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この一曲の持つ力

ー 『shining』 宮本浩次 ー

市川海老蔵の十三代目市川團十郎白猿襲名記念ドラマ『桶狭間〜織田信長 覇王の誕生〜』の主題歌を宮本浩次書き下ろし。
このニュースが流れた時、幾重もの意味で驚き心が高鳴った。確か昨年放送予定がコロナ禍で延期になっていたはずの番組。歌舞伎界で重要なポジションに有りながらも果敢に新たな挑戦を展開している海老蔵の、十三代目襲名の記念ドラマが桶狭間だなんて凄過ぎる。海老蔵のファンはこの放映をどんなに待ち望んでいたことだろう。
その主題歌が宮本浩次!!。なんと言うことだろう。歌舞伎界は皆注目しているだろうし、その重圧を受けるフジテレビも決して失敗出来ないこの重大な局面によくぞ宮本浩次を起用した!!。選考決定にあたった方々は宮本浩次の実力を十分理解しての事に違いない。それにしてもいつ宮本浩次にオファーが? 昨年のドラマ決定時から? それとも『ROMANCE』の創作を経た後の依頼? 『ROMANCE』前と『ROMANCE』後では何かが違っているのではないだろうか・・・。『ROMANCE』後の第一作と先日本誌7月号の山崎洋一郎氏のインタビューで知り、納得がいった。

3月26日放送当日は朝から気もそぞろ。いよいよドラマが始まると、さすが海老蔵、長きに渡る歌舞伎の修行を積んだ人の立ち居振る舞いは他の出演者と明らかに水をあけるものであった。ドラマのストーリーも興味深いのに、私の頭の半分はいつ主題歌が流れるか・・・気が気ではない。そして ついに・・・!!

「 愛する人よ抱きしめよう 今という永遠を  言葉にすれば嘘になる 流れる時に身を委ねてamore 」

一瞬息が止まった。なんと言う深さ。
このエンディングが2番の歌詞だと知ったのは翌日配信が開始された後の事。何度も何度も聴いた。歌詞の一つひとつを噛み締めながら・・・。どのフレーズも嘘のかけらも無い宮本浩次そのものだった。今や歌舞伎界の重要な逸材のあの市川海老蔵の記念すべき襲名ドラマの主題歌を引き受けながら、宮本浩次は常に自分の為すべき事から寸部たりとも外れない。いや、外さない。

「 ふと振り仰げば思い出の丘に 月の輝き今宵もさやけし 」

この思い出の丘は 今現実に存在する丘かもし知れないし、遠いとおい昔に友と立ったあの丘かも知れないと思った。しかし月の輝きは・・・今宵もさやけし。
ふとアルバム『扉』に納められている 『一万回目の旅のはじまり』 のあのフレーズを思い出す。
「 同じミナトにあって 同じ太陽を見上げていた かつてのトモよあなたは この灰色の海を越えたのか?」
この ”かつてのトモ” に私はどれほど羨望の念を抱いたことか。ふと我が身に目を落とし、何の才能も持ってはいない自分を痛感する。けれど宮本浩次のファンで有るのならば、まず5分先へ、そして千年先を目指そう。『 Do you remember ? 』のプロモーションビデオのあの床に広げられた歌詞を記した2片の紙。無造作に引きちぎられて・・・。宮本浩次の辞書の中の「諦め」の箇所も引きちぎられているはずである。

「 俺は今日も夢追いかける  空を行くあの鳥のように 心よ高く舞い踊れ 軽やかに気高く美しくあれ 」
「 春夏秋冬自由であれ  流れ行く風のようにamore 」
「 shining 今が俺の目指した場所 そして俺の始まりの場所 」

言葉とは不思議なもので誰でも共通に使う事を許されている。けれど並べられた同じ単語の中にも、発した当人の心が見えてしまうのは何故だろう・・・想いが言葉に乗り移っているかのように。長きに渡って宮本浩次が歩いて来た道のりの全てがこれらの言葉となって、道端に生える草のように、咲く一輪の花のように、彼の歩みを証明するかのごとく、活きいきと生きて風に吹かれている。

「 ああ風が吹いてる広野に舞う男の夢 」
そしてラストの
「 ああ風が吹いてる荒野に咲く一輪の花 」

このラスト「 荒野に咲く一輪の花 」があの彼の歌声と相まって堪らない。思わずアルバム『生活』の” 遁生 “を聴いてみる。
「 「お前はなぜに生きている?」 「小さき花を見るために。」 」
あの頃も今も宮本浩次は宮本浩次。

ギターの音色とドラムの響きが心地良いこの曲を耳にしてから、まだ2ヶ月程しか経っていないのに、毎日何度も聴いているせいかすっかり私の身体に入り込んでしまった。脳内再生で他の曲が流れる時も有ればこの曲が包んでくれる時も有る。
そんなある日私は自身の変化に驚いた。ふと煩雑な事ごとから手も頭も離れ、ゆったりとお茶を飲んでいるような時、或いは何かに想いを馳せているような時、私の胸の奥深く光のようなものが湧き上がって来る。
目には見えない無数の光の粒がやがて私の身体を包み込む。こんな事は初めてで、それが時折起こる。いったいこれは何なのか。例えばクラッシックの名曲に身を委ねている時の高揚感とも違う。ひょっとすると禅僧が瞑想に耽っている時こんな状況なのだろうか。それともスペースシャトルから惑星を眺めた時、こんな体感を持つのであろうか。
音楽が、一つの曲が、このような力を持ち得るとは想像だにしていなかった。

宮本浩次の作品に触れ、同時に宮本浩次の存在に生き方に触れ、少なからぬ影響を受け続け、それが私自身の日常にさえなってしまってから、確かに何かが変わって来た。彼の魂は私など手の届かない遥か広大な空間にその基盤を置いているであろうに、彼は決してこの地から足を離そうとはしない。得てして芸術家や哲学を紐解く人に見られる時空の彼方への逃亡を、彼はよしとしていない様に思われる。それが出来るのは、彼自身その世界の存在をしっかりと内面で捉えているからに違いなく、なにゆえの”今”なのか、なにゆえの”此処”なのか、知っているのであろう。そんな彼の楽曲で私自身生まれ初めての感覚を実際に体験している。しかも”日常”の中で・・・時折光に包まれている。その曲のタイトルが 『shining』 だなんて、こんな事が有るのだろうか。出来過ぎた作り話と受け取られる事を覚悟の上で、音楽にこんな側面がこんな力が有ると言う事を、自分自身が驚いてもいるが、伝えたかった。そして、そんな事をやらかしてしまう宮本浩次という天才が、今私達と共に生きているのだという事を。

もうひとつファンの方々に呆れられそうな話で恐縮だが。私の中に宮本浩次がふいに現れたのは、テレビで素人の歌のコンテスト番組を見ていた時。一人の男子学生が歌い終わった時審査員がこう言った。「君は歌はあまり上手くは無いけど、何故だろう心に届くんだよね」その瞬間テレビで何度か見た事のあるエレファントカシマシのボーカルの人の歌う姿が私の脳裏に浮かんだ。宮本浩次。その時は彼の名前すらまだ知らなかった。あの時何故彼が浮かんだのか。無意識のうちに彼の歌が私の心に既に届いていたに違いない。

音楽の専門家は彼の歌の上手さを絶賛する。勿論そうに違いない。けれど私には彼はとっくに上手く歌う次元など遠く後にしているように思われた。音楽のど素人の私でも絵画に置き換えれば納得がいく。デッサンが上手くて当たり前。色彩に長けていて当たり前。そこで傲慢になっている絵描きは悲しい事に上が見えない。そこから先更に絵画に命を与える事が出来る人がごく稀に存在するのだ。時にたゆたい、時に遥か遠い過去にまでも、未来にまでも人の魂を瞬時に持って行く絵を描いてしまう人がいる。画家の手をひとたび離れた作品は万人の物となり、所有せずともそのただ一枚の絵をかけがえの無い ”私の大切な絵” として心に抱きしめる人々がいる。

宮本浩次がロック歌手としてテレビに出て私達の前に現れてくれなかったなら、私は彼にきっと出会えなかったに違いない。どのみち音楽の世界に身を置いたであろうが、届ける先に私達大衆を選択してくれた。十分に自分の才能を熟知していながらも、おごる事なく、決して手を抜かず、この地から足を離さず歩き続けて作品を創り続け、歌い続け、一回のステージに今ある全てを賭ける。同じ一曲が踏んだステージの数だけ違う表情を持って来たはずだ。
・・・そして今も。一生のうちにこんな天才に現実に出会えるなんて。何十億人の中のたった一握り。

宮本浩次様 『shining』 は又しても ”私の大切な一曲” と成りました。声に出すと音程が外れてこの曲に申し訳なく、いつも心の中で歌っています。どうか健康に気をつけてこれからも私達に新しい作品を届けて下さい。これまでの作品を歌い上げて聴かせて下さい。来たるお誕生日のバースデーライブ 『 宮本浩次縦横無尽』 の大成功を祈って・・・。
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