4673 件掲載中 月間賞毎月10日発表
この数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。

“KOIKI”なバンドが鳴らした音をこれからも聴き続ける理由

赤い公園が持つ「愛情」の本質

2021年5月28日、東京中野サンプラザで行われたラストライブ「THE PARK」をもって、赤い公園はその活動に終止符を打った。

私は赤い公園の出す音が大好きだった。2017年にボーカルの佐藤千明が脱退し、赤い公園からあのパワフルさと優しさを持った稀有なボーカリストがいなくなることを寂しく思った。一方でその後、新たなボーカリストとして石野理子を迎えたこのバンドがかなりの勢いでバンドとしての凄みを纏い始めていることがここ数年自分をワクワクさせる要素となっていたので解散の文字を初めてTwitterで確認したときは惜しいと思わずにはいられなかった。

ただ、先述のラストライブ「THE PARK」は赤い公園が辿ってきた道程をみんなで肯定する、そんな示し合わせを出来たとても多幸感溢れるライブだったと思う。一人のリスナーとしてもとても満たされるライブを見ることができ、ただただ幸せだった。

よって本文においては、解散に寄せる惜別の文を綴るのではなく、私が赤い公園というバンドを好きになった理由であり今でも私の中で大切な曲、「KOIKI」について存分に語らせていただこうと思う。今から書くのはこれからも私がこのバンドの音楽を聴き続ける、という一種の宣言のようなものである。

なぜこの曲が好きなのか。
一言でいえばこの「KOIKI」という曲は「結果」ではなく、はたまた「プロセス」でもなく、「人の気持ちの在り方」を肯定する曲であると感じたからだ。

私が大人になって日々日々痛感させられるのは、自分が何か特別な才を持っているわけでないこと、そして人が気付かないことに気付けるような独創性を持っているわけでもない、ということである。
ざっくり言えばアイデンティティーが見つからないままふわふわと社会を漂流しているような感覚でずっと生きている。

今まで色々な場面で「自分らしさ」であったり「オンリーワンの個性」を大切にしなければ、と思わせてくれるような言葉には出会ってきた。しかし、年を重ねるごとに「自分だけが持っているものなんてない」ということに否が応でも気付かされていった。
周りには、様々な形で生き方を確立させていく友人たちがいる。
自分に目線を移すと、会社の一部署という小さな世界で一日一日を黒塗りしているだけだと感じる毎日を消費している。
自分には何かがあってほしいけど、その何かは見つからない。この問答の中にずっと閉じ込められているような感覚のなか時間が経過していく。

長々と悶々とした自分の現状を連ねてしまったが、先述の通り「KOIKI」という曲が「人の気持ちの在り方」を肯定してくれると感じる理由は歌詞にある。


“赤いマントたなびかせ
颯爽とやって来たけど
並の正義じゃ務まんない
あっち立てりゃこっち立たず

決めたビートをひた打って
淡々と生きてきたけど
たまに正義が決めらんない
そっちじゃない

良いとこ見せたくても
ここぞでかっこ悪くて
とてもじゃないけど
ヒーローになんてなれっこないね”

この歌詞含め何ヵ所か気持ちとは裏腹に人の力になりきれないことに対する表現が見られる。人が一番自己嫌悪に陥りそうなのってこういうときなのではないか。


“世界が浮き足立っても
あなたが泣いてたらしょうがない
こんな時笑えるジョークを
ひとつくらいは持ってたいな
だって小粋でいたいのだ”

だけど、考えるべきことはもっとシンプルかつミクロなことで、
世界がどうとか社会がどうとかもっと周りから承認されたいとかそんなことよりも、目の前にいる人が泣いていたらそのそばにいることであったり、笑わせようとなんとか頑張ってみたり、そういったことなのではないか。
大きなことが出来る人間じゃなくても目の前の人のより幸せにしようと思える人間であることは充分尊いものであるのではないか。


“誰もが自分のことで
本当はいっぱいいっぱいなんだ
寂しさに負けそうになって明日がこわくて
それでも優しさを振り絞ってゆく”

津野米咲をしてこの曲が「ひと讃歌」である本質のところである。きっと上で自分がダラダラと書いた鬱屈とした部分って多かれ少なかれ色んな人が持っている部分なんだと思う。

本当は私だって他人から見て余裕があって視野が広くて周りにいつも気を配れるような人間でありたいがそうはいかない。
むしろ生きていく上で余裕なんて持てる日は恐らく来ないだろうし、自分の中にある理想と現実のギャップから生まれる不安とはずっと同居し続けることになるだろう。

でも、それでも「ただただ、善であれ」なのである。もう少しハードルを下げれば「ただただ、善であろうとせよ」である。

善であろうとすることは、自分の専売特許ではない。だけど自分が生きていく上で一番善であると思う選択肢を選んで生きていくことは誰がなんと言おうとも何より大切にすべき価値観なのだ。
きっと赤い公園はこの曲の中でそういった人の気持ちの在り方をKOIKIと呼んで肯定してくれているのだ。
不器用ながらにも自分が見えている世界の中での最大幸福を願って日々を生きること、その姿勢を肯定するために唄われるのがこの「KOIKI」という曲である。
それが私なりの解釈であり、私がこの曲を愛する理由である。

私はずっとKOIKIな人間でありたいし、そのためにずっとこの曲を聴き続けるだろう。
だから私にとっては赤い公園が解散しようが関係ない。なぜならずっと側に置いておくべき音楽だと分かっているのだから。
  • 投稿作品の情報を、当該著作者の同意なくして転載する行為は著作権侵害にあたります。著作権侵害は犯罪です。
  • 利用規約を必ずご確認ください。
  • ハートの数字はTwitterやFacebookでのリツイート・いいねなどの反応数を合算して算出しています。
音楽について書きたい、読みたい