバンドに出会い、ライブが自分を取り戻していくきっかけになったように、「不要不急」とされた数々の文化を必要とする多くの方、何よりその場から生活の糧を得ている方々の手に、早く以前の日々が戻ってきてほしいと願う。
 「俺たちの明日」がなぜ多くの人の共感を呼ぶのかといえば、「こんなに自分は頑張っているんだから、あなたも頑張れるはずだ。」ではなく、「かつてあなたがくれた優しさが自分を支えている。だから、自分は頑張ってこれたのだ。語り合った夢、語りあった時間は、今もそれぞれの場所で続いていて(だから、あなたも今を精いっぱい生きているだろう)そのことを忘れないで。」という点にある。そこには対等な人間関係と揺るぎなき信頼がある。

 社会全体が、愛の存在を疑い、怒りと悲しみに包まれそうな今だからこそ、「悲しみの果て」や「俺たちの明日」は一層響く。そして、ライブで10年、20年と歌われ続けてきた楽曲には、音源にも増して説得力がある。ライブは不要不急などころか、社会の必需品ではないのだろうか。

「俺は知らない 見たこともない」(※1)「悲しみの果て」より引用
  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい