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悲しみの行方とニルヴァーナの殺し方

『Nevermind』を買わなかった君へ

ニルヴァーナを初めて聴いた時のことは、正直覚えていない。

ただ家に『Incesticide』がありそれを繰り返し聴いていたため、彼らの一番有名なアルバムは『Incesticide』だと誤認したまま思春期を過ごした。ロックファンとしては珍しいかもしれないが、『Nevermind』をちゃんと聴いたのはニルヴァーナを知ってからだいぶ後のことだったと思う。『Bleach』に至ってはごく最近のことである。


引っ越し家庭で学校に馴染めず、内気で脆弱な魂の持ち主だった私にとって、幼少期は必ずしも幸せではなかった。両親の不和、兄からの日常的な暴力、生まれつきの聴覚障害、原因不明の病気による盲腸摘出を不幸と言う気はないが、あふれんばかりの恐怖心、疎外感、劣等感にまみれていたことは記憶している。グリーン・デイの『Minority』を聴いて、少数派でいいんだ、と思えるようになっていなければ、私の人生はここまでもたなかったかもしれない。左手の生命線が真ん中のすぐ下のあたりで途絶えているのがいい証拠かもしれない。とにかく、80年代の躁的ポップ時代の埋め合わせのようにやって来た、鬱屈とした不幸自慢と、負け犬根性丸出しの90年代のアメリカのバンド達が、私の精神の延命に大きく影響したことは間違いない。そして天敵のような兄が彼らのCDを所有していなければ、私は永遠にロックを聴くことはなかったのかもしれないのだから、皮肉だが家族とはよくできているものである。


初めてバンドを組んだのは大学生の頃だった。人生を通じて音楽の成績は2(5段階評価)以上を取ったことがなかったため、楽器に手を出すにはかなり勇気が必要だった。ギターを習い始めたのは、誰も知り合いのいないアメリカ留学時代だったというシャイっぷりである。帰国してバンドを結成することになった成り行きも、ひどく酒に酔っていた時のことなのであまりはっきりと覚えていない。

しかし始めてみればおもしろいもので、私はどんどんギターにのめり込んだ。音楽理論を一つも知らないまま英語で曲を書くようになった。勢いまかせにたっぷり歪みを効かせ、あれよあれよとライブをするようになった。大学を出てからもろくに就職をせずに、結成と解散を繰り返しながら音楽ありきの生活を続けてきた。そして今、ロンドンのとある安ホテルの3階の一室で、スマッシング・パンプキンズのセカンドアルバム『Siamese Dream』を流しながらこの文章を書いている。一番最初に覚えた曲は、たしかその中の『Today』だった。

音楽について文章を書いてみよう思った理由は明確ではない。もしかしたらここのところ巷の音楽に満足できず、『グランジ/オルタナ時代』に取り残されてしまったのかもしれない、という疑念が日に日に強まってきて、どうにも仕様がなくなってきたのが理由かもしれない。または昨日行ったレコード店の『Grunge A - Z』のコーナーが、風前の灯火のようなショボさで絶望したのがきっかけかもしれない。


それはさて置き、ニルヴァーナとは同業者にとっては厄介なバンドで、一度虜になればその影響下から抜け出すことは容易ではない。彼らはリアルであることに異常なほど忠実だったという点で、ティーンが夢中になる他のバンドとは一線を画す。代表曲『Smells Like Teen Spirit』はもたらした大きすぎる成功のために、カート的精神から最も乖離する曲に祭り上げられてしまった。そしてその曲をライブで披露していた私の身近なアマチュアバンドは、ほぼ間違いなく音楽を辞めていった。単純なコード進行と、その不穏な静寂に継ぐコーラスの爆発力によって、狂気的にロック初心者の心を満たしたが、対価として演奏した者の創造意欲を奪い去っていったのである。立派な初心者だったにも関わらず、私は何としてもそのシステムに抗う腹を決めていたので、今までライブで披露したニルヴァーナの曲は『Molly’s Lips』一曲にとどまっている。こちらは元々がカバーソングである、というのが私の言い分だ。

それにしても時の流れは残酷で、私は数年前にカートの止まったままの年齢をあっさりと飛び越えてしまった。弱者の怒りと悲しみを代弁したあの叫びは若者専用であり、もはや本当の意味で彼の歌を聴く資格は失効してしまった。高校生の時にずっと片思いをしていたあの娘が、ついに誰かと結婚してしまったかのような感覚だ。誰のせいでもないのだが、やはりなんともやりきれない気持ちになる。つまるところカートを越えたらそれはもうおじさんであって、音楽を知るおじさんはニルヴァーナに心酔していてはいけないどころか、口髭をたくわえてジャズを嗜む余裕さえ醸し出さなければいけないのだ。しかしどう毛づくろっても髭の似合わない私は、いつの間にか次世代のDNA探しを始めていた。

インターネットがまだ怪しげな概念だった頃から洋楽のブログ巡りをしていたし、CD屋さんにもうんざりするほど通った。しかし私の記憶する範囲では、ニルヴァーナをよく食べよく育ち、かつそれに囚われないことに成功していると思えるバンドはいなかったと思う(超例外的フー・ファイターズは除く)。ニルヴァーナと同じ方法論を用いたバンドはいくらでも見てきたが、彼らはみんなカートのファンがギターを持ったにすぎなかった。言わせてもらえば彼らは『模倣』であっても『系譜』ではなかった。狙ってできるものではないが、すなわち私が探しているものは『叫びの系譜』であることがわかってきた。もちろん、ただ悲しそうに叫べばいい訳ではない。そんなのただのヤギでもできる。つまり重要なのは音の態度の問題であって、音の容姿ではないということだ。『Nevermind』だけは買わないぜ、と豪語するくらいでいて欲しいのだ。そこまで言うなら自分でやってみろと言う声が聞こえてきたからお答えするが、その戦いが私をイギリスに連れて来たのである。その辺はどうか温かく見守っていただきたい。

さて、英米のロックシーンは潮目が変わるたびにお互いに干渉し合っていたが、90年代のイギリス人はついにアメリカ人と決別し、叫ばない道を選んだように見える。レディオヘッドやプロディジーを見ればそれは正しかったと思うし、私はスピリチュアライズドだって大好きだ。一方、当のアメリカは常に革新的で前のめりだった。今どこに向かっているのかは見当もつかないが、過去を振り返るつもりはないだろう。誤解しないでいただきたいが、懐古主義に浸り、時代を巻き戻したい訳ではない。現在のヒップホップの勢力図に文句を言うつもりもさらさらないし、ちょっと前のEDMだってちゃんと我慢してきた。ただ少年の小さな魂を救ってくれたあの叫びが、あの轟音が、あの遺伝子が、今も私には必要なのだ。マクドナルドで空腹を満たすしかなかった子供は、大人になってもハンバーガーを食べたくなってしまうものではないか!


彼が全てを終わらせてから十分すぎる月日が流れたと思う。そろそろおじさんの心を慰めてくれるバンドが現れてもいいはずである。世界中にあれだけコピーを売りつけたのだから、30年もあればなんとかならないものだろうか。ニルヴァーナに年齢制限付きで永遠に輝かれては困るし、私のような人種にとってそれは全くもって由々しきシステムである。死屍累々である。90年代の熱狂に打たれてギターを手に取った米国の若者はみんなどこにいってしまったのだ。東洋の果てにこれだけ波が届いたのだから、震源地はもっと才能が耕されなかったのだろうか。もしかするとみんなライブで『Smells Like Teen Spirit』を披露してしまったのかもしれない。そしてあっという間にパパになってマイホームを購入した挙句、リーマンショックを引き起こしたに違いない。


禅の世界には『仏に会っては仏を殺す』という考え方がある。言葉だけとると恐ろしい響きだが、簡単に言うと何事にも囚われてはいけないという意味である。つまりニルヴァーナに囚われていては、次世代を見出せなくなる可能性がある。真に解脱を目指すためには、まずはカートを殺さなくてはいけないということになる。そういうことならベッドの上のかろうじて崩壊を免れている茶色い革ジャンと、手垢のべっとりついたサンバーストのギターをタンスにしまい込んで、今すぐヒップな街に出かけてみるといいのだろうか。景色のいい写真をSNSに投稿して、コーヒーを片手にスマートフォンで株の取引を始めてみるのもいい。流行りのマーヴェル映画も見逃してはいけない。高級サロンでニートな髪型をばっちり整えたら、カルティエのあの娘に連絡してみよう。もしかするとうまくいくかもしれない。しばらくしてもカラオケ店の大型液晶テレビを殴り壊したり、夜中に路上でホームレスと戦ったりしたくならなかったらいいサインだ。あなたも私もきっと幸せになれるだろう。そういえば93年のインタビューでカートはこんなことを言っていた。

『Now that I've found that the world seems a lot better for some reason, it really does change your attitude about things. 』

(今やなぜか世界が以前よりずっとマシなものに見えるよ。それってマジで物事に対する見方を変えてしまうんだ。)

アクセルのピアノに唾を吐いていた人物からはあまり聞きたくない言葉だった。どうやら彼もお嫁に行ってしまったのかもしれない。何かが消えていくような気がした。なんだか書いてるだけでだんだん息苦しくなってきた。煮えきらない態度の雨も降ってきたし、ぼちぼち切り上げることにする。消えていく悲しみほど悲しいものはない。通りに出て煙草でも買ってこよう。ああ、なんだかすごく年をとった気分だ。
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