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米津玄師は「死神」

6月24日22時13分「死神」の時間でのMV公開

〝死神”は、〝Pale Blue”のカップリング曲と言うべきなのだろうが、〝死神”が収録されているシングルの題名が〝Pale Blue”と〝死神”が好きすぎる私は〝死神”を中心に言いたくなってしまう。

ちなみに〝死神”とは真逆のような曲〝Pale Blue”のMVを観た時、米津さんの髪色に驚いた。
オレンジのインナーカラーが入っていたからだ。6月14日の米津さんのインスタライブによると、どうやらピンクだったようだが画面上ではオレンジに見えた。

「〝Pale Blue”青ですよね?なにゆえ、オレンジを?」
と思っていたら、

MVの2:45

「言えないでいた言葉交わし合った 笑えるくらい穏やかに」

「それは 酷く丈のずれたオートクチュール 解れていくボタンの穴」
の歌詞の間の映像ところにも、白い布がはためく中にたった一枚オレンジの布がはためいていた。
それで、やっと気づいた。
オレンジ色は青色の「反対色」である。
そういえば、この曲とMVには、真逆のものが登場する。

過去と現在
Aメロで「恋をしていた」のが最後「恋をしている」で終わる。

男性と女性
MVに出演する米津玄師と菅原小春

永遠と刹那
「ずっと」と言いながら、「エーデルワイス」は「枯れた」し「耳飾り」は「黒ずみだす」。

それはまるで鏡に写したように。

―鏡―

鏡に写さないと自分の姿を見ることはできない。
そして、鏡は左右逆に映る。なぜ左右逆に映るかは今だ定説はないという。
鏡が左右逆に映ること。私はそれが人の心の暗喩な気がしてならない。
自分とは真逆な人間に出会うと自分のことが良く分かるということの。

男性と女性

子どもと大人

日本人と外国人

真逆な人と接することによって、自分の特性や個性が露わになることがある。

異性と関われば、男性にしろ女性にしろ自分の性別の特性を感じざるをえないし、大人として子どもと関われば、否が応にも自分の喪った感性や反対に得た理性を見つけることになる。そして、外国人と接すれば、自分の当たり前の感性が日本人の特性と気付くこともある。
それでいて、女性の中にも男性性、男性の中にも女性性があり、子どもの内面に老成した大人が棲み、大人の内面に稚気に満ちた子どもがいたりする。外国人の中にいると、日本人の当たり前から解放されてホッとすることもある。
真逆に映った鏡で自分を見ることができ、自分が思っている自分とは真逆の自分も見ることになるのだ。

そして、それは人の才能でも。

有名人の中で親友だったと知って一番驚いたのは、劇作家の寺山修二と脚本家の山田太一だ。

-「異常を描く天才」、「普通を描く天才」―

二人は早稲田大学で同級生として知り合い、寺山がネフローゼで入院した時は、山田が毎日会いにゆき、さすがに寺山の母親に叱られ、その後は毎日のように手紙を書いたという。

寺山作の舞台『毛皮のマリー』や『身毒丸』を観たが、母と息子の愛憎が絡み合うような異常性のある作品だった。だがそれが海外でも高い評価を得た。逆に山田のテレビドラマ『岸辺のアルバム』や『ふぞろいの林檎たち』は、「普通」と呼ばれる人間の悲哀や喜びを優しい目線で描いて視聴者の心を掴んだ。
寺山は「異常を描く天才」、山田は「普通を描く天才」と言えるだろう。
そうなることができたのは、寺山と山田お互いが鏡になって、自分の姿をはっきりと捉えることができたためだった気がしてならない。

そして、「普通」の中に潜む「異常」と、「異常」の中にある「普通」への渇望にも、気づいたことだろう。

寺山は死の前、一時疎遠になっていた山田に頻繁に連絡を入れたという。しきりに逢いたい、山田の家に来たい、家族(妻と子)に逢いたいと言ったという。
寺山は「普通」の家庭を見たかったのかな、と思う。寺山自身は芸術家としての誇張もあるだろうけれど、自分を捨てて男の所にいってしまう、けれど自分に執着する「異常」な母に育てられた。その母とは寺山が結婚していた時期を除いて晩年までアパートの一階と二階とはいえ、一緒に暮らし、妻と離婚した彼は愛人と同居していた。「普通」とはほど遠い家庭だ。

そして、山田の妻は学生時代、寺山が片思いしていた相手だという。山田の家庭は寺山が持ちたかった「普通」の家庭だったのかもしれない。

当時、山田が書いた『早春スケッチブック』というドラマが放映されていた。そのドラマには山崎努演じる「普通」を嘲笑っている男、沢田と、河原崎長一郎演じる「普通」の男、省一が出てくる。
寺山は『早春スケッチブック』を熱心に見ており、毎回放映後に山田に電話を入れていた。寺山は沢田が自分で省一は山田だと決めつけていて、それに対し山田は「省一は自分でもあるんだ。」と言っていたという。
寺山と山田。二人は逆でありながら、お互いの中に自分の姿を見ていたのだろう。
そして、ドラマ上の沢田と同様、病に冒されていた寺山は、ドラマの最終回の後、一か月ほどで不帰の人となった。

寺山が病に冒されていたこと、自分を沢田だと思い込んでいたこと。それらを知ったうえで山田はドラマの中で沢田を殺した。

山田のドラマは私も好きで、テレビで放送されていれば必ずと言っていいほど観ている。いつも人に対する優しさにあふれていると思う。けれど、そんな作品を数多く生み出す山田の中にも、作品のためには親友を絶望させることも厭わない、芸術家ゆえの悪魔的な部分が巣食っているのだ。

-米津玄師の「死神」MV―

前置きが長くなってしまったが、6月24日の22時13分に米津玄師の「死神」のMVが公開された。この時間はタロットカードの大アルカナ22枚のうち、13番目が「死神」であることを踏まえ「死神」の時間に公開されたのだろう。
MVでは驚いたことに噺家「幻師」として米津玄師が高台に上がる。そればかりか寄席の観客5人、サラリーマンの姿をした死神、すべてを米津玄師が演じている。

「サラリーマン」という「普通」の職業は、作詞、作曲、アレンジばかりかイラスト、ダンスもこなしてしまう唯一無二の音楽家の「米津玄師」とは真逆の職業だ。

ちなみに、米津玄師が噺家に扮するのは意外なようだけれども、途中、頬を撫でる仕草をみせる。これは、孤高の天才落語家と呼ばれた故立川談志がよくみせた仕草だ。高台に上がっているのは「普通」ではない「異常」に天才な「幻師」こと米津玄師ということなのだろう。

そして、会場には5人の観客に扮した米津玄師がいる。

この5人の米津玄師が、彼の今までのMVや映像での米津玄師に見える。
左から〝Lemon”MV、〝LOSER”MV、〝Flamingo”MV、紅白歌合戦の〝Lemon”歌唱時の米津玄師、〝ピースサイン”MVのそれぞれの衣装を思わせる服を纏った米津玄師が座っている。

そして、噺家「幻師」が嘲笑うかのように手を叩くと、5人の観客は次々といなくなり、「普通」のサラリーマン姿の「死神」と「異常」に天才の米津〝幻”師が相対する。それは左右、逆に映る鏡のように。

5人の米津玄師が次々といなくなる様は、素晴らしい曲や記録を作っても、それを米津自身が越えてしまう、塗り替えてしまうことを思わせる。

また、米津は多彩な曲を作るが、私は彼の音楽の持つ「優しさ」に救われてきた。

「あなたが思うほどあなたは悪くない
 誰かのせいってこともきっとある」〝WOODEN DOLL”

「サンタマリア 全て正しいさ
 どんな日々も過去も未来も間違いさえも」〝サンタマリア”

そして、いじめと思しき光景を描いた〝優しい人”を発表するときには現在進行形で同じ目にあっている人のことを考え「はたして世に出していいんだろうかということですごく悩んだ」(『ROCKIN'ON JAPAN』2020年9月号「米津玄師 ニューアルバム『STRAY SHEEP』のすべてを語る)という「優しさ」に。
私は常々、米津さんのインタビューを読むたびに頭の良さもさることながら、なんと優しい人だろうと思っていた。その優しさは極端といってもいい程の。

けれど、芸術家である彼の中に、悪魔的なものが巣食わない筈がない。作品の中で親友を殺した山田太一の様に。

そして、本人もそれは重々承知してることだろう。

米津玄師が持つ極端なまでの優しさ。

けれどそれとともに、いやそれだからこそ、彼の中には悪魔的な「死神」も棲んでいるのだろう。

米津玄師の優しさを鏡に映し出したら、「死神」が浮かび上がったのだろう。

米津玄師は「死神」なのだ。

「アジャラカモクレン テケレッツのパー」

そう唱えたら、米津玄師は「幻」のように消えてしまうのかもしれない。


参考文献 山田太一「寺山修司からの手紙」(岩波書店)
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