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キラキラ息吹く夏の始まりの深い悲しみ

祖母の死を慰めてくれたBUMP OF CHICKENの音楽と『おかえりモネ』

「おかえり、おばあさん。」

7月中旬の蒸し暑い夜、祖母が自宅に帰ってきた。白い布に包まれて…。腰を痛めていた祖母は仰向けに眠ることができなくなっていた。いつも腰をくの字に曲げて横向きで寝ていた。白い布に包まれた祖母はまるで羽化する直前のセミのようにも見えた。横向きのまま、用意していた布団に寝かされた祖母の周りには、短い命を謳歌するように無数の小さな夏虫たちが羽音を立てていた。

祖母のおでこにそっと触れてみた。じっとしていても汗ばむほど暑い夜なのに、祖母だけが冷たかった。もう冷たくなっていた。数日前、危ないという知らせを受けて、会いに行った時、握った手はたしかに温かかったのに…。温もりを感じることができたのに…。

《延べられた手を守った その時に 守りたかったのは自分かもしれない》「supernova」

最後に会った時、祖母を励ましたくて、元気になってほしくて、手を握った。認知症が進行し、もう何年も前から会話はできなくなっていた。けれど手を握っている時、片目だけ、うっすら目を開けてくれて、ちゃんと瞳は輝いていた。昔と変わらない眼差し…。もしかしたら大丈夫かもしれないと思ったけど、数日後、容態は悪化し、亡くなってしまった。祖母にもっと生きていてほしくて、励ましたつもりだけど、たぶん手を握り締めた時、自分の方が励まされた。生きてるからそんなに心配しなくて大丈夫だよと祖母の体温が私に教えてくれた。

会話ができなくなった分、どこが痛いとか言えず、意志疎通もできず、もう何年も祖母はひとりきりで痛みにじっと耐えていたはずだ。コロナ禍でほとんど面会にも行けなくなっていた。やっと会えたと思ったら、すっかり身体は小さくなり、苦しそうな表情を浮かべて、ただ横たわっていた。そんなつらそうな祖母の姿を見ても、私はやっぱり生きていてほしいと願った。祖母がこの世からいなくなる悲しみに耐えられないと思った私は、命の灯火が消えかけている祖母の気持ちより、自分の気持ちを守ってしまった気がする。

《君の存在だって もうずっと抱きしめてきたけど 本当に恐いから 離れられないだけなんだ》「supernova」

あまり会えなくても、たとえもう二度と会話できないとしても、ただ痛みに耐える生活だとしても、祖母が生きていてくれるだけで、私は励みになっていた。祖母が死んでしまうことが本当に恐かった。

でも最期はあっけなく訪れてしまった。

祖母は欲の少ない性格で、どこかに出掛けたいとか旅行したいと言う人ではなかった。自分のために何かを欲しがることもなかった。半年前に亡くなった祖父の片腕となり、家で一生懸命働いていた。他者に尽くす性格で、慈悲深い人だった。他者を喜ばせるために踊って見せることもあった。心配性で「気を付けて」が口癖だった。とにかく家にいて、家業の縄ないとそれから農業ができればそれでいいと遊ぶことを知らない人だった。家で家族を見守っていることが幸せだったのだと思う。「おかえり」と出迎えるのが祖母の生きがいだったのだと思う。

だから本当はずっと大好きな家で暮らしたかったはずだけど、認知症と腰の痛みがひどくなり、歩行が危なくなった頃から老人ホームで暮らすようになった。
当初は時々一時帰宅していたけれど、ここ数年はそれもできなくなり、やっと帰って来られたのは息を引き取った後だった。

梅雨が明けて間もない快晴の昼下がり、外ではセミの声が鳴り響く中、静かに祖母は棺に入れられた。納棺師が死化粧をしてくれた。祖母は日常的に化粧をする人ではなかった。化粧なんてきっと結婚する時くらいだったと思う。一度もしたことのないような完璧な化粧を施された祖母の顔はまるで別人だった。初めて見る祖母の顔だった。納棺が終わると、祖母がまた一歩、死者に近づいた気がして寂しくなった。もう触れることもできない…。こんなに暑いのに汗の一滴も出ていない、真っ白な祖母の顔を見ると、自分とはもう違う世界の住人なのだと気付かされた。

二日後、うだる暑さの中、祖母は家を後にした。出棺が終わり、私は線香の火が完全に消えるのを見届けるために少し家に留まっていた。

一人きりになると祖母との思い出が蘇り、涙が溢れた。同居していたわけではないけれど、家が近かったので、私にとってもほとんど実家みたいなものだ。柱に貼った古ぼけたシール、廊下の傷、色褪せた畳…。老人ホームに行く直前に書いたであろう祖母のノートを見つけて、本当に些細なことしか書いていない短文だったけれど、こんな文章自分には書けないと思った。敵わないと思った。やさしい祖母の人柄が溢れていて、やっぱり自分のことより他者のことが書いてあって、泣けた。

もう祖母が見ることができないなら、代わりに私が見て祖母に伝えようと思った。祖母が大好きだった家、長屋に藁小屋…。畑、あぜ道、そこから見える空…。人が死んでも空は輝いていた。澄んだ夏空が広がっていて、眩しい太陽が照っていた。

《高く遠く広すぎる空の下 おはよう 僕は昨日からやってきたよ 失くせない記憶は傘のように 鞄の中で出番を待つ》「なないろ」

夏が似合う人だった。

子どもの頃、夏休みのラジオ体操が終わると一日中、祖母の家に入り浸っていた。ツユクサに朝露が滴る早朝から祖母は畑に出て、夏野菜を収穫していた。トマト、キュウリ、ナス、トウモロコシなど…。おやつはトマトやゆでたトウモロコシだった。キュウリやナスは漬物にしていた。新鮮な野菜が当たり前のように飽きるほど食べられることが当たり前ではないことに気付けたのはずっと後になってからのことだった。

《思い出すと寂しいけど 思い出せないと寂しい事 忘れない事しか出来ない 夜を越えて 続く僕の旅》「なないろ」

特に祖母はナスを育てることが上手で、毎日、黒光りした立派なナスをバケツいっぱいに何杯も収穫していた。ナスの花はナスよりも薄い紫色。その花の色が祖母によく似合っていた。藤色の割烹着を着て、薄紫色の透け感のある布を頭にかぶって、ひとつひとつ丁寧に愛でるようにナスをもいでいた祖母の姿が忘れられない。

だから祖母の遺影写真の背景にはイメージカラーの紫色の花を使うことにした。さすがにナスの花のサンプルはなかった。藤の花やアジサイで迷ったけれど、私の家の庭にはちょうど桔梗の花が咲いていたこともあり、季節的に紫色の桔梗の花に決めた。

出棺の翌日、祖母の家に向かうと、一匹のセミが仰向けになって死んでいた。よく見ると灯篭のコードを引っ張っている長屋のドアの隙間にセミの抜け殻がくっついていた。きっと昨夜、羽化したのだろう。すでに気温は34度以上あった。もしかしたら羽化したばかりで死んでしまったのかもしれない。木に登れば良かったのに、長屋のドアを羽化の場所に選んでしまったのが良くなかったのだろう。すぐ真下は土ではなく、コンクリートだった。

私はこのセミが祖母の生まれ変わりのような気がして、長くは生きられなかったセミの亡骸を自宅の庭に咲いている桔梗の花の下に埋葬した。抜け殻も何となく放置できなくて、自宅に持ち帰った。短い成虫時代を過ごしたセミの命の歴史が詰まっている抜け殻が空っぽには見えなかったから…。抜け殻の足には乾いた土がついていて、それは長い幼虫時代を過ごした土の中から懸命に這い上がって来た証だと思った。

《無くした後に残された 愛しい空っぽを抱きしめて》「HAPPY」

葬儀会場に赴く途中、昔、祖母と一緒によく足を運んだ、もう閉店してしまった小さな洋品店の跡地や、コンビニ規模の小さなスーパーに立ち寄った。自分が行きたかったというより、祖母に見せたかったし、祖母が行きたかったのかもしれない。

会場にはお世話になった老人ホームの方々もたくさん来てくれた。一番若そうな方が目に涙を浮かべてくれていた。私はその人の涙を見て、祖母はきっと老人ホームで愛してもらえていたんだと思った。私の知らない、祖母の6年以上の時間が、その人の涙で分かった気がした。やさしい人たちに介助してもらいながら、暮らせた祖母は幸せな晩年を過ごせたことだろうと。祖母がどんなに家が好きだったとしても、家族ではできないこともあった。専門の介護スタッフの人の方がケアしてくれたから、90歳以上まで生きることができたのだと思っている。

《それでもどうしてだろう つられて泣いてしまいそうな 名前もわからないのに 話も聞いちゃいないのに 誰から見ても取るに足らない だからこそ誰にも言えない そんな涙ならきっとわかる》「ジャングルジム」

火葬の前日、通夜のため、家に帰るのが遅くなった。街の橋には夏祭りの提灯の明かりが灯っていた。もちろんこのコロナ禍で夏祭りはない。けれど去年もそうだったように、夏祭りの代わりにせめて提灯だけでもと街の三本の橋には黄色い明かりの提灯が設置されていた。そのすぐ側では『おかえりモネ』の黄色いのぼり旗が風に揺れていた。

提灯を見るとやっぱり祖母を思い出した。私は夏生まれということもあり、夏祭りと誕生日が重なる夏休みが大好きだった。7月上旬、橋に提灯が設置され始めると、わくわくした。賑やかなお囃子が聞こえてくる夏祭り当日になると、祖母が浴衣を着せてくれて、お小遣いをくれて神社の境内の屋台に行き、水ヨーヨー釣りや金魚すくいをした。

夜になると土手に行き、みんなで花火を見た。花火を見る時、祖母は「仙台空襲の夜、遠くの空がこんな風に赤く染まって見えたんだよ」と言うこともあった。戦争を経験している世代にとって花火は空襲を思い出すきっかけにもなるらしい。先に述べた祖母が書き残した文章の中でも、終戦について触れていた。話せなくなる直前まで戦争のことだけは忘れられなかったのだろう。
だから花火は綺麗と一言では済ますことができなくて、夏祭りは楽しい反面、ちょっと複雑な心境にもなったけれど、でもやっぱり夏祭りの日は特に子ども時代は大好きだった。

夏の似合う祖母は提灯が灯る橋を車に乗せられて会場に運ばれたはずだから、最後に提灯を見られただろうと信じている。夏祭りとそれから私の誕生日を思い出してくれたらうれしい。もうとっくに私の名前も忘れてしまっていたけど…。

最後に祖母と一緒に歩いたのはいつだっただろう。最後に祖母の手料理を食べたのはいつだっただろう。最後に会話したのはいつだっただろう…。最後はいつだって知らないうちに訪れていて、幸せに気付けないまま、最後になってしまっていることが多い。

《昨日と似たような繰り返しの普通に 少しずつこっそり時間削られた》「記念撮影」

妹が生まれる時、私は祖父母の家で暮らしていたため、祖母には特にお世話になった。妹が生まれた時期も夏。私は「あづい」(暑い)と言いながら、祖父母と一緒に母と妹がいる病院へ通った。決まって冷たい缶ジュースを買ってくれた。あの頃は祖父母が両親みたいなものだった。アニメ『まんが日本昔ばなし』などを見ながら、祖父母の間で眠った。絵本も読み聞かせてもらった。子守歌も歌ってもらった。祖母の十八番は童謡「靴が鳴る」だった。

《お手てつないで 野道を行けば》

それを歌ってもらいながら、安心して眠りについた。
この歌を思い出すと、今でも祖母の声が蘇ってくる。祖母の写真は残っていても、動画はほとんど撮ることのできない時代だった。声は残せていないから、忘れないようにするしかない。でもやっぱり思い出すと寂しくなる。寂しくなるけど忘れたくない。

《胸の奥 君がいる場所 ここでしか会えない瞳 ずっと変わらないままだから ほっとしたり たまに目を逸らしたり》「なないろ」

火葬葬儀の当日もセミの声が鳴り響く快晴だった。祖母が骨だけになった日も、空は果てしなく青く澄んでいた。火葬場の上空に小さなはぐれ雲を見つけた。気体になった祖母かもしれないと思った。一足先に会場に戻ると右肩に小さな蜘蛛がついていた。殺めないようにそっと手で払ったけれど、あれも祖母だったかもしれない…。不思議なことに、故人の身体が無くなると、空や自然界に見えたものが故人の生まれ変わりのような錯覚に陥る。青空に浮かぶ小さな白い雲を見ても、沈みゆくオレンジ色の夕日を見ても、それから暗い夜空に上った黄色い月を見ても、祖母の面影を思い出した。

《変わっていくのなら 全て見ておきたい 居なくなるのなら 居た事を知りたい》「R.I.P.」

初七日まで35度以上の猛暑日を挟みながら、30度以上の真夏日、快晴が続いた。

そして祖母の家の庭に水たまりが見えた。それは暑さの仕業、蜃気楼の一種“逃げ水”だった。

幼い頃、私は水たまりで遊ぶのが好きだった。長靴を履いて、傘を差して、汚れるのもお構いなしで泥だらけになって水たまりの上でちゃぷちゃぷ跳ねていた。今となっては何が楽しかったのだろうと思うけど、水たまりの上で跳ねることが楽しいと思えなくなったことは寂しい。童謡「あめふり」も祖母がよく歌ってくれた。

《あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかえ うれしいな ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン》

汚してしまって祖母に怒られることもあったかもしれない。でも祖母は叱るというより、いつでも心配していた。あの日も、水たまりで遊んでいたのに、いつの間にか姿を消したらしく、近くに堀があるものだから、落ちてしまったのではないかと随分心配された。私は今よりもっと自由で、好奇心旺盛だった。そんな自分が懐かしい。

《乾いて消える水たまりが それでも キラキラ キラキラ 青く揺れる》「なないろ」

蜃気楼だとしても、暑さのおかげで水たまりが見えてうれしかった。懐かしくなった。祖母がいた過去が愛おしくなった。

ここ半年の間に両親代わりと言っても過言ではない、大切な祖父母を立て続けに亡くして落ち込むことも多いけれど、BUMP OF CHICKENの楽曲とNHK連続テレビ小説『おかえりモネ』が心の支えになった。

祖母が亡くなった週、『おかえりモネ』のヒロイン・百音は登米と下宿先のサヤカさんの元から離れることになった。たまたまドラマの前半が終わる週に、祖母が亡くなったため、特に百音とサヤカさんが自分と祖母に重なり、感情移入してしまった。サヤカさんは百音と一緒に暮らせなくなり、また一人ぼっちに戻ることになっても、快く送り出していた。そして孤独な自分のことより、若い百音に幸せな未来が待っていますようにと願っていた。登米・気仙沼編最後の回でオープニングではなく、エンディングで流れた「なないろ」には泣かされた。

誰かを失う度に、《失くせない記憶》や《治らない古い傷》は増える一方で、その度にどんどん《猫背》になってしまうけれど、《いつもと同じ足》・《疲れた靴》で前を向いて歩けるのは「なないろ」を始めとするバンプの楽曲が良いことばかりではなく、悲しいことも起きる日常に寄り添ってくれるから。

《僕が僕を笑える》こと、《僕の旅》を続けられること、僕が《起き方を知っている事》を教えてくれる「なないろ」という楽曲に、悲しいことが続くタイミングで出会えたことは、幸せなことだったと思っている。

悲しいからと言って誰かに頼りきるのではなく、自分の感情や自分の人生、自分の失敗を自分の力で乗り越えられるかもしれないと、信じさせてくれるバンプの楽曲があるから、鞄の中に入りきれないくらい増えてしまった《失くせない記憶》もちゃんと抱えながら、《手探り》だとしても生きていける。

どんなに悲しくても、空を見上げようとする心を思い出させてくれる。

祖母と過ごせた幸せな過去はもう戻らないけれど、子ども頃、祖母がいてくれたおかげで何気ない日常が確かに輝いていたし、一緒に見た景色もいまだに《キラキラ キラキラ》している。セピア色に色褪せるどころか、今も祖母がいた時間はカラフルな七色で思い出すことができる。

子どもの頃は毎日、虹が見えていたようなものだ。自分で虹を作ることができていた気がする。
今、歩けばあっと言う間に回れる祖母の家の敷地を飽きることなく、雨の日も風が強い日も、雪の日も毎日一日中、冒険していた。草花を摘み、木の実を拾い、昆虫採集し、コンクリートに石で落書きもしていた。狭い空間が自分にとっては果てしないと思えるかけがえのない世界だった。当たり前のように祖母の家で遊び、当たり前のように祖母が作った米や野菜を食べて生きていたあの頃の《心の色》は生涯、忘れたくない。

間もなく祖父は初盆で家に帰って来るだろう。和尚さん曰く、四十九日を過ぎないと正式には極楽浄土へ行けないらしい。つまり祖母はまだ家にいるはずだ。祖父母は一緒に働いていたせいかとても仲が良かった。何をするにも祖父が祖母に頼りきっていた。祖父を精神的に支えていたのも祖母だ。老人ホームを拒んでいた祖父が入所を了解したのも、先に祖母が入所していたからだ。それほど二人は仲が良かった。だから祖母は老人ホームから自宅に帰って祖父を出迎えたかったのかもしれない。

「おかえり、おじいさん。」

『おかえりモネ』でも百音のおばあちゃんの初盆シーンが描かれた。祖父母の家でも盆棚を用意することだろう。お盆になると故人は、馬を模したキュウリに乗って早く帰って来て、牛を模したナスに乗ってゆっくり帰って行くのだという。祖母が耕していた畑は家族に引き継がれ、今も畑にはキュウリやナスが実っている。百音のおばあちゃんは牡蠣に転生していたが、うちのおばあさんはきっとナスに転生していると思う。ナスに転生した祖母が祖父をゆっくり送るのだと思うと、畑のナスがもっと愛しく思える。

《そこに君が居なかった事 そこに僕が居なかった事 こんな当然を思うだけで 今がこれ程愛しいんだよ 怖いんだよ》「R.I.P.」

祖母の最期は看取れていない。でも老人ホームのスタッフの方の涙で分かった気がするし、祖父の時よりも葬儀まで時間がかかった分、ゆっくりお別れすることができた。身体など目に見える形は無くなってしまったけれど、元々気持ちや心は目に見えない。見えないものだとすれば、無くなることもなく、どこかに留まっているかもしれない。

《お別れした事は 出会った事と繋がっている あの透明な彗星は 透明だから無くならない》「ray」

形のない見えない透明な心は彗星のように残るものだと信じたい。残っているから時々帰って来てくれるのだと。空や景色を見た時、どこかに故人の心が宿っているから、輝いて見えるのだと信じている。

だからお盆はおじいさんとおばあさんの家でキュウリとナスを用意して待っているよ。

「おかえり、おじいさん、おばあさん。」

出棺の前、私は、セミの声が鳴り止まない外の日差しを感じながら、生温い扇風機の風を浴びて、祖母の特等席に座って留守番していた。もう話すことのできない無言の祖母を見つめながら、昔話をスマホに綴っていた。祖母と対話するように…。

コンビニなんてない田舎、徒歩で行ける近くの商店や豆腐屋さんに行って、アイスクリームやお菓子を買ってくれたね。

おばあさんは自分の昔話が得意で、よく話して聞かせてくれたよね。貧しかった頃、飴を作って売ったこともあるし、花を売り歩いたこともあるって言ってたね。

戦時中、艦載機がやって来て「危ない」と見知らぬ誰かにトウモロコシ畑に隠れるように言われて助けてもらったって言ってたね。

何度も同じ話を聞かされて、飽きたなって思うこともあったけど、今となればもっとちゃんと聞いておくんだったって思うよ。同じ話でも何度も聞きたい、またおばあさんの声で聞いてみたいって願ってしまうよ。

私はきっとおばあさんに似たのかな。化粧に無頓着だし、少し心配性だし、こうして長話を書くのが得意になったよ。おばあさんのことを覚えておきたくて、忘れたくなくて書いているよ。弔辞では伝えきれなかったことを綴っているよ。

《君の存在だって 何度も確かめはするけど 本当の存在は 居なくなっても ここに居る》「supernova」

本当はおばあさんが生きている間に本を作って届けたかったけど、間に合わなくてごめんね。出来損ないの孫でごめんね。心配ばかり掛けてごめんね…。

家にいる時、最後まで妹のことも気に掛けてくれていたよね。三人の孫と二人の娘はなんとか元気だから、どうか安心して。

もう心配しなくて大丈夫だからね。
おばあさんのこと、忘れないから。
時々、思い出してもらえたらうれしいな。
いつか、また会えるね、きっと。
その時はまた手作りのナスの漬物食べさせてね。
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