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目が覚めた

文学に傾倒する高校生がBUMP OF CHICKENの曲と出会った結果

 〈〇☓△どれかなんて 皆と比べてどうかなんて 確かめる間も無い程 生きるのは最高だ〉
 朝の満員電車、ぼうっと、昔友達に勧められてプレイリストに入れてあった歌を何となく聴いていた。ほんとうに、ぼうっと。なのに、気付けば、泣いていた。自然に、周りの大人の訝しげな視線とかおかまいなしに、泣いていた。何もかも嫌になって、生きてる意味を疑って、大人の言葉はどれも信用ならなくて、どうやって生きるのをやめるか、そればっかり考える私だった。文学は好きだった。でも、大好きな文豪は皆死んでしまった。太宰治も、芥川龍之介も、夏目漱石も梶井基次郎もこの世にはいない。私は今を生きているのに。身近な人の言葉は、信じたいけど信じられない。例えば教師の言うことに素直にうなずけたら、きっともう少し生きやすい。でも、いちいち疑ってしまう。これが思春期というもの? ならそれは随分辛い――そうやってどんな言葉もはねのけてきた耳の奥で、曲名も分からない歌の、優しいのにどこか力強い、信念のこもったその声だけが、確かに響いていた。世界の色が、キラキラに輝いて見えた。
 聴き終わった後、私は急いで曲名と歌手名を見た。BUMP OF CHICKENの「ray」。ああ、あの、「天体観測」の! ふと、中学生のときの記憶がよみがえる。中学生の時、家にあったタブレットでこっそり古今の流行歌のミュージックビデオを見ていたときのこと。天体観測も、有名だったから聴いてみたのだが、その衝撃は忘れられない。メンバーひとりひとりの、飾らない、細くて大きな背中。声の、音の、切迫した熱量。とにかく、緊迫した、ギリギリなオーラみたいなものが伝わってきて、すごい! かっこいい! と思った。すぐにネットで歌詞を調べた。率直な感想が、「なにこれっ」。十五年くらい前の歌なのに、恐ろしく新しい感じがして、同時に、ビクビクした。この曲は、私の、何かを見ている。心の奥にしまった、何かを。直感的にそう思って、臆病な私は歌詞のサイトをすぐさま閉じた。以来天体観測はあまり聴かなくなった。
 そして、高校生の私は、思い出す。あの頃から既に、BUMP OF CHICKENはずっとそばに居てくれていたのだということ。単に、自分が逃げていただけだったのだということ。私はそのまま学校に登校して、いつものように授業を受けた。いつもの景色がいつもみたいに陰気じゃない。鬱屈とした気分が「ray」のメロディに吸い込まれてゆくような。過去に縛られて動けなくなっていた私の手を直に取ってくれているような。凄く有名な人たちの凄く有名な歌なのに、私ひとりのための歌なんじゃないかって勘違いしちゃうくらいに。この人の言うことなら信じられる、と思った。
 帰宅後、私はサブスクが用意したBUMPのプレイリストをシャッフル再生で聴いた。試験前だったから、泣く泣くノートを開きながら。
〈ラフ・メイカー? 冗談じゃない! そんなモン呼んだ覚えはない〉
 数学の問題を解く手が止まった。私は悟った。BUMPの歌はやばい。生半可な覚悟で聴いちゃだめだ、と。私はノートを片付けて、曲に集中した。
〈呆れたが なるほど 笑えた〉
 また、泣いていた。「ラフ・メイカー」という曲。涙の水圧で開かなくなった私のドアを、ラフ・メイカーは見事に壊してみせた。心臓を貫くような鼓動の音がドクドクとしばらく止まなかった。歌詞の画面には「作成 藤原基央」の文字。私の内面が、この人には筒抜けのようだ。いま同じ空の下にいる人が、私のことを分かってくれていた。遠くで、同じように苦しんで、でもそれを力にして歌にしている人がいる。そんな幸せ、簡単にはない。その後もシャッフル再生は続いて、結局その日勉強はしなかった。
 その週末、テスト直前だというのに、私はCDショップに走った。サブスクで全部聴けることは分かってる。でも、この曲は、ずっと手元に形ある状態で置いておきたい。置いとかなきゃだめだ。この曲たちは私の人生を変える!、なんて思って、棚の前に来てふと悩む。CDなんて一口に言ってもいろいろあった! どうせならオリジナルアルバムが欲しい、でも何枚あるんだ、どれから聴けばいいのか? せっかく三、四年前のお年玉のポチ袋をいくつか財布に突っ込んできて、出直すのも癪だし……と、リサーチ不足の私は、お小遣い制じゃないが為に自由の利かない私の財力を無視した暴挙に出る。その場でネットで調べて上の方に出てきた「ユグドラシル」と天体観測が入っているというだけの理由で「jupiter」を両方買ったのである。知って三日のアーティストのアルバムを一気に二枚。買うときは威勢がいいのに、買ってからはちょっと不安になった。
 そうして手にした二枚のアルバム。まず、「jupiter」を聴いた。「Stage Of The Ground」のイントロが流れる。強い。ギター、ベース、ドラム、全部の音が耳と脳を通り越して心に直接届く。そして歌詞が、熱い。座って聴きながら、衝動的に走りだしたくなる。すぐさま始まる「天体観測」。高校に入ってはじめてちゃんと向き合えた代表曲は中学生のあの時とは聴こえ方が全然違っていた。大切なことを、彼らは私にずっと伝えてくれていた。気付けていなかったのは、受け入れられていなかったのは、紛れもなく、私の方だったのだ。情けなくなって、ちょっと下を向いたところで流れる「Title Of Mine」。歌詞が私の感情をとんでもなく的確に表していた。涙が止まらなくなった(さっきから私はずっと泣いている話ばかりしているが、私が素直に涙を流したのは久々のことだった)。曲への感想を全て細かく書くと読んでいるあなたの日が暮れるので割愛するが、終始涙ながらに「ダンデライオン」まで聴き終えた直後、私は焦る。全部聴いた筈なのに、トラックの数字が進む進む。親から借りてきたCDデッキ、早くも壊したか? 電源を切ってみるか、でもこんな名曲の数々のデータが飛んだらどうしよう……とりあえず放置していると、元気な声が聴こえてきた。そしてちょっと――いや、全然雰囲気の違う歌が始まる。やっぱりネット世代なのかもしれない私はすぐ検索をかけて、何が起こっているのかを把握した。あえてここでは明文化しないが、クレジットされていないあの曲の衝撃。BUMPのCDを一枚でも持っている方なら、分かっていただけるだろう。
 そして次に「ユグドラシル」を聴いた。買ってから知ったのだが、リリースされたのは私の生まれ年だったらしい。同い年のアルバムだ、とちょっと不思議な気持ちでインスト曲「asgard」を聴き始める。アコギの音に酔いしれていたところで始まった「オンリーロンリーグローリ―」。私はこの曲から声を上げて泣き崩れ始める。続く「乗車権」は、無理して入った進学校で少し苦しんでいた私を叩き起こすには充分だった。ほっぺたをぺちっと叩かれたように目を覚ました私を待つ「ギルド」。人間生活が仕事でしかなくなっていた私に、彼らは語りかける。
〈汚れたって受け止めろ 世界は自分のモンだ 構わないから その姿で 生きるべきなんだよ〉
〈望んだんだ 選んだんだ 「仕事ではない」 解っていた〉
私を閉じ込めていた、歌詞でいうところの「檻」から引きずり出されて、「embrace」で抱きしめられる。あったかくなって、顔がほころんだところに「sailing day」。叶うとか叶わないとかじゃない、いつまでも足掻き続けていいんだって、忘れていた熱い気持ちがふつふつと湧き上がってきた。でも直後の「同じドアをくぐれたら」では本当の“現実”をつきつけられる。そうだよな、見なきゃいけない現実があるよな、って思ったところに飛び込んでくる「車輪の唄」「スノースマイル」。「さよならだけが人生だ」と文豪、井伏鱒二は言ったが、別れを見つめるこの二曲もまた、人生そのものみたいな曲ではなかろうか。そして、「レム」は叱りながら私をそっと救い、「fire sign」が丸まった背中をさすり、「太陽」で隣に座って私の恐怖を代弁したあと、「ロストマン」でコンパスがやっと動き出した。その頃には涙とか共感とか衝撃とかで情緒不安定になっていた。「midgard」まで聴いたときには、もう聴く前の自分とは全く変わっていて、鬱屈とした抜け殻みたいな私の姿はどこへやら、顔はぼろぼろなのに清々しい気分だった。信じられないくらいに。
 これは、今年結成二十五周年のテレビにはあまり出ないけど超有名なカリスマバンドに少し遅れて傾倒した私が貰ったものについての記録である。今ではBUMPのオリジナルアルバムは揃い、ライブDVDもいくつか集めた。おかげでお年玉のポチ袋はすっからかんのものが多くなったが、それも含めて晴れ晴れとした心持である。だって、きっと私は、彼らの音楽がなければ今日の命さえ危うかったから。命より大切なものがないとすれば、私にとって命を救ったBUMPの音楽はそれだけかけがえのないものだ。どうしてお金に換えることができようか。時代はストリーミング配信、CDの時代は終わったなどと囁かれることも多い今日この頃。さらにコロナ禍で文化芸術は不要不急だといろいろ制限を受けたりもする。でも、私はBUMPの鳴らす音が、言葉があって、元気でいられる。落ち込んでも、起き上がれる。全部受け入れて前に進む、勇気を思い出させてくれる。熱い日々を取り戻しに行こう、今はそう胸を張れる。そして、いつになるかは分からないが、生きているBUMPのメンバーとは、いつかライブで会えるかもしれない。死んでしまった文豪も私にはヒーローだけど、時間は巻き戻せないから、感謝を伝えようにも、お墓で手を合わせることしかできない。生きていたとしても、すごい奇跡が起こらない限りはきっと会えない。でも、生きているヒーローにありがとうと伝えられるなら。救われたと伝えられるなら。そんな世界は、やっぱり輝いている。ライブは、「live」と書いてライブだ。同じ時代を一生懸命に「住んでいる」証拠なのだ。
 あの日思い切って買ったBUMPのCDをお守りに、私は今日も目を覚ます。
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