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トラフィック 魂に込められたリズムを解き放つロック

「When The Eagle Flies」と忘れられた傑作の数々

英国ロックの名歌手として忘れられないスティーヴ・ウィンウッド(STEVE WINWOOD)。彼は現代ロックのルーツを築いてきた真のソウルの唄い手だ。ロックが成り立ってきた1960年代から90年代、つづく現代に渡る、時代に及ぼした影響力はとてつもなく大きいと思う。しかしある意味、実感としてのスティーヴ・ウィンウッドの音楽は相当に見過ごされてはいないだろうか。

天才的歌手スティーヴ・ウィンウッドがその音楽家としての個性を開花させたのは、1960年代から70年代中頃までの時期なのだろう。ちょうどそれは、トラフィック(TRAFFIC)でのバンド活動の時期にあたる。スティーヴ・ウィンウッドがその名を広く知られる事になる、前身のスペンサー・デイヴィス・グループでは、彼のリズム&ブルースとソウルの表現力を研ぎ澄ませたところを聴くことが出来る。それでも幅広い音楽性を実現したといえるのは、やはりトラフィックだろう。

トラフィックの音楽を聴いていくと、スティーヴ・ウィンウッドが偉大なる唄い手であるだけでなく、優れた音楽家で、卓越したパフォーマーでもある事をまざまざと思い知らされる。主に扱う楽器はキーボードだが、ギターも巧く、ベースパートにリズムもまかなえるスティーヴ・ウィンウッドはいわばマルチプレイヤーともいえ、トラフィックのバンドサウンドの核でもあるだろう。
そしてそのバンドのなかで、ひときわ存在感を放つのが唄である。彼の声の心地よい圧力、小気味よく転がってゆく唄を聴いているだけで、音楽はただ、まちがいなく、よろこびだと実感する。

そんな唄が本当に響くような、"Something New"という曲がある。暗闇から明かす光で世界を変えてしまう魅力的な歌声は、高らかに舞い転がりポップにもあふれている。この唄を始めとする1974年のアルバム「When The Eagle Flies」は、トラフィックが発表した9作目、最後の作品だ。彼らの音楽性は活動期間を通してグルーヴィーでソウルフルでありつづけたが、ラストアルバムは、より緻密さを感じさせる。ひとつひとつの音の響きが構築的に、小さなものから大きなもの、広く深くと、時の中へ波及していくイメージがある。いわば、これはプログレッシヴロックの展開であるといっていいかもしれない。これまでのトラフィックの演奏はジャズやファンクミュージックに傾倒してきた。ここでのプレイはそういった音楽の持続的なジャムセッションの演奏から生まれるグルーヴの、横断的展開というよりは、もう少しきっちりと立体的に組み立てられているようだ。だからこそトラフィックの作品中でも「When The Eagle Flies」はその世界観として完成度が高いともいえる。

その中でも2曲目にあたる"Dream Gerrard"は彼らとしては異色の音作りの赴きがある。サックスが吹きつづける短音のリフレインに緊張感を与えるピアノ、同時に自由に立ち回るドラムのリズム。バンドの演奏が入れ替わりながら音楽が大きくなってゆく展開。夢幻のなかで泳ぐかのようなスティーヴ・ウィンウッドの声は自在に、ジム・キャパルディが引き締めるビートのドラムも鋭い。クリス・ウッドによるサックスは音楽に緩やかさを及ぼしながら深淵の渦へとゆっくりと進む。最も印象に残る音はメロトロンの音にちがいない。そして異彩を放つベースプレイ、ロスコー・ジーの美しいフレーズの数々。緊張感を途切れさせない11分にわたる展開は、それでも静謐な余韻を残すものだ。つづく3曲目"Graveyard People"では明らかにこの時代のプログレッシヴなジャズフュージョンの影響が音に現れている。この影響力は、もしかすると英国のジャズロックグループ、ソフト・マシーンからのものかもしれないと感じる。この時スティーヴ・ウィンウッドが志向したのはやはりプログレッシヴロックのような緻密なサウンドの展開ではあったのだろう。
アルバム「When The Eagle Flies」を聴いて印象に残る特徴的な側面は、音楽の核となっているミニマルなリフレインの音使いだと思う。たとえばCDなら4曲目、レコードならサイド2の1曲目にあたる"Walking In The Wind"にもその傾向が強い。リフレインのなかで徐々に熱情を開放していくようなスティーヴ・ウィンウッドの唄への展開力が見事だ。"ゴスペル"の意味が"福音"だと知れば、これはまさしく音楽による福音にちがいない。音楽はよろこびなのだと、もう一度確信をもって伝えよう。シンセサイザーとオルガンが優しく吹き抜けてゆく後半、ウォーキングテンポのリズム感も素敵だ。演奏に込められた希望の響き。風の中を歩いていく。彼らの音はその慈しみを、たおやかに表している。

アルバムも後半になって"Memories Of A Rock'n Rolla"のしみじみとした歌唱。哀感が滲む地味さの印象から転じて、しなやかにグルーヴィーに走っていく展開もいい。つづく曲"Love"は、クリス・ウッドの吹くファンキーでクールなフルートによる始まりが渋い1曲だ。最終曲"When The Eagle Flies"にも派手さはないが、サイケデリックな深い霧のなかで、それでもリズムが力強い。これらの後半曲は地味にも聞こえる。しかし始まりにバンドが指向した実験的なグルーヴの軸から向かえくる終わりの展開としては、アルバムの起承転結と、世界の収束を感じさせる締めがいい。そういう面では「When The Eagle Flies」の全体から伝わるイメージは個々の地味な作品の印象から、見過ごされがちなアルバムともなっているのだろう。
この作品がトラフィックの最後になるものとして、彼らはそれを意識していたのだろうか。そう考えるとアルバム後半部にある"Memories Of A Rock'n Rolla"の曲は、つまり"ロックンローラーの追憶"という意味に於いて、彼らが過ごしてきたバンドの生活、「ロックンロール」に身を置く人生を今改めて歌ったものだろう。そうしてそこからつづく曲も、その傾向として、彼らを育んできた1960年代という時代を意識したような曲想に表現したのかもしれない。思えば"Love"と"When The Eagle Flies"の2曲も60年代的サイケデリックな印象があるとはいえる。ロックの時代の翳り。1974年から75年は、ロックの終焉を想わせる時代の、一区切りの年でもあったことをいま一度思い巡らせている。

いろんな聞き方があるにせよ、「When The Eagle Flies」の総体的な音楽の聴きどころは、スティーヴ・ウィンウッドとジム・キャパルディによる曲想の妙だけでなく、もう一つの重要な側面は音としてジム・キャパルディによるドラムサウンドにちがいないと思う。彼はトラフィックのバンドのドラム奏者であるにもかかわらず、1970年代の一時期からドラムのパートを新たに参加してきた他者のメンバーに譲っていたのだった。しかしこの最後のアルバムではジム・キャパルディの久しぶりのドラムサウンドが聴けるという意味で、このグループが再び当初の彼らのバンド感を取り戻したともいえるだろう。そしてジム・キャパルディのリズムは素晴らしいものだった。

ジム・キャパルディのドラムを聴いていて、僕は何故か、マイケル・ジャイルズのリズム感を思い出していた。MICHAEL GILESといえば、キング・クリムゾンのオリジナルメンバーとして有名だ。彼らの衝撃的なデビューアルバム「クリムゾン・キングの宮殿」や、次の「ポセイドンのめざめ」ではマイケル・ジャイルズの印象的なドラムがそのプログレッシヴサウンドのリズムの特徴になっているが、クリムゾン脱退の後に残された1971年の作品「McDONALD AND GILES」でも、続いてその冴えたリズム感を聴くことができる。そういえば「マクドナルド・アンド・ジャイルズ」には1曲でスティーヴ・ウィンウッドがピアノとオルガンで参加していた事も思い出した。気になっていろいろな事を調べていくと、トラフィックの1960年代から70年代のアルバムで録音エンジニアを担当したのがBrian Humphries(ブライアン・ハンフリーズ)という人だと知れば、この「マクドナルド・アンド・ジャイルズ」のエンジニアも彼によるものだと判った。そしてトラフィックの「When The Eagle Flies」も同じくブライアン・ハンフリーズが録音エンジニアを務めているのだった。偶然には違いないけれども、トラフィックが「When The Eagle Flies」で目指したプログレッシヴロックが、実は「マクドナルド・アンド・ジャイルズ」のサウンドと通じているかもしれないと考えると面白くなってくる。逆にいうと、今までキング・クリムゾンのプログレッシヴロックを期待して、そのオリジナルメンバーによる「マクドナルド・アンド・ジャイルズ」を聴いてみたもののあまり納得しなかった経験があるのなら、このアルバムをそもそもキング・クリムゾンと結び付けるのではなく、もしもトラフィックと繋げれば、もっとしっくりとくるのではないかとも考えてみる。マイケル・ジャイルズによる作品"Tomorrow's People-The Children Of Today"の曲調はトラフィックの"Who Knows What Tomorrow May Bring"と似ているのではないか。「マクドナルド・アンド・ジャイルズ」の音楽が荘厳なプログレッシヴロックとは幾分、異質なものだとしても、それがトラフィックと通じているのならば、そもそもトラフィック自体がプログレッシヴロック的なバンドではあったのだ。スティーヴ・ウィンウッドは演奏家として音楽家として時代を常に意識した人だったろう。彼が参加したという「マクドナルド・アンド・ジャイルズ」の1曲"Suit In C;including Turnham Green, Here I Am"での、曲想を目眩く転調させてゆくイアン・マクドナルドの作風は、ポップからフォーク、ロックンロールからジャズ、オールディーズ調と様々に変化するものだ。そこでスティーヴ・ウィンウッドはラリー・ヤングのようにアグレッシヴにオルガンをプレイする。彼はこういった他者作品への客演という経験もけっして無駄にはしなかっただろう。スティーヴ・ウィンウッドは多才なミュージシャンだが、トラフィックで最終的にたどり着いた地点が廻り廻ってプログレッシヴロックだったのだとしたら、これもまた偉大な軌跡だ。

そういう締めくくりをしてしまう前に、トラフィックの音楽をもう少しさかのぼってみよう。

トラフィックが残したアルバムはどれも聴き応えのある名盤ばかりだけれど、その中でも、とりあえず一番親しみやすいデザインとイメージでポピュラリティに溢れるものといえば、2作目「TRAFFIC」かもしれない。先述の"Who Knows What Tomorrow May Bring"が収録されている1968年の作品で、ジム・キャパルディはもちろんここではまだドラム奏者のちゃんとした担当者だった。そうしてトラフィックのバンド本来、スティーヴ・ウィンウッドと対照的にソングライティングを分け合っていたデイヴ・メイスン(DAVE MASON)が、まだ確かな存在感を示していたところを聴くことが出来るものでもある。スティーヴ・ウィンウッドの作る曲は彼の唯一無二の歌唱と相まって、とてもインパクトのあるものだから、デイヴ・メイスン自身としてはバンドの一員で本来の実力を発揮しにくい面があったのだろう。デイヴ・メイスンのソングライティング、彼の作品はその後ソロになってから開花するといってもいい。
デイヴ・メイスンはスティーヴ・ウィンウッドとの確執、バンドメンバーの人間関係からトラフィックを脱退したと伝えられている。彼がバンドを辞めなければ、その後のトラフィックの音楽はもっと面白くなったかもしれない。そう思うのは、デイヴ・メイスンがトラフィックから独立した初めてのソロ作品1970年の「Alone Together」を聴き、またその後、彼が一時的にトラフィックのバンドに復帰したライブを収めた71年のアルバム「Welcome To The Canteen」を聴くたびの希望だった。

「Welcome To The Canteen」のライブは、トラフィックの以前からのメンバー(スティーヴ・ウィンウッド、ジム・キャパルディ、クリス・ウッド、デイヴ・メイスン)に加えて、ブラインド・フェイスからリック・グレッチをベース奏者に、エリック・クラプトンのバンド、デレク・アンド・ザ・ドミノスからジム・ゴードンをドラムに迎えている。そして一番の特徴的なサウンドメイク、アフロミュージックのリズムをパーカッションで添えているのは"Reebop" Kwaku Baahというアフリカ出身の演奏家だ。

トラフィックのアフロ・ロックへの傾向は、スティーヴ・ウィンウッドとリック・グレッチが参加していたブラインド・フェイスから続くジンジャー・ベイカーズ・エア・フォースの音楽からの発展ともいえる。トラフィックの69年の活動休止以前からの曲に、デイヴ・メイスンのソロ曲、またかつてのスペンサー・デイヴィス・グループの名曲にと、それらはアフロ・リズムへのエキゾチシズムが滲み出たような編曲となっている。聴いていて思わず口ずさんでしまう"Medicated Goo"はスティーヴ・ウィンウッドの魅力が全開だが、そういった本来ファンキーな曲もさらにリズムよく活き活きと躍る。そして特にアフロ・ロックとダダ的ジャズを混合したようなサウンドに変貌した"Gimme Some Lovin'"の前のめりのビート感には弾けきった凄みがある。この怒涛ともいえるアレンジはジンジャー・ベイカーズ・エア・フォースの明らかな影響力だ。後の1970年代トラフィックが残したアルバムにはグルーヴを基に発展させた音楽が多いけれども、この時のライブほどにグルーヴィーな演奏が聞こえるものはあまりない。そしてスティーヴ・ウィンウッドとデイヴ・メイスンの二人によるエレクトリックギターが響き合う軋轢の感覚も得難いものだろう。

トラフィックの活動期間にライブ音源はいくつかあるが、たとえば69年のアルバム「Last Exit」に収められているライブのバンドサウンドは、スティーヴ・ウィンウッドのオルガンの出力を過度に強調したミックスになっているように聞こえる。それに対する「Welcome To The Canteen」のバンドではキーボードよりもギターの比重の方が高いのではないか。いわば、このサウンドはギター中心、リズム中心のミックスだ。エンジニアはブライアン・ハンフリーズだった。

そしてウィンウッドとメイスンによる、"二本のギターのせめぎ合い"、といって思い浮かぶのは、例えばローリング・ストーンズだろう。キース・リチャーズとミック・テイラーという二人のギタリストによる1970年代ストーンズはまさにこのスタイルでバンドサウンドを展開したともいえる。一方、69年に行われたローリング・ストーンズのハイド・パークコンサートはミック・テイラーがバンドに参加して初のライブといわれているが、そこで演奏された"Sympathy For The Devil(悪魔を憐れむ歌)"の映像をみると、ストーンズがパーカッションによる過剰なアフロ・ロックを展開しているところを確認できる。ストーンズとトラフィックの関係と繋がりを、共にジミー・ミラーというプロデューサーの存在で結び付けられると考えるのならば、もしかするとトラフィックもこれらのストーンズの傾向を認識し、自らのきたる70年代の方針を見いだしたのかもしれない。言ってみるとトラフィックの「Welcome To The Canteen」でのライブはストーンズの"Sympathy For The Devil"のアフロ・ロック的展開を彼らなりに拡張したものだと想って聴いてみても面白いと思う。

一方で名曲"Dear Mr. Fantasy"に於ける彼ら(ウィンウッドとメイスン)のギターソロのやり合いは、いうなればライブ版"悪魔を憐れむ歌"でのストーンズ、キース・リチャーズとミック・テイラーを彷彿とするものといってもいい。それは想像的一面だが、本来オルガン主体の演奏だったトラフィックがギターを主にし、アフロ・パーカッションを重要なリズムとした「Welcome To The Canteen」は、このバンド史上に於いて非常に興味深く受け止められるものだといえるかもしれない。そしてもしもデイヴ・メイスンがこのバンドを続けたのならば、トラフィックのギターロックバンドとしての可能性もあったのだということも考えられる。

一時的なものではあるにせよ、このバンドのそういった熱情的なギターロック志向のなかで、それでもクリス・ウッドは、その管楽器の演奏によって音楽の多様なイメージ、謎めいたムードを印象付ける音色でトラフィックを異彩なバンドへと仕立てるのだった。彼のプレイは、ファンキーな展開の曲よりもアコースティックな曲想でこそ幽玄に響くだろう。パーカッションとフルートが絡み合う"40000(Forty Thousand) Headmen"が現している世界観は、冒険譚を描く歌詞の内容と併せてみても夢想に壮大だ。トラフィックの音楽は謎めいた格調につき英国的であるともいえる。トラッドフォークからリズム&ブルースの音楽感覚を行き来するミクスチャー。そしてさらに特筆すべきところ、スティーヴ・ウィンウッドが唄うこの曲でのリズムの究極のスウィング感覚は、彼の歌唱力の真髄といってもいい素晴らしい表現力だ。

ところで「Welcome To The Canteen」のライブで演奏されているデイヴ・メイスンの曲はトラフィック時代の曲ではなくて彼のソロアルバム「Alone Together」の収録曲からのものだった。オリジナルバージョンの方がアメリカで録音され、乾いた響きのサウンドでアメリカンロックに仕立てられていたのと比べて、トラフィックのここでのライブバージョンには、それこそブリティッシュロックの雰囲気に充ちた幻想性がある。1971年、皆がアメリカに目を向けていた時、トラフィックはそれでも英国的な音楽グループであり続けたのだと思う。

1970年代の英国ロックのミュージシャンがアメリカ音楽のルーツミュージックに憧れて南部のスワンプロックへと傾倒していくのがひとつの流行でもあった時代、その先鞭をつけたのがデイヴ・メイスンだといわれている。その後に続いたエリック・クラプトンという見方もある。1970年のデイヴ・メイスンのアルバム「Alone Together」はスワンプロックの名盤と扱われることも多く、サウンドの響きはアメリカンルーツミュージックの傾倒が強い。アルバムを全体で聴いた印象はスワンプロック、しかし本来1面2面と分かれていたレコードとして内容を捉え直すと、聴きどころは共に最終曲、サイド1の"Shouldn't Have Took More Than You Gave"とサイド2の"Look At You Look At Me"だと気づく。ここでのデイヴ・メイスンはワウワウギターを弾きまくり、止めどなく冴えた感覚でギターフレーズを繰り出していく。それらはもちろんジミ・ヘンドリックスやエリック・クラプトンのギタープレイを意識したものだろう。ルーツ回帰といっても実は未だジミ・ヘンドリックスのロックサウンドの衝撃を受けたところが感じられるものでもある。聞き方を変えてみると、音の奥行き感覚、密度の立体的な間隔としても、これは確かにブリティッシュロックではないか思ってしまう。しかしながら録音エンジニアは、アメリカンロックの時代を築くドアーズやバッファロー・スプリングフィールドなどを手掛けてきたブルース・ボトニックであり、マスタリングエンジニアは名匠アル・シュミットだという。

同じ時期のエリック・クラプトンもアメリカンルーツミュージックに傾倒したといわれている。ちょうど70年のクラプトンのソロ作品「Eric Clapton」はデイヴ・メイスンの「Alone Together」の音作りと通じているのも判る。
次に続くクラプトンのバンド、デレク・アンド・ザ・ドミノスの70年の名作アルバム「Layla and Other Assorted Love Songs(いとしのレイラ)」は、それこそクラプトンの後の方向を決定づけたレイドバックサウンドの響きとして素晴らしいものだ。そうして、このデレク・アンド・ザ・ドミノスでのエリック・クラプトンを聴くと、デイヴ・メイスンと同じく、実はまだまだジミ・ヘンドリックスが彼らに及ぼした影響力が大きなものだったというところも垣間見る。それはジミ・ヘンドリックスの名曲"Little Wing"がここでカバーされているからというよりも、アルバムが発表される前に活動していた一時期のライブ、70年録音(73年発表)の「In Concert」でこそ熱く感情的に展開されるのだ。美しいほどの鮮やかなテンション。惜しげもなく止まらないギタープレイの波。ギターに負けじと打ち返すオルガンのうねり。強靭な重低音。熱情の治まらないリズムの躍動感。デレク・アンド・ザ・ドミノスでのエリック・クラプトンの歌唱はとてもいい。ここでのライブではさらにギターも激しく弾きまくるのだから、彼の音楽の最も魅力的な面が合わさっているといってもいいだろう。はっきりいうと、ここで聞こえるクラプトンのギターに対する情熱にはクリームのバンド時代よりも凄いものがある。
この「イン・コンサート」のライブ録音が行われた日は1970年の10月23日24日だという。確かめてみると、70年9月18日がジミ・ヘンドリックスの亡くなった日。その後1か月しか経っていないライブだ。ジミの親友でもあったエリック・クラプトンがこの悲痛な事実を意識していなかったわけがないと思う。ここでのエリック・クラプトンはジミ・ヘンドリックスの在りし日の姿を念頭に置いて演奏していたかもしれない。これはレクイエムなのだと、そう想って聴けば、なるほど、この激しさにも合点がいく。切なさを打ち消そうとする熱情の音楽には哀しい涙が滲んでいる。
ライブの録音を担当したエンジニアがジミ・ヘンドリックスのレコーディングでお馴染みのエディ・クレイマーだったという事にも意味がある。

デレク・アンド・ザ・ドミノス「In Concert」のライブ録音は70年でも、発売は73年だから、この音源は3年間お蔵入りしていた事になる。それはエリック・クラプトン自身の意向だったのか。素晴らしい演奏なだけに意図は不明だけれど、目指していくべき道はこういったロックの激しさではなかったというところは理解できる。

デレク・アンド・ザ・ドミノス「イン・コンサート」の凄さは、全員が一丸となってテンションを高めているところにあるだろう。耳を惹き付けるのはジム・ゴードンの怒涛のドラムサウンドだ。この後に彼がトラフィックのバンドへと移るのも面白い。「In Concert」の強烈なテンションとは違うにせよ、トラフィック「Welcome To The Canteen」のライブではジム・ゴードンのヘヴィーなリズム感も聴きどころだと思う。特にサイド2にあたる後半曲"Dear Mr. Fantasy"と"Gimme Some Lovin'"でのアグレッシヴな展開のなかで活きてくる彼らの自由なリズムの解放感は、音楽という歓びがもたらした果実の、美しい鈴なりだ。スティーヴ・ウィンウッドは、その甘さも渋みも知りつくした真摯なる歌声で、揺るぎない芯のソウルを伝えてくれる。
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